CHAPTER 09:デッドマンズ・ハンド

「逆賊がよくぞ申したものよ、イザール侯爵」


 アルフォンス・リムザン伯爵は”赫薔薇姫ローゼン・ロート”を見下ろして、呵々と笑声を上げた。


「まわりをよく見てみるがいい。貴公はもはや袋のネズミも同然。いくら虚勢を張ったところで、勝ち目など万に一つも……」


 リムザン伯爵の言葉を遮るように、ローゼン・ロートの腕が動いた。


 正眼に構えた大剣ファルシオンを大上段に振りかぶったところまではよい。

 問題はそのあとだ。

 剣はそのまま頭上を過ぎ、やがて背中に剣脊をぴたりと密着させた奇怪な体勢を形作ったのである。


 六騎のブラッドローダーがおもわず立ち止まったのも無理からぬことだ。

 いま攻撃を仕掛けるのはたやすいが、イザール侯爵がなにかを企んでいることは想像に難くない。

 見え透いた罠に、我が身を危険にさらしてまで飛び込もうという者はいなかったのだ。


 倏忽の疾さで大剣が振り下ろされたのは次の刹那だった。

 ローゼン・ロートは、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも最強のパワーをもっている。

 いまイザール侯爵は愛機の力のすべてを集中し、文字どおり渾身の一撃を繰り出したのだった。

 いかなる重装甲も粉砕する一撃は、しかし、周囲の敵を狙ったものではない。

 衝撃波をまとった大剣が烈しく打ったのは、みずからの足元――――乾いた大地だ。


 その威力は、地表を深々とえぐるのみならず、地下数十キロに存在する地殻さえも断ち割った。

 間欠泉のように吹き上がった土砂の総量はゆうに数億トンをくだるまい。

 濃密な砂塵によって太陽光が遮られたことで、周囲はにわかに暗黒の世界へと変じた。


 むろん、これだけではブラッドローダーの高性能センサーを無力化することは不可能だ。

 それでも、ローゼン・ロートの姿を直接目視できなくなったことで、六人の吸血鬼貴族たちの背筋を冷たいものが駆け抜けていく。


「おのれ、こしゃくな真似を――――」


 六騎のブラッドローダーは、ほとんど同時に斥力フィールドを展開する。

 それが仇となったことを彼らが理解したのは次の瞬間だった。

 土色の紗幕ヴェールを裂いて飛来したへの反応が、ほんのわずか……時間にして千分の一秒ほど遅れたのである。

 すでにバリアを張ったという安堵感が、歴戦の吸血貴族をして一瞬の間隙を生ぜしめたのだ。


「ぐ……おおおっ!?」


 悽愴な叫び声を上げたのはガントラン準男爵だ。

 彼の愛機アレス・ヴァルツァの胸には、無骨な鉄塊が生えている。

 ローゼン・ロートが投擲した大剣ファルシオンである。

 アレス・ヴァルツァの背中に突き刺さった剣は、コクピットを貫通し、乗り手ローディの鮮血にまみれたするどい切っ先を覗かせているのだった。

 心臓を破壊されたガントラン準男爵が即死したのは、彼にとってあるいは幸運であったのかもしれない。


「どうした、ガントラン準男爵――――!?」


 フランチェスカッティ卿の言葉はそこでふっつりと途切れた。

 自分の意志で黙り込んだのではない。

 口を利こうにも、それいじょう言葉を継ぐことができなかったのである。

 大剣を捨て、身軽になったローゼン・ロートは、おそるべき速度でキドロンの背後に回り込んだのだ。

 キドロンの胴体は深緋色のかいなにきつく締め上げられている。全ブラッドローダー中最強のパワーをまともに受けた装甲には、みるまに無数の亀裂クラックが走っていく。


「あ……が、ぐ……」


 フランチェスカッティ卿は苦悶の声を洩らす。

 刹那、めきめき――と、耳ざわりな破壊音が一帯を領した。

 ローゼン・ロートの桁違いのパワーに耐えきれず、キドロンが内側から爆裂したのである。

 時期外れの赤い雨が砂を濡らしていく。

 千々に砕け散ったアモルファス合金製の装甲、機体を循環していた流体素子、そしてフランチェスカッティ卿自身の肉片と血が混じり合った、それは酸鼻きわまる驟雨であった。


 薄れゆく砂煙のなかに佇立したローゼン・ロートは、両腕の汚れを払いながら残った敵を一瞥する。


「さて、卿らのプレイヤーは二人減った。ゲームを降りるフォールドならいまのうちだが、まだやるかね?」

「図に乗るな、ラルバック・イザール!! 姑息な奇策がたまたま成功したまでのこと。これしきで勝ったつもりとは片腹痛いわ!!」


 イザール侯爵の不敵なに、リムザン伯爵は怒号をもって応じる。

 圧倒されていたモーレヴリエ兄弟とズルツバッハ伯爵夫人も、伯爵の大喝を浴びて我に返ったようであった。

 生き残った四騎がすばやく戦闘態勢を取ったのを認めて、イザール侯爵は満足げにうなずく。


続行コールか。――――そうこなくては面白くない」


 イザール侯爵が言い終わるのを待たずに、四つの機影が宙に踊った。


「死ねッ、裏切り者!!」


 先陣を切ったのはリムザン伯爵のグロヴィデンスだ。

 得物は十メートルはあろうかという長大な棍棒グラブである。

 伸縮式のそれは、縮まった状態でシールドの裏に収納されていたのだ。


 一方のローゼン・ロートは、大剣ファルシオンを投擲したために丸腰の状態である。

 いかに聖戦十三騎といえども、素手で武器を持った敵と戦うことはむずかしい。

 

 ローゼン・ロートがアレス・ヴァルツァの残骸に刺さったままの大剣を回収しようと動いたまさにそのとき、グロヴィデンスの棍棒が異様な動きをみせた。


 一本の金属棒としか見えなかった棍棒がにわかに、螺旋を描きつつ中空を滑ったのである。

 棍棒とはあくまで仮の姿にすぎない。その実態は、無数の節からなる鞭なのだ。

 数多あまたあるブラッドローダーの武装のなかでもひときわ異彩を放つそれは、リムザン伯爵が帝都の武器職人に特注した逸品であった。

 鞭はまるで生けるがごとくうねりつつ、アレス・ヴァルツァの残骸に突き刺さった大剣を絡め取る。


 首尾よくローゼン・ロートの大剣を奪い取ったリムザン伯爵は、してやったりとばかりに哄笑する。

 

「く、く、く……さしものイザール侯爵も、武器がなくては戦うこともできまい」

「そうかな?」

「この期に及んで虚勢を張るとは元選帝侯らしくもない。みぐるしい悪あがきはやめ、潔く敗北を認めるがよかろう」


 そのあいだにも、モーレヴリエ兄弟のラングロアとヴァルプルガは左右、ズルツバッハ伯爵夫人のクレパスキュルは背後から、ローゼン・ロートを包囲しつつある。


 重装甲をほこるローゼン・ロートも、四方から一斉に攻撃を仕掛けられればひとたまりもない。

 強行突破を図ろうにも、素手で相手取ることができるのは前後左右いずれかの敵だけだ。

 一騎を片付けているあいだに集中攻撃を浴びては元も子もないのである。


「いよいよ進退窮まりましたわね、ラルバック・イザール殿。いいかげん観念なさってはいかが?」


 ズルツバッハ伯爵夫人は「ほほほ」と艶めかしくも残忍な嘲笑を放つ。


「もはや逃げ場はないぞ、反逆者」

「我ら兄弟、たとえ貴様と刺し違えることになろうとも悔いはない。いざ――――」


 ギュスターヴとオリヴィエの兄弟は怪気炎を上げつつ、じりじりと左右から間合いを詰めてくる。


 四騎のブラッドローダーは、クレパスキュルの電子戦能力によって完璧なコンビネーションを構築している。

 ローゼン・ロートがどう動いたとしても、攻撃のタイミングを逸するおそれはないということだ。

 たとえひとりが仕損じたところで、残る三人が確実にとどめを刺すのである。


 まさしく四面楚歌。

 最大の武器を失ったいま、ローゼン・ロートに逆転の目はないと言ってよい。

 にもかかわらず、イザール侯爵には寸毫ほどの焦りもみられない。

 それどころか、絶体絶命の死地にはおよそ似つかわしくない余裕すら漂わせている。


「かかれ!!」


 リムザン伯爵が叫ぶが早いか、四つの巨影はほとんど同時に地を蹴っていた。

 目指すはローゼン・ロート、否、イザール侯爵の首級くびひとつ。


 烈しい衝撃と轟音が大気を震わせたのは次の瞬間だった。

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