CHAPTER 04:ジ・アタヴィジョン
「君の手を煩わせてしまってすまなかったね、カリーナ侯爵。あとのことは
慇懃に言ったヴィンデミアに、レイエス・カリーナ侯爵は軽く会釈をする。
いま、レイエスとヴィンデミアがテーブルを挟んで向き合っているのは、瀟洒なしつらえの広間だ。
最高法院の内部に設けられた応接室である。
数時間まえ――
帝都に帰着したレイエスは、その足で最高法院に出頭した。
ヴィットリオ・ペルシャイト伯爵とその妻シャルロッテの死を報告するためだ。
ブラッドローダー”
すくなくとも今回の事件において、レイエスの処置には一点の手抜かりもないはずだった。
両名の逮捕には失敗したものの、それも些末な問題にすぎない。
「……脱走を企てた時点で、どのみち夫婦ともに死罪は免れない身だ。彼らの子供にはかわいそうなことだけれどね」
レイエスはなにもいわず、ちいさく肯んずる。
端正な面立ちの少年であった。
束ねた長髪は
ほっそりとした首と手足は、危うくも繊細なガラス彫刻を彷彿させた。
雪を欺く白皙の肌に、
その儚げな佇まいは、一見すると少女のようでもある。
外見がどうあれ、彼は十三選帝侯に列せられる名門カリーナ家の当主にして、剣聖と称される
ここ帝都だけでも、腕に覚えの使い手は数知れない。
剣術指南役ヴィットリオ・ペルシャイトも、そうした猛者たちのひとりであった。
レイエスの技量は、しかし、彼らとは文字どおり隔絶したところにある。
彼らが数百年かけて修行に打ち込み、骨身を削って切磋琢磨したところで、けっして剣聖の域に辿り着くことはできないのである。
人間を圧倒する能力をもつ
動体視力、反射神経、運動能力……およそ身体機能に関するかぎり、彼らは一般的な至尊種をはるかに凌駕している。
一説には、なんらかの原因で真の吸血鬼――旧種族の血が強く顕れた結果であるという。
そんななかで、ごくまれに旧種族への先祖還りとでも呼ぶべき事例が発生するのである。
先祖還りとはあくまで便宜上の名称であり、発生する条件や頻度、じっさいに遺伝子がどのように変異しているのかはいまだ解明されていない。
また種族内に深刻な分断を招きかねないことから、為政者としてはその存在を黙殺せざるをえないという事情もある。
ともかくも、他の同胞に対して絶対的な力をもつレイエスは、いわば抑止力として、至尊種の秩序維持に寄与しているのだった。
「……最高執政官どののお加減は
ひととおりの報告を終え、最高法院を辞去しようというとき、レイエスはそれとなくヴィンデミアに問うた。
わずかな沈黙のあと、ヴィンデミアはぽつりと言った。
「先の戦いで負った傷は完全に治癒しているよ。まだ昏睡から覚めないのは、たぶん精神的な問題だろうね」
「……」
「いずれにせよ、僕たちにはどうすることもできない。信じて待つほかになにも――――ね」
***
最高法院をあとにしたレイエスは、まっすぐに家路についた。
それぞれが広大な領地を治める十三選帝侯のなかで、カリーナ侯爵家だけはわずかな領地も所有していない。
歴代のカリーナ侯爵は、皇帝に近侍し、その身辺を警護することを使命としてきた。
皇帝のいる帝都を留守にすることはできないとあっては、辺境支配という選帝侯の職務を十全に果たすことはむずかしい。さりとて、一族や家臣に統治を委ねれば、皇帝の直臣たる選帝侯以外の者が巨大な権力を手にすることになる。
そこで、初代カリーナ侯爵ヴォルフラムはいったん下賜された領地をすべて返上する代わりに、帝都への永住を許可された。
ほかの選帝侯たちも帝都に豪壮な邸宅を持ってはいたが、それはあくまで一時滞在用の仮住まいであり、ほんとうの意味で居館といえるものではなかったのである。
それからというもの、四代目の現当主レイエスにいたるまで、カリーナ侯爵は世にもまれな”
「おかえりなさいませ、御屋形様」
玄関先でレイエスを出迎えたのは、黒髪の童女だった。
身体は薄く、背丈は小柄なレイエスのさらに半分ほどしかない。
瞳の色はあざやかな真紅。
吸血鬼の都に住まう者の例に漏れず、彼女もまた
「御腰物を……」
童女に言われるまま、レイエスは大小二振りの刀を手渡す。
かつて皇帝と皇后より一振りずつ下賜され、爾来カリーナ侯爵家の当主に受け継がれてきた銘刀であった。
レイエスは長い廊下を歩きながら、ちらと童女に視線をむける。
「私が留守のあいだ変わりはなかったか、ばあや」
「万事常のごとくにございます」
「結構――――」
ばあやは永年カリーナ侯爵家に仕えている侍女だ。
肉体こそ童女のままだが、その年齢はゆうに八百歳を超えているという。
聖戦の前後に生まれた吸血鬼には珍しくもないことだが、彼女自身、いつどこで生まれたかは知らないのである。
もともとわずかな家来しか持たなかったカリーナ家だが、レイエスに代替わりするにあたって、そのほとんどが暇を出された。
べつに悪意があったわけではない。いずれも父祖の代から忠誠を尽くしてくれている有能な家来たちである。
それだけに、他家に仕官の口を求めれば、もっとよい条件で召し抱えてくれるだろうと考えたまでのことだった。
ただひとり、このばあやだけは御屋形様であるレイエスの命令に聞く耳をもたず、平然と屋敷に居座りつづけた。
そのうちにレイエスもあきらめ、いまでは暇を出した家来たちの分まで、屋敷の一切を彼女に任せているのだった。
「ご無事のお戻り、なによりでございます。されども……」
慣れた手つきでレイエスの戦装束を解き、部屋着に着替えさせながら、ばあやはふっとため息をついた。
「御屋形様は選帝侯に列せられる貴人。それが供回りのひとりもつけずに出陣を命じられるとは、いささか非礼が過ぎるというものでございましょう?」
「そうだろうか。私は気にしていないが――――」
「ぜひとも抗議なさいませ。軽く見られては御家の沽券にかかわります」
あいかわらず茫乎とした様子のレイエスに、ばあやはしっかりしろと言うように強く帯を締める。
「あなたさまは、先帝陛下より剣聖の称号を賜ったただひとりの御方。
諭すように言ったばあやに、レイエスは「わかっている」と短く答えただけだ。
ばあやが退出すると、レイエスは縁側からふらりと屋敷の中庭に出た。
眼前に広がるのは、小さいながらもすみずみまでよく手入れの行き届いた庭園だ。
レイエスは白い玉砂利を踏みながら、庭のなかほどまで進み出た。
中天にはゆるやかな弧を描く三日月が浮かんでいる。
永遠の夜に閉ざされた吸血鬼の都にふさわしく、それは姿を変えながらも沈むことのない人工の月であった。
庭園の片隅で気配が生じたのはそのときだった。
突如として出現したのではない。気配を殺し、ずっとそこに潜んでいたのだ。
「――――」
レイエスにむかって一歩を踏み出した黒い影は、しなやかな女のかたちを取っていた。
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