CHAPTER 05:リーグ・オブ・マスターズ

「おそれながら、選帝侯レイエス・カリーナ閣下とお見受けします――――」


 女は片膝を突くと、レイエスにむかって恭しく頭を下げた。

 しなやかな肢体を包むのは、艶のない黒一色のボディスーツである。

 闇夜から抽出したような黒色は、ただ布地を染め上げたのではない。

 周囲の環境に応じて何十億通りにもパターンを変化させ、着用者を完全に透明化する光学迷彩繊維ホログラフィック・ファイバーで織られているのだ。


 黒い頭巾フードのあいだから無機質な白面の美貌が覗く。

 その双眸を彩るのは、血よりなおあざやかな真紅。

 朱唇のあいだからはするどく尖った犬歯がちらと見え隠れしている。

 いずれも純血の吸血鬼の証であった。


 レイエスは冷たい瞳で黒装束の女を見据えたまま、


「ザウラク侯爵の手の者か」


 と、感情のこもらぬ声で問うた。


「いかにも左様にございます。わが主君、アイゼナハ・ザウラク侯爵閣下よりの密書をお届けに参上しました」


 正体を言い当てられた女は、べつに驚いたふうもなく、鉄の弦を弾いたような声音で応じる。

 警戒システムを難なくすり抜ける高度な欺瞞カモフラージュ技術も、レイエスには通用しない。

 おそらくは庭園に足を踏み入れた瞬間から――あるいは、帰宅する彼を尾行しているときから、女はその存在を気取られていたにちがいないのだ。


「其許の名は?」

「主君にはシャッテと呼ばれております」


 影――シャッテの手から密書を受け取ったレイエスは、その場で封印を解く。


 アイゼナハ・ザウラク侯爵は、いまや至尊種ハイ・リネージュ全軍を率いる総大将の地位にある。

 その彼が剣聖の称号を持つレイエスと表立って面会の場をもうければ、その噂はたちまち帝都じゅうに広がるだろう。

 リーズマリア陣営との戦が近いことを察した諸侯たちが浮足立つことは想像に難くない。

 密書というかたちでの連絡を図ったのも、そうした事情を考慮すれば致し方ないことであった。


「……――――」


 レイエスは密書にすばやく目を走らせると、元通りに折りたたむ。


「ザウラク侯爵は、私にラルバック・イザールとハルシャ・サイフィスを討て……と仰せなのだな」

「かの者らはリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースに与する裏切り者にございますれば。此度の任務、お引き受けいただけますか」

「是非もなかろう」


 レイエスはこともなげに言うと、シャッテに密書を返す。


「ところで、手勢としてブラッドローダー三十騎を随伴させる……とあったが」

「三十騎で不足と仰せならば、さらに増強するように主君にお伝えしますが――――」

「そうではない」


 シャッテの言葉を遮ったレイエスは、ぽつりと呟く。


「多すぎる。目立たずに動けるのは、私をふくめて七騎がせいぜいであろう」


 その言葉に、シャッテはおもわず目を見開いていた。

 いかに剣聖とはいえ、聖戦十三騎を撃破するのは容易ではない。

 ことによれば、ノスフェライドやゼルカーミラ、イシュメルガルといったリーズマリア陣営が保有するブラッドローダーが参戦してくる可能性もある。

 三十騎でも作戦成功が危ぶまれるというのに、わずか七騎で充分とは、およそ正気とはおもえない発言であった。


「シャッテとやら、ザウラク侯爵にはこう伝えるがいい。戦場に連れていく者は私自身がえらぶ。その人選については、どうか口出し無用に願いたい……と」


 常と変わらぬ氷のような美声。

 その内奥には、しかし、有無を言わさぬ気迫が宿っている。

 シャッテは「御意にございます」とだけ答えると、密書を携えてふたたび庭園の闇へと消えていった。


***


 総大将アイゼナハ・ザウラク侯爵からの正式な命令書がレイエスのもとに届いたのは、それから数日後のことだった。

 言うまでもなく、その内容は十三選帝侯ラルバック・イザールおよび同ハルシャ・サイフィスの討伐である。


 それまでに、レイエスは同行させる部下の選定を終えている。

 いま、レイエスの屋敷に集った者は六人。


 すなわち――――

 アルフォンス・リムザン伯爵。

 ジャン・クロード・ガントラン準男爵。

 エレノア・ズルツバッハ伯爵夫人。

 近衛騎士ギュスターヴ・モーレヴリエと、その双子の弟でありおなじく近衛騎士のオリヴィエ・モーレヴリエ。

 上級審問官カプリオーロ・フランチェスカッティ卿。


 爵位も所属する部署もまったく異なる彼らには、ふたつの共通点がある。

 ひとつは、純血の至尊種ハイ・リネージュであること。

 そしてもうひとつは、全員がたぐいまれな技量をもつ戦士であるということだ。

 ここにレイエス自身を加えた七人が、今回の任務に参加する全戦力であった。

 

「我ら六名、御諚により参上仕りました。剣聖レイエス・カリーナ閣下じきじきのお召しいだし、まこと身に余る光栄に存じます――――」


 恭しく頭を下げたのは、黒い軍服に身を包んだ美丈夫だ。

 アルフォンス・リムザン伯爵。

 帝都防衛軍団から出向した彼は、当代随一の鞭の使い手としても知られている。

 招集された六人のなかで最も高い地位にあることから、一同を代表してレイエスに感謝の辞を述べたのである。


 レイエスは居並ぶ六人にざっと視線をめぐらせると、


「此度の任務、其許らの生命の保証はしかねる。辞退したいという者がいれば、いまのうちに名乗り出てほしい」


 あくまでそっけなく告げた。


 重い沈黙が一人と六人のあいだに降りた。

 筆頭格であるリムザン伯爵も、言葉の接ぎ穂を探しあぐねているようであった。

 と、ふいに割れ鐘のような笑い声が上がった。


「剣聖ともあろう御方が異なことを仰せられる。よもや我らのなかに臆病風に吹かれるような者がいるとお疑いか?」


 レイエスにむかって慇懃に問うたのは、ゆったりとした法衣をまとった大柄な男だ。

 男が肩を揺すって笑うたび、太い首にかかった黄金の首飾りゴルゲットが揺れる。

 その表面には、天秤を携えた女神のレリーフが刻まれている。

 至尊種ハイ・リネージュの法を司る最高法院のシンボルであった。


「閣下の御前である。控えよ、フランチェスカッティ卿」

「なんの、小生は皆々の本音を代弁したまで。それとも、リムザン伯爵は違うと申されるのかな?」

「なに――――」


 リムザン伯爵がおもわず剣の柄に手をかけたとき、左右から音もなく手が伸びた。

 はたと我に返った伯爵にむかって同時にかぶりを振ったのは、瓜二つの顔をもつ貴公子だ。

 世にもまれな双子の近衛騎士、ギュスターヴとオリヴィエのモーレヴリエ兄弟であった。


「お鎮まりあれ、リムザン伯爵。たしかにフランチェスカッティ卿の態度はいささか礼を失しているが、生命惜しさに逃げ出すような不届き者はこのなかにはおりますまい」

「ぬうっ……」

「我ら兄弟も、ご命令とあればよろこんでこの身を捧げましょう。たとえこの身が砕け散ろうと、かならずや逆賊を討ち果たしてごらんにいれます」


 双子の騎士の宣言に、「ほほ」と鈴を転がしたような声が重なった。


 声の主は、胸元と背中が大胆に開いたドレスをまとった妖艶な美女だ。

 エレノア・ズルツバッハ伯爵夫人。

 伯爵夫人とはいうものの、若くして夫に先立たれた未亡人である。

 派手な暮らしぶりと奔放なふるまいから、帝都の社交界では良くも悪くも名の知れた貴婦人だ。

 

 モーレヴリエ兄弟は、示しあわせたようにするどい視線をズルツバッハ伯爵夫人にむける。


「ズルツバッハ伯爵夫人、なにか言いたいことでも?」

「真正面からぶつかっていく気勢はおおいに結構。けれど、いくさは力押しで勝てるほど甘いものではございませんことよ」


 妖艶な伯爵夫人は、手にした扇子を開くと、そっとその口元に当てる。

 それは、むき出しのするどい牙を隠す所作にほかならなかった。

 

 憤然とその前に進み出たのは、モーレヴリエ兄弟の弟オリヴィエだ。


「ならば訊かせていただくが、力以外でどうやって敵を倒すというのだ?」

「すこしは頭をお使いあそばせ。いかに相手が聖戦十三騎といえども、数のうえではこちらが圧倒的に有利。まして孤立・分断させれば、最小限の犠牲で撃破することもできましょう。わたくしめのブラッドローダー”クレパスキュル”の電子妨害ジャミング能力をもってすれば、敵の目と耳を奪うのはたやすいこと……」


 伯爵夫人はドレスの裾を翻しつつ、レイエスに向き直る。


「僭越ながら、カリーナ侯爵閣下におねがい申し上げます。一番槍の誉れはどうかこの私、エレノアめにお与えくださいますよう。猪突猛進の殿方の下では、生命がいくつあっても足りませんもの」


 ズルツバッハ伯爵夫人の大胆な発言に、一同はにわかにどよもした。

 それも無理からぬことだ。戦場で一番槍をつけることは、至尊種ハイ・リネージュにとってこの上ない名誉とされている。

 それゆえ先陣争いは熾烈を極め、出陣まえに同士討ちを演じることさえしばしばなのである。

 だれもがその栄誉に浴することを望みながら、発言のいとぐちを掴みあぐねていたところに、ズルツバッハ伯爵夫人はまんまと抜け駆けをしてみせたのだ。


「よかろう、ズルツバッハ伯爵夫人」


 期待に目を輝かせる伯爵夫人にむかって、レイエスはあいかわらずそっけない態度で応じる。


「ただし、貴公らにひとつだけ言っておくことがある」

「と、申されますと……?」

「サイフィス侯爵とイザール侯爵、どちらか一方は私がひとりで相手をする。其許らはもう一方の始末をまかせたい」


 レイエスの言葉に、六人の吸血貴族はおもわず顔を見合わせていた。

 ややあって、ズルツバッハ伯爵夫人は震える声で問うた。


「我ら六人でひとりの敵にかかれ……ということですか?」

「そうだ。もとより私に手助けは無用。この言いつけを守れぬというなら、味方といえども斬り捨てる」


 ここに至って、ようやく六人はレイエスの真意を理解したようだった。

 戦場で自分のまわりをうろちょろするな――と、レイエスははっきりそう告げているのだ。

 貴族としてのプライドにくわえて、みずからの技量にすくなからぬ自信をもつ彼らにとっては、ほんらいこの上ない侮辱のはずである。


 にもかかわらず――――


「かしこまってございます」


 一同はただただ恐縮しきった様子でそう答えることしかできなかった。


 元選帝侯の首級くびは莫大な価値をもつ。

 任務成功の暁に得られるだろう見返りは、かりに六人で山分けしてもなお魅力的だ。

 むろん全員が生還できる保証はないが、それはむしろ望むところだった。

 犠牲が出れば出るだけ、生き残った者のは多くなる。


 なにより――――

 どれほど無碍な扱いを受けたとしても、彼らにはレイエスの命令に逆らうことなどできはしない。

 剣聖の刃は、この世のどんな敵よりも恐ろしいのだから。

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