CHAPTER 07:ロング・ショット

 高度三十万メートル――――成層圏上層。


 いま、漆黒の空をおそるべきスピードで駆けていく影は七つ。

 剣聖レイエス・カリーナ侯爵の聖戦十三騎エクストラ・サーティーン槐丸えんじゅまる”を筆頭とする七騎のブラッドローダーだ。

 数分まえに帝都を飛び立った彼らは、いったん急上昇したあと、へと針路を取った。


 聖戦十三騎にかぎらず、すべてのブラッドローダーには、重力制御装置グラヴィティ・コントローラーが搭載されている。

 重力のくびきから解き放たれたブラッドローダーは、大気圏内での飛行は言うに及ばず、独力での大気圏離脱さえ可能なのだ。

 大気密度が希薄な高高度において、その巡航速度はマッハ十五にも達する。

 エンジンの吸気・燃焼音も噴射炎ブラストもなく、まったくの無音で飛行する七騎には、どこか静物画みたいな雰囲気さえ漂う。


「侯爵閣下、本当によろしいのでございますか?」


 エレノア・ズルツバッハ伯爵夫人は、おそるおそるレイエスに問いかける。

 彼女のブラッドローダー”クレパスキュル”は、槐丸のすぐ後方に位置している。

 バラの花弁をおもわせるペールオレンジの優雅な装甲をまとった機体は、万能型のブラッドローダーとしては珍しく、電子・情報戦能力にすぐれた性能を有している。

 ただ敵の情報ネットワークを破壊するだけでなく、味方を効率的に指揮する空中管制機AWACSとしても機能するのである。

 薙刀と重厚な円形盾ラウンドシールドを装備しているため、万が一白兵戦に持ち込まれても問題はない。

 

「作戦に変更はない。其許らは手はずどおり行動せよ」

「し、しかし……」

「聞こえなかったか?」


 例によって冷たくするどいレイエスの声に、ズルツバッハ伯爵夫人は「はっ」と短く応じるのがせいっぱいだった。


「まもなく戦闘区域に入る。リムザン伯爵、指揮はまかせる」

「承知いたしました」


 言うが早いか、それぞれ異なる色をまとった六騎のブラッドローダーは、槐丸とは別のコースを取りはじめた。


 赤――アルフォンス・リムザン伯爵の”グロヴィデンス”。

 青――ガントラン準男爵の”アレス・ヴァルツァ”。

 黄――フランチェスカッティ卿の”キドロン”。

 金と銀――近衛騎士ギュスターヴ・モーレヴリエの”ラングロア”と、その弟オリヴィエ・モーレヴリエの”ヴァルプルガ”。

 橙――ズルツバッハ伯爵夫人の”クレパスキュル”。


 六騎のブラッドローダーは、摩擦熱に装甲を輝かせつつ、横並びの陣形を保ったまま大気圏へと再突入していく。


 ほとんど垂直の急降下。

 隕石なら跡形もなく燃え尽きているはずだが、この程度の熱でブラッドローダーの装甲が損傷することはない。いかなる極限環境においても、乗り手ローディが完全に保護されていることはあえて付け加えるまでもないだろう。

 超高温・高圧の乱気流をかきわけつつ、六騎は会敵予想地点めがけて一気に空を駆けくだる。


「下方より敵接近!!」


 ズルツバッハ伯爵夫人が叫んだのはそのときだった。

 クレパスキュルの高性能センサーがはるか彼方の敵影を捉えたのだ。

 翡翠色ジェイドグリーンの装甲をきらめかせながら、降下中の六騎と真っ向から向かい合う格好で急上昇してくる。


「おのおのがた、ただちに戦闘準備を――――」


 リムザン伯爵の言葉をかき消すように、戦場には不似合いな高笑いが響いた。

 一同にむかって接近中のブラッドローダー”イクシュヴァーク”から放たれたものだ。


「うろたえるな、雑魚ども。この俺と剣を交える資格があるのは剣聖レイエスのみ。おまえたち一山いくらの有象無象はラルバック・イザールにくれてやるわ」


 アラナシュは嘲るように言い放つ。

 耐えかねたように怒号を放ったのはモーレヴリエ兄弟の弟オリヴィエだ。


「おのれ、サイフィス侯爵!! 逆賊の分際で、どこまでも我らを愚弄するか!!」


 兄ギュスターヴは「よせ」と制止するが、オリヴィエの愛機ヴァルプルガはすでに隊列を離れつつある。

 アラナシュはしめたとばかりに、なおも侮蔑に充ちた挑発をおこなう。


「不服ならどこからでもかかってこい。レイエスと戦うまえの準備運動にはちょうどよい……と言いたいところだが、おまえたちごときでは肩慣らしにもなるまいなあ」

「その言葉、後悔しても遅いぞ!! いざ尋常に勝負――――」


 オリヴィエの叫びに呼応するように、ヴァルプルガの両腕が動いた。

 左右の手には大ぶりな鎖鎌が握られている。

 棘付きの鉄球ハンマーサイスを繋ぐのは、炭素結晶繊維カーボングラスファイバーで編まれた超高分子ワイヤーである。

 塔市タワーの支持材としても用いられる超高分子ワイヤーは、分子間結合の粗密を調整することで、自在にその硬度を変化させることができる。

 すなわち、分子間の結合度を緊密にすればいかなる刃も通さず、逆に緩めれば水のように柔軟な性質を帯びるようになるということだ。

 変幻自在の軌道をえがく鉄球で敵を打ちすえ、弱ったところに鎌の一閃を浴びせる……。

 近衛騎士オリヴィエ・モーレヴリエは、鎖鎌のおそるべき使い手として帝都にその名を知られた猛者なのだ。


「わが鉄球をとくと味わえ、サイフィス侯爵ッ!!」


 オリヴィエが叫ぶが早いか、鉄球がイクシュヴァークめがけて飛んだ。

 むろん鉄球とはあくまで便宜上の名称だ。その実態は、きわめて比重の重い元素を極限まで圧縮した超高密度合金の塊である。

 この世で最も密度の高い金属塊を、マッハ五◯を超える超高速で叩きつけようというのだ。

 いかにブラッドローダーといえども、まともに直撃すれば無事では済まない。

 斥力フィールドも堅牢なシールドも、圧倒的な質量のまえには無力なのだ。


「死ねッ!!」


 ゆるい弧を描いていたワイヤーがふいに直角に折れた。

 鉄球はほとんど直角の軌道を取ってイクシュヴァークへと殺到する。

 もし紙一重のところで躱されたとしても、ふたたび軌道を変えて襲いかかるのだ。

 標的を撃破するまで執拗に追尾しつづける、それはおそるべき死の猟犬にほかならなかった。


 鉄球が静止したのは次の瞬間だった。


「なに――――!?」


 信じがたい光景を目の当たりにして、オリヴィエはおもわず驚愕の声を洩らす。

 イクシュヴァークの右腕がおおきく展開し、巨大な鉤爪クローが鉄球を掴み取っているのだ。


「くくく、鉄球か。突撃しか能のない猪武者にふさわしい武器であることよ」


 アラナシュが言うが早いか、鉄球の表面に無数のヒビ割れが走った。

 桁外れの質量と強度をほこる超高密度合金といえども、物質であることに変わりはない。

 分子間のわずかな間隙にをさしこまれれば、みずからの質量に耐えきれずに自壊するのだ。

 イクシュヴァークの鉤爪にびっしりと植え込まれた、数百億になんなんとするナノサイズの高周波カッター集合体――分子破壊兵器”ブラフマシラス”。

 もともとはアルダナリィ・シュヴァラの外付け装備アーマメント・ドレスのひとつだったものを、急遽イクシュヴァークに移設したのである。


「なにを呆けている。お楽しみはまだこれからだ」


 イクシュヴァークは左腕に持ち替えた大戦斧ガンダサをワイヤーに絡めると、手首を回転させつつ一気に巻き取っていく。

 ワイヤーを切断して逃れようにも、けっして切れることのない高強度素材がかえって仇になった。

 このうえ鎌まで手放してしまえば、ヴァルプルガは抵抗する術をまったく失うことになるのだ。

 ヴァルプルガはなすすべもなくイクシュヴァークのもとへ引き寄せられていく。


 ひとすじの銀閃がイクシュヴァークとヴァルプルガのあいだに迸ったのはそのときだった。

 

「カリーナ侯爵閣下!?」


 オリヴィエはおもわず叫んでいた。


 二機からやや離れた場所には、長剣をたずさえた白い機体が浮遊している。

 レイエスの操る槐丸えんじゅまるだ。抜き打ちの一閃で衝撃波を放ち、ワイヤーを切断したのである。

 衝撃波の刃を飛ばす技自体はさして珍しくもない――というよりは、至尊種ハイ・リネージュの剣術においては基本中の基本と言ってもよい。


 もっとも、それは大気の密度が高い地上や低空での話だ。

 大気圏に接するほどの超高高度では、衝撃波を伝える空気そのものの密度が低い。 

 当然、斬撃の威力はおおきく減衰することになる。

 そのような過酷な環境下においても、地上のそれとなんら遜色ない技を繰り出すことができるのは、ひとえに剣聖レイエスの天才ゆえであった。

 

 身の丈ほどもある長剣をかまえた槐丸は、イクシュヴァークとヴァルプルガのあいだを遮るように佇む。

 一瞬の静寂のあと、冷たく澄んだ声がオリヴィエの耳朶を打った。


「ここは私が引き受ける。くゆけ」

「しかし、侯爵閣下……!!」

「其許ではこの男には勝てぬ」


 あくまで冷厳なレイエスの言葉に、オリヴィエはただ沈黙するばかりだった。


 ふたたび隊列に戻っていくヴァルプルガに、アラナシュはもはや一瞥もくれなかった。

 貴様など最初から視界に入っていなかった――といわんばかりの傲岸きわまる態度。

 それは、戦場において真の強者だけに許されるふるまいであった。


 六騎が大気圏へと突入したあと、つかのまの静寂が一帯を領した。

 黒い空を後景に、イクシュヴァークと槐丸は真っ向から対峙する格好になった。


「この俺との一騎討ちをご所望とは光栄至極だな、剣聖レイエス」


 アラナシュはどこか皮肉るように言った。


「おまえも雑魚どもにウロチョロされてはかえって迷惑だろう。雑魚どもの始末はに任せておくとしよう」

「口数が多いな、サイフィス侯爵」


 レイエスがひとりごちるみたいに呟いたのと、槐丸が正眼の構えを取ったのと同時だった。


「あいにくだが、私は剣のほかに語る言葉をもたぬ」

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