CHAPTER 08:エース・アンド・ジョーカー

「たいした自信だな、――――」


 レイエスの槐丸えんじゅまるを見据えて、アラナシュは鼻で笑う。


「だが、お高くとまっていられるのもいまのうちだ。しょせん格下の雑魚どもとしか戦ってこなかった貴様に、真の最強というものを教えてやる」


 イクシュヴァークの姿が幻みたいにかき消えたのは次の瞬間だった。

 瞬刻のうちに最高速度に達した翡翠色の機体は、ほとんど直角に軌道を変化させ、槐丸の背後に回り込む。

 いかにブラッドローダーといえども、これほど急激な機動をおこなえば、機体と乗り手ローディの双方に多大な負荷がかかる。

 Gを打ち消す慣性制御装置イナーシャルコントローラーを限界まで稼働させてなお、アラナシュの全身の骨はみりみりと軋りを立てている。

 

 姿勢を転換するが早いか、イクシュヴァークは大戦斧ガンダサを繰り出す。

 斧で斬りつけるのではなく、先端に装着された槍の穂で突こうというのだ。

 するどい突き技は、その出足の疾さにくわえて、長柄武器ポールウェポンならではのリーチを最大限に活かすことができる。

 鋭利な穂先が槐丸の背中を捉えた。

 この間合いなら、万が一にも仕留めそこねることはない。――そのはずだった。


「うっ――――!?」


 アラナシュがおもわず洩らした驚嘆の声は、するどい剣戟音にかき消された。

 

 槐丸の背中に触れるかというまさにその瞬間、大戦斧の穂先は、空間を裂いて奔った銀閃に弾き飛ばされたのである。

 槐丸が長剣を逆手に持ち替え、後方に斬撃を放ったのだ。

 ブラッドローダーのセンサーは、言うまでもなく全方位をくまなくカバーしている。機体の正面がいずれの方向を向いていようと、乗り手ローディは周囲の情況を完全に把握することが可能なのだ。

 それでも、すさまじい速度で迫りくる刀槍にたいして、背を向けたまま応戦するのは至難の業だ。

 使い手がひしめく至尊種ハイ・リネージュにあって、レイエス・カリーナ侯爵がただひとり剣聖の称号を許される所以であった。


 身の丈ほどもある長剣をくるりと掌で回転させた槐丸は、ふたたびイクシュヴァークと対峙する。

 下段の脇構え。切っ先を足元よりさらに下に置く独特の姿勢は、地面が存在しない空中でのみ取りうるものだ。

 一方のアラナシュは、大戦斧を短く握り、右肩の副腕を展開しつつ突撃チャージの準備に入っている。


「正面ががら空きとは舐められたものだ。遊んでいるつもりか、レイエス」

「さて――――これが戯れかどうか、その身で試してみるがいい」


 レイエスが言い終わらぬうちに、イクシュヴァークが動いた。

 全身に内蔵された推進器スラスターを全開させた翡翠色の機体は、槐丸めがけて猛然と加速していく。

 最高速度に達するまでは一秒とかからなかった。

 斥力バリアフィールドを前面に集中させ、イクシュヴァークは機体そのものを一個の凶器に変えて槐丸を急襲する。

 

 と、槐丸の構えがふいに変化した。

 脇構えはそのままに、長剣の切っ先をさらに下げたのである。

 機体の正中線と刀身がほとんど垂直になっている。

 両手が柄尻にちかい部分を握っていることもふくめて、それは摩訶不思議な構えだった。


(ばかげた構えだ。気でも狂ったか、レイエス――――)


 胸中に芽吹いたわずかな不安をかき消すように、アラナシュはそのまま突撃を敢行しようとする。


――だめだ、アラナシュ!!


 突如として頭に響いたハルシャの声に、アラナシュはわずかに針路を変えていた。

 ハルシャというよりは、ふたりが共有する本能に従っただけの、ほとんど無意識の動作。


 槐丸の剣が倏忽の疾さで動いたのは次の刹那だった。

 薄い大気を裂いて、銀閃が真一文字に奔る。

 深い地の底から、はるか天のいただきへと。

 その軌跡に沿って刃から剥がれていったのは、極超音速の衝撃波ソニックブームである。

 不可視の刃は触れたものをことごとく――堅牢きわまりないブラッドローダーの装甲さえ紙のように斬断する。

 なによりおそろしいのは、斬撃が放たれたあとでは回避することも不可能にちかいということだ。


「くっ!!」


 衝撃波が通り過ぎたのと、イクシュヴァークの一部がちぎれ飛んだのと同時だった。

 微細な破片となって空を舞うのは、大戦斧を掴んだまま切断された右前腕だ。

 それだけの被害で済んだのはもっけの幸いというべきだろう。

 もしあのまま突撃をつづけていれば、イクシュヴァークは乗り手ローディごと真っ二つに斬断されていたはずであった。

 

「躱したか」


 レイエスはあいかわらず感情のこもらぬ声で呟く。


「無駄なことだ、サイフィス侯爵」

「なに?」

「結果はわかりきっている。其許に勝ち目はない」


 あくまで恬淡としたレイエスの態度は、かえってアラナシュの闘争心を刺戟することになった。


「あまり図に乗るなよ、レイエス。たかが片腕を落とした程度で勝ったつもりとは片腹痛い――――」


 言い終わるが早いか、イクシュヴァークの左手首からするどいものが伸びた。

 まばゆい銀光を放つそれは、ゆるく湾曲した三日月刀シミターだ。

 手首に内蔵されていた流体金属を噴射し、その場で硬化させたのである。

 間合いリーチの長さこそ大戦斧には及ばないものの、その切れ味はじゅうぶん主兵装として通用する。

 そこにアラナシュの卓越した操縦技術を加味すれば、右腕を失ってなおイクシュヴァークの戦闘力はほとんど低下していないのだ。


「理解しかねるな」


 長剣を右八双に構えつつ、レイエスはひとりごちるみたいに言った。


「勝てぬ相手に挑み、いたずらに苦しみを長引かせる。其許らがそうまでして戦いにこだわる理由はなんだ?」


 レイエスの言葉は、対手あいてへの侮蔑や挑発を目的としたものではない。

 毛ひとすじほどの悪意もなく、ただ純粋な疑問を投げかけているにすぎないのだ。


「ずっと不思議だった。なぜ私より弱い者が、負けると分かってなお戦いつづけるのか……」

「なにを言い出すかとおもえば、くだらん。世間知らずの増上慢めが」


 アラナシュは吐き捨てるように言うと、三日月刀を槐丸に突きつける。


「それほど知りたいなら教えてやる。――――貴様よりのほうが強いからだ」


***


 高々と舞い上がった砂塵が日差しをさえぎった。

 砂粒が落ちるよりも疾く轟いたのは、剣と剣を打ち合わせる甲高い音だ。

 宝石のような装甲をきらめかせつつ、七つの機影が躍動する。


 否。より正確には、一対六と言うべきだろう。

 深緋色の装甲をまとった一騎は、ラルバック・イザール侯爵の愛機”赫薔薇姫ローゼン・ロート”である。

 それと相対する六騎は、それぞれ異なる色彩を帯びたブラッドローダーたちだ。


 すなわち――

 リムザン伯爵の”グロヴィデンス”。

 ガントラン準男爵の”アレス・ヴァルツァ”。

 フランチェスカッティ卿の”キドロン”。

 近衛騎士ギュスターヴの”ラングロア”。

 その双子の弟である近衛騎士オリヴィエの”ヴァルプルガ”。

 ズルツバッハ伯爵夫人の”クレパスキュル”。


 地上に降りた六騎のブラッドローダーは、ただちにイザール侯爵との戦闘に突入した。

 道中、血気盛んなオリヴィエがアラナシュの挑発に乗せられ、あわや撃破されかかるというアクシデントこそ生じたものの、一同にとってはそのことがかえって幸いした。

 最年少の若武者の暴走は、独断専行を辞さない貴族たちをして身勝手な行動を控えさせ、全員が一丸となって敵に当たることを誓わしめたのである。


「逆賊ラルバック・イザール、お命頂戴!!」

 

 裂帛の気合とともに、ガントラン準男爵のアレス・ヴァルツァがローゼン・ロートめがけて踊りかかる。

 手にしているのは左右一対の短槍ランスだ。

 ふだんは寡黙な男だが、こと短槍を使わせれば帝都でも指折りの達人と目されている人物である。


 イザール侯爵は右手の大剣ファルシオンで短槍の連撃を受け流しつつ、ローゼン・ロートをすばやく後退させる。

 と、間髪を入れずに光の矢の雨が降り注ぎ、ローゼン・ロートの装甲に傷をつけた。


「わがキドロンの矢の味はいかがかな、侯爵閣下――――」


 傷ついたローゼン・ロートを見下ろして、フランチェスカッティ卿は嗜虐的な哄笑を上げる。

 そのあいだにも、彼の愛機キドロンは両手で構えた弩弓アーバレストから二の矢、三の矢を放っている。

 ブラッドローダーの武装としてはめずらしい飛び道具だが、むろんただ矢を飛ばすだけの兵器ではない。

 電磁カタパルトを用いて発射された矢は空中でプラズマ化し、摂氏一万度を超える光の矢となって標的を破壊する。

 むろん、それだけでは聖戦十三騎エクストラ・サーティーンクラスのブラッドローダーを撃破することはむずかしい。

 キドロンの真価は、一騎討ちではなく、味方の援護に用いられたときに最大限に発揮されるのだ。


 はたして、休む間もなく攻撃を受けたことで、ローゼン・ロートにはわずかな隙が生じている。


「オリヴィエ、先刻の醜態を雪ぐ好機ぞ!! 兄に続け!!」

「承知!!」


 砂塵を巻いて飛びかかったのは、モーレヴリエ兄弟のラングロアとヴァルプルガだ。

 これ以上は望みえないだろう完璧なコンビネーション。

 吸血鬼としては世にもめずらしい一卵性双生児である彼らだからこそ実現できる芸当だ。

 乗り手ローディだけではない。彼らが駆るラングロアとヴァルプルガもまた、まったく同一の設計プラットフォームを共有する姉妹機なのである。

 通常、一騎ごとに独自に設計・開発がおこなわれるブラッドローダーにあって、同一仕様の機体はふたつと存在しない。

 瓜二つの機体は、乗り手の連携を前提として、特例中の特例として建造されたのだった。

 先の戦いで鉄球を失ったヴァルプルガは、兄のラングロアとおなじ長剣ロングソードを装備している。

 装備を統一したことで、連携にますます磨きがかかったことはあえて言うまでもない。

 かろうじて致命傷こそ免れているものの、ローゼン・ロートの装甲には、いまこの瞬間もひとつまたひとつと傷が刻まれていく。


「名にし負うイザール侯爵も、さすがにこの数が相手では手も足も出ないとみえる――――」


 防戦一方のローゼン・ロートを眺めて、リムザン伯爵は呵々と哄笑を放った。

 彼の愛機グロヴィデンスは、ズルツバッハ伯爵夫人のクレパスキュルとともに後方に控えている。

 彼が全員を指揮する立場であることにくわえて、電子戦能力によって味方を援護しているクレパスキュルを護衛するためだ。クレパスキュルも自衛用の武装は搭載しているとはいえ、ローゼン・ロートとまともに戦えば勝ち目はないのである。

 

 攻撃の嵐がふいに熄んだのはそのときだった。

 砂塵がもうもうとたちこめるなか、静寂の帳がつかのま戦場を包み込む。


 と――砂の切れ間から深緋色の輝きが洩れた。

 大剣ファルシオンを右肩に担いだローゼン・ロートは、六騎のブラッドローダーを一瞥する。

 苛烈な攻撃に晒されたにもかかわらず、その装甲には傷ひとつ見当たらない。

 わずか数秒のうちにナノマシンが増殖し、表層の傷を埋めたのだ。

 聖戦十三騎ならではの強力な自己修復能力の賜物であった。


「卿らは知っているか?」


 ラルバック・イザール侯爵は、絶体絶命の窮地にあるとはおもえない悠揚迫らぬ声音で告げる。


「何枚カードを揃えたところで、たった一枚のAエースに勝てぬということを――――」

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