CHAPTER 06:プレイ・ア・ギャンビット

 乾いた風が赤い大地を渡っていった。


 砂と岩だけがどこまでも広がる単調な景色のなかに、地の果てまで伸びゆく白い線だけがやけにあざやかだった。

 幅一キロをゆうに超えるそれは、大陸を東西に貫く巨大な道路――東西大交易路だ。

 交易路は地上のあらたな支配者となった至尊種ハイ・リネージュが人類にあたえた数少ない恩恵のひとつであり、文明が崩壊しきったこの時代においては、商業と旅行を支えるほぼ唯一のインフラであった。

 ふだんなら隊商キャラバンが行き交う真昼の街道は、しかし、不気味なほどのしずけさに包まれている。

 イザール侯爵領からサイフィス侯爵領にかけて、千キロちかい区間セクションが通行止めになっているためだ。


 いま、中天の太陽を背に、自己再生コンクリートのうえに佇む影はふたつ。


 炎を一瞬に凝結させたような深緋色クリムゾンレッドの重装甲が陽光を照り返してきらめく。

 ”赫薔薇姫ローゼン・ロート”。

 ブラッドローダーの頂点に立つ聖戦十三騎エクストラ・サーティーンにして、歴代のイザール侯爵に受け継がれてきた名機だ。


 その真横に並び立つもう一体は、あざやかな翡翠色ジェイドグリーンの装甲をまとったこちらもブラッドローダーである。


「イザール侯爵よ。だけで充分だと言ったはずだぞ――――」


 翡翠色の機体の乗り手ローディは、苦々しげに吐き捨てる。

 その声音は、サイフィス侯爵家の当主ハルシャ・サイフィスその人だ。

 だが、いま肉体の主導権を握るのは、虫も殺せないほど優しく気弱なではない。

 ふだんは精神の内面にひそむもうひとつの戦闘人格――アラナシュにほかならない。


 そんなアラナシュの挑発に、ラルバック・イザール侯爵はあくまで飄然と応じる。


「貴公も慣れない機体で戦に臨むのは不安だろうと思ってな」

かせ。奴らごとき有象無象を皆殺しにするのに、アルダナリィ・シュヴァラを持ち出すまでもない」


 サイフィス侯爵家の聖戦十三騎アルダナリィ・シュヴァラは、過日のノスフェライドとの戦いで甚大なダメージを被った。

 最大の武器である六本の腕と四本の脚は跡形もなく消滅し、頭部と胴体だけがかろうじて残ったというありさまなのだ。

 リーズマリアのもとに馳せ参じるべく修復を進めているものの、ブラッドローダーは通常の機械のように部品を交換すればよいというものではない。ナノマシンによる高度な自己再生能力をもつブラッドローダーは、傷ついた生物が回復するのとおなじように、みずからの自然治癒力によって健全な状態に復していくのである。

 アルダナリィ・シュヴァラの戦列復帰が叶うのは、まだ当分先のことであった。


 いまハルシャとアラナシュが操るのは、サイフィス侯爵家が所有するブラッドローダー”イクシュヴァーク”。

 なんらかの理由でアルダナリィ・シュヴァラが使えない場合にそなえて家中に保管されていた、いわば予備スペアである。


 むろんイシュヴァークもけっして非力な機体ではないが、聖戦十三騎に較べれば数段格が落ちるのも事実である。

 まして剣聖レイエスを筆頭とする精鋭七騎が相手となれば、苦戦を強いられるのは必定だ。

 にもかかわらず、アラナシュの態度には寸毫ほどの不安も感じられない。

 それどころか、不敵にこう言い放ったのだった。


「戦は多少不利なくらいがちょうどいい。簡単に勝ちすぎては面白くないからな」


***


 ラルバック・イザールとハルシャ・サイフィスのもとに帝都からのが届いたのは、いまを遡ること一両日まえのことだ。


 差出し人は十三選帝侯クーアフュルストレイエス・カリーナ侯爵である。

 高位の貴族同士の合戦においては、交戦に先立って書状を相手方に送るのが礼儀とされている。

 たとえ逆賊の討伐であっても、その作法に変わりはない。

 形式的には両侯爵の不義不忠を弾劾し、帝都へのすみやかなる出頭を求めるという体裁を取っているが、それが建前にすぎないこともレイエスはむろん承知している。

 ――と前置きしたうえで、合戦の場所と日時を示達し、実力行使に及ぼうというのである。


 イザール侯爵とハルシャの側としても、礼儀に則った挑戦を無視することはできない。

 彼らは主君であるリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースにその旨を上申したうえで、急ぎ戦支度に取り掛かった。

 とはいえ、敵はブラッドローダー七騎である。ノスフェライドを始めとする味方側のブラッドローダーを増援に送ることを伝えた。


 それに対するふたりの返答は、奇妙なほどに一致していた。


 すなわち――――皇帝陛下のご宸襟を煩わすに及ばず、と。


***


「剣聖レイエス・カリーナの首は俺がもらう」


 長柄の大戦斧ガンダサを片手で弄いながら、アラナシュは宣言するみたいに言った。


「残りの雑魚どもはイザール侯爵、貴様にくれてやる。しょせんは束になったところでレイエスひとりに及ばない下郎ども。煮るなり焼くなり好きにしろ」

「あいにくだが、剣聖レイエスと干戈を交えるまたとない機会をそうやすやすと貴公に渡すつもりはない」

「文句があるなら、まず貴様から殺してやってもかまわんのだぞ」


 傲然と言ったアラナシュに、イザール侯爵は怒るでもなく、「ならば」と切り返す。   


「ここはひとつ、賭けで決めるとしよう」

「なにをするつもりだ?」


 返答の代わりとでもいうように、両者のあいだでするどい銀光が散った。

 どちらかが剣を抜いたわけではない。

 赫薔薇姫ローゼン・ロートが腰に装着した短刀を外し、互いのちょうど真ん中に掲げたのだ。

 怪訝そうに見つめるアラナシュのまえで、イザール侯爵は短刀の鍔を抜き取る。

 貴族の懐剣らしく、黄金と銀があしらわれた鍔には、裏表両面にそれぞれ異なる意匠の装飾が施されている。


「この鍔を投げ、どちらの面が上になるかを当てるだけの単純なゲームだ。勝ったほうがレイエス・カリーナと戦う権利を得る……」

「おい、イカサマをするつもりではないだろうな。なにしろ貴様の持ち物だ。事前に小細工を仕込むくらいは造作もなかろう」

「信用するかどうかは貴公次第だが、このラルバック・イザール、賭博者ギャンブラーの流儀に反する真似は誓ってせん」


 いつになく真剣なイザール侯爵の言葉に、アラナシュもそれきり黙り込む。


 ややあって、アラナシュは不承不承といった声音で呟いた。


「いいだろう。ラルバック・イザール、今回は貴様の賭けに乗ってやる」

「裏か表、どちらにするかね?」

「……表だ」


 アラナシュの意思ではなかった。

 もうひとつの人格――ハルシャが「表がいい」と告げたのだ。

 知力も運動神経もハルシャを凌駕するアラナシュだが、ただひとつ、能力において圧倒的に劣るハルシャに従うことがある。

 虫の知らせ、勘、あるいは第六感……ともかくも、それら理外の理と呼ぶべき諸法則には、アラナシュよりもハルシャのほうがずっと高い感度をもっている。

 かつてアルダナリィ・シュヴァラが無敵の強さを発揮したのも、アラナシュの比類なき戦闘力に、ハルシャの不思議な直感が加わればこそであった。

 

「では、私は裏ということになるな」

「もたもたしていると敵が来るぞ。さっさとそいつを投げろ、イザール侯爵」


 きいん――と、軽妙な金属音が鳴り響いたのは次の瞬間だった。

 ローゼン・ロートの指が鍔を弾いたのだ。


 陽光を浴びてきらめく鍔は、上空二十メートルほどのところで静止した。

 ひらひらとせわしなく表裏を入れ替えつつ自由落下していく鍔を、イザール侯爵家とアラナシュはじっと見つめている。

 

 ふたたび乾いた金属音が生じたのは、それから数秒と経たないうちだ。

 地面に跳ね返された鍔は、何度目かのバウンドを経て静止した。


「ふむ、これはこれは――――」


 鍔を見下ろして、イザール侯爵は興味深げに呟く。

 望むと望まざるとにかかわらず、一度出た賭けの結果は覆せない。

 イザール侯爵もアラナシュも、あとはそれぞれの戦いの場へと赴くだけなのだ。

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