第6話 魔法使い

 突然、俺は覚醒した。

 目を開けると、視界には乳白色の天井が写っていた。壁まできれいにその色で統一された部屋は見覚えがなかった。窓際には花瓶に生けてあるバラの花が飾っており、俺自身は白いベッドで寝ていた。


 俺は起き上がろうと上半身を持ち上げようとたが、身体の至る所からなる痛みで起き上がることはできずに、そのまま横たわる。身体の至る所から疲労感を感じ、上手く力が入らなかった。

 これらのことから推測するに、俺は病院のベッドで寝かされていると思われる。


 だが、ここにいる理由が分からない。

 俺は、確か屋上にいたはずだ。屋上にいたはずの俺が、病院にいる理由がどうしても導き出せない。思い出そうとする度に、頭の片隅にノイズが走るような痛みで肝心なことが思い出せない。

 まるで記憶がなくなっているようにも思えた。


 すると、こんこんと響きのいいドアのノック音が聞こえた。

 ノックの主は返事を待たずに部屋に入って来る。

 すると、その主は教室でよく見かける亜麻色の髪をした少年であった。


「あれ? 起きてるじゃん。いつ目が覚めたの?」


 右手には小さなビニル袋を提げていた。その姿はいかにも、お見舞いに来た、という雰囲気をかもし出している。


「ああ、いま起きたところ。ところでここはどこの病院なんだ? 俺の身に何があったんだ? なぜ俺はここにいるんだ? 詳しい話を聞かせてくれ、雅人」


 一度に大量のことを言うなんて聖徳太子でもない限り全てを聞き取り理解し、それに応じた返答をするなど一般人にできるわけがない。俺は心ではそう思っていても、ついつい言ってしまう。


「う、うん。順を追って話すよ」

「頼む」

「まず、結果論を言うと春也は屋上から落っこちたらしいんだ」

「……らしい?」

「落下してるところを誰も見ていないんだってさ」

雅人の話を聞いている俺は妙に落ち着いていた。

「屋上から落ちたんだろ? なんで助かったんだ?」

「それがね、僕はもちろん、誰も分かっていないんだ」

「分からないってどういうことだ?」

「落ちた原因はフェンスが錆びれていたせいだと言っていたけど、助かった理由は謎なんだ」


 雅人は言うのをもったいぶっている様にも捉えられるほど言いにくそうにしている。


「春也が叩きつけられたのはコンクリートで舗装された通路なんだ」




 その後、雅人と会話している途中に医師が来たので彼との会話は半ば強制的に中断し、帰らざるを得なかった。


 俺が寝ていたので精密検査ができなかったと医師は言った。なんでも異常があるかどうか調べたいとか言っていた。理由としては雅人の言っていた事が直結しているようだ。

 確かに、それは俺も気になる。だが、それよりも気になる……と言うよりかは心配している。その大きな要因は宇宙だ。あれだけ助けると言っていたのに姿はおろか、声すらも聞こえなかった。

 つまり、あの状況において彼女自身になんらかのアクシデントがあったに違いない。

 しかし、俺には何があったのかを知らないし、知る術などあるはずもない。

 そう、ただの無力な人間に。

 そんな俺の思考を遮るかの様に、俺の主治医である医師が検査結果をまとめ、俺に告げる。


「ふむ……これは驚いた。君に外傷的にも、内臓やその他器官にはまったく損傷は無かった」

「……それはどういうことです? ジェニミス先生」

「ロドルフでいいよ、春也クン。要するに君は無傷なワケ。やったね!」


 このロドルフ・ジェニミス医師の喋り方に多少の苛つきを覚えながら再度尋ねた。


「そういうことではなくてですね、驚いたというのはどういう意味ですか? と聞いたんです」

「ん? それは勿論、無傷であること自体だよ」


 口ではそれだけしか言ってはないものの、最も重要かつ真の意味を持つ言葉ではないことがわかる。


「本当にそれだけか? 違うな、他に隠してることがあるだろう? 本当の意味での『驚いた』こととは何だ?」


 彼が言っていた意味が不確定であり、確定的であることがわかる。矛盾しているとわかっていてもそれ以上の言い回しができない。本当に何となくでしかないのだから。


「…………」

「…………」


 彼の目つきが変わり、鋭く尖ったナイフの様な眼光が俺を睨みつけてくる。二人の視線がぶつかり合う。病室には深い沈黙の時が流れ、掛け時計の秒針の音だけが響き渡る。


 ついにこの沈黙に耐えきれなくなったのか、ロドルフ医師は大きなため息をし、参った、と小さく呟いた。


「君には負けたよ、まさか見破られるなんてね」


 先ほどの視線とは打って変わり、いつもの楽観的な笑顔に戻る。


「そうだね、何から話そうか。……君は僕が魔法使いだってのを知ってるかい?」

「ああ。知っている。かなり有名な話だ。この病院の医師の中に『あの島』の住人の魔法使いがいるって、しかも名前はロドルフ・ジェニミス」


 勿論、本当の話。最新の噂話などにうとい俺ですら知っている程、有名である。

 当の本人はどうやらこの事実を知らなかった様で目を丸くして驚いていた。


「僕ってそんなに知られたのか……そ、そんなことよりも、本題に戻ろう」


 自分の予想と随分違っていたせいなのか、必要以上に避けようとする。


「単刀直入に言おう。君は魔法によって守られた」


 一瞬、驚きで身体がよろめいた。


「それがあんたの言う驚いたことなのか?」

「いや、違うね。魔法自体はそんなに珍しいものじゃない」

「それじゃあ、なんだって言うんだ」


 なかなか言い出さない彼に苛つきながらも、もっと強い口調で催促したくなる衝動を抑える。

 ロドルフは初めて真剣な眼差しで発覚した事実を告げる。


「君は魔法による、魔壁……つまり防護壁によって守られたんだけど、君の服に付着していた残留魔力を調べてもらった。その結果あることがわかった」

「あること……?」

「君を守ったのはそんじょそこらの魔法使いではなく、神クラスの魔法を使える誰かだ」


 俺はそのとき、ロドルフの言っていることが全く理解できないでいた。


「と言っても、よくわからないよね。そうだなぁ……一番強い線でいったら守り神か死神あたりじゃないかな?」

「……ッ!?」


 俺は驚き、すぐに否定しようとしたが、口が動かない。


「それに、あの宇宙っていう娘は守り神か死神か、どっちかなんだろ? まあ、こんなところにいる理由なんて全然わからないが」


 俺はさらに驚いた。なぜこいつが宇宙のことを知っている? そもそもただの医者がなぜ守り神や死神を知っている?

 そういえば、ロドルフはさっき調べてもらったと言った。誰に? 少なくともその協力者もこのことを知っているだろう。この二人は元から守り神や死神のこと知っていた?

 心の中でそんなはずはないと、思っていても、そう思わざるを得ない状況なのだと、自覚する。

 しかし、どう解釈しようとも俺や、宇宙のことを知っている人間が二人いる事実は変わらない。


「お、図星だったかな? ハトが豆鉄砲をくらった様な顔してるよ?」


 そういいながらロドルフは不敵な笑みをこぼす。


「あ、ちなみに情報の提供者は包み隠さず全部話すつもりだよ。彼女も承諾してくれたし」

「な、なぜ俺のことを知っている? 宇宙のこともそうだが、あんたは何者だ?」


 動揺しているせいか話が噛み合わない。言葉のキャッチボールにはなっていない。


「何から話せばいいのやら……そうだな、魔法専修学校を知っているかい?」

「知っている」


 魔法専修学校は今や知らない人などいない程有名である。もちろん、俺も知っていた。


「そこの校長と古い仲でね、その人に君や宇宙クンを見せたんだ。まあ、宇宙クンの場合はたまたま病室に居合わせただけなんだけどね」


 俺は息を呑み、黙って聞いていた。


「あ、宇宙クンが心配かい? 彼女は大丈夫だよ。それは僕が身を持って保証する。それより、話の続きをしよう」


 俺は気になっていた宇宙の安否を聞いても何も言わずにただ、黙って聞くことしかできなかった。


「で、先に説明しておくと、僕ら人間の魔力と神様のそれは全く質が違う。まあ、一般人からして見れば両方とも同じように見えるんだけどね。そして、僕らはその違いを知っている。ここまで言えばわかるよね?」

「ああ……一ついいか?」

「なんでもどうぞ」


 俺はロドルフに聞こえないほど小さく咳払いをして、息を整えた。


「あんたらのプライベートかもしれないが、違いがわかる理由について聞かない方がいいか?」

「あー、それは僕と彼女だけの話じゃなくなるから、ちょっと無理かな」


 そう言いながらロドルフは折れたシャツの端を直す。


「……そうか」


 俺の残念そうな返答を気にもせず揚々としている。


「んー、伝えるべきことはそれくらいかな。あ、あと君は今日で退院していいからね。詳しいことは宇宙クンから聞いてね。それじゃ」


 そう言い残してロドルフは病室を去って行った。

 それは何かを避けているようにも見えた。

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