CHAPTER 03:クルーエル・エッジ
「お断りする」
ヴィットリオは低い声で吐き捨てる。
と、鈍い音を立てて鉄塊が地面に転がった。
レグランツァの残った左腕から
むろん、自然に脱落したのではない。意図的にジョイントを外し、
レグランツァは長脇差に残った左手をかけると、ためらいなく抜刀する。
脇差とはいうものの、その実態は小太刀といったほうが正確だ。
ブラッドローダー用の
分厚い刀身と太い剣尖は、実戦での使用にもじゅうぶん耐えうるだろう。
レグランツァが取った片手八相の構えは、生命尽きるまで戦うという明確な意思表示にほかならなかった。
全身に闘気をみなぎらせたレグランツァにむかって、レイエスはあいかわらず冷えた声で告げた。
「言ったはずだ、ペルシャイト伯爵。結果はもう出ている」
「剣聖レイエスともあろう御方が、決着もつかぬうちに軽々なことを申されるべきではない」
「私はただ
刹那、
須臾の間に最高速度に達したレグランツァは、槐丸めがけて一直線に殺到する。
風を巻いて無数の銀刃が奔った。
乱れ突き。
肘から下の腕だけを分身させ、残像を作り出しながら敵を翻弄する技である。
小太刀には陣太刀ほどの破壊力も間合いもない。
その短所を補ってあまりある速度と手数で圧倒しようというのだ。
剣術指南役であるヴィットリオは、剣術のみならず槍や戦斧といった武器の扱いにも通暁している。
そのなかには、むろん小太刀の術もふくまれる。
その技量は、表芸である太刀のそれに勝るとも劣らない――それどころか、もともと使用者のすくない得物であるがゆえに、当代最強の水準にあると言ってよい。
一方のレイエスはといえば、ほとんど機体を動かすことなく、最小限の動きでヴィットリオの突きを躱している。
長剣は切っ先を地面すれすれまで下げたまま、ぴくりとも動かさない。
ともすれば余裕綽々といった風情だが、あくまでそう見えるというだけのことだ。
ブラッドローダーの身の丈ほどもある長剣は、この間合いでは使いものにならないのである。
(いかに剣聖といえども――――)
レイエスが守勢に回ったことは、ヴィットリオに自分の判断が間違いでなかったことを確信させた。
このまま攻めつづければ、あるいは一矢報いる好機が到来するかもしれない。
もとより剣聖レイエスに勝てるとは思っていない。
首尾よく槐丸を損傷させ、その隙に戦場を離脱できれば、ヴィットリオにとってそれは勝利以上に価値のある戦果なのだ。
槐丸の右腕がふいに長剣の柄を離れた。
優雅――というより、いっそ緩慢な動作であった。
瞬刻をあらそう戦場にはおよそ似つかわしくない挙措は、しかし、ヴィットリオを心底から戦慄させた。
槐丸の動きがあまりにも疾すぎるために、かえってそのような錯覚を引き起こしているのだ。
白い装甲をまとった槐丸の右腕が、レグランツァの左腕に重なった。
同時に、凍てついていた時間がふたたび流れはじめる。
二機のブラッドローダーのあいだに現出したのは、ひどく奇妙な光景だった。
レグランツァの小太刀は、まるで空中に縫い留められたみたいにぴたりと静止している。
槐丸の人差し指と中指とが小太刀の刀身を挟み、そこを起点としてレグランツァの動きを封じているのだ。
いかなる魔技によるものか、ヴィットリオがいくら念じても、愛機は微動だにしない。
「言ったはずだ、ペルシャイト伯爵。其許は私には勝てぬ――――と」
レイエスがひとりごちるみたいに呟いたのと、槐丸の長剣がレグランツァのコクピットに届いたのと同時だった。
「ぐううっ……!!」
長剣は装甲をあっさりと断ち割り、コクピット内のヴィットリオをも貫いた。
太陽光を完全に遮断するブラッドローダーといえども、こうなっては機能を維持することはできない。
紫外線は装甲の裂け目からコクピット内に浸透し、ヴィットリオの肉体を急速に崩壊させていく。
糸が切れた人形みたいにその場にくずおれたレグランツァを見下ろしつつ、レイエスは感情の欠如した声で問うた。
「ペルシャイト伯爵。最期になにか言い残すことはあるか」
「ならば……この身が朽ちるまえに、貴公にひとつだけ申し上げておきたい儀がある」
肉も骨も溶け崩れ、もはや五感も失われようとしているにもかかわらず、ヴィットリオは凛然と応じた。
「此度の不祥事は、すべてこのヴィットリオ・ペルシャイトの独断によって引き起こされたもの。わが妻と子にはなんの罪もない。その旨、最高審問官殿にきっとお伝え願いたい……」
ヴィットリオの言葉はそこで途切れた。
肉体の崩壊が心臓――吸血鬼の生命機能をつかさどる中枢にまで及んだのだ。
主人の死と軌を一にして、愛機レグランツァも完全に沈黙している。
まったくの無傷とはいかないものの、この程度の損傷であれば修復はさほどむずかしくはない。
「さて……」
レイエスはだれにともなくごちる。
貴重なブラッドローダーがリーズマリア側に渡ることを阻止し、機体を無事に回収するという任務は果たした。
あとはペルシャイト伯爵の妻シャルロッテを捕縛し、帝都に連行するだけだ。
シャルロッテは身重だというが、レイエスには関係のないことだった。
彼女の処遇を決めるのはあくまで最高法院――その長である最高審問官ヴィンデミアであり、自分ではないのだから。
廃ビル群のあいだで低い駆動音が生じた。
それまで沈黙していた輸送艇が動き出したのだ。
ヴィットリオの妻シャルロッテが動かしているのだろう。
いかに最新鋭のジャミング・システムを搭載していても、いちどブラッドローダーに発見されてしまえば、もはや逃げ切ることなどできはしない。
槐丸を跳躍させようとしたレイエスは、はたと動きを止めた。
駆動音は遠ざかっているのではなく、こちらにむかって近づいていることに気づいたのである。
「あなた――――」
輸送艇がビルの影を抜けたところで、シャルロッテは悲痛な声を上げた。
変わり果てたレグランツァの姿を目の当たりにして、夫の身になにがおこったのかを即座に理解したのだ。
「ご夫君は私が討ち取った。おとなしくご同行ねがおう、ペルシャイト伯爵夫人」
「いやです」
「わがままを申されるな」
レイエスが言い終わらぬうちに、輸送艇の前部ハッチが開いた。
「愛する人がいない世界に、どうして私だけが留まっていられましょう――――」
ハッチが開ききるが早いか、シャルロッテは、ためらいなく船外へと身を躍らせた。
陽光ふりそそぐ外界――吸血鬼にとっての死の世界へと。
レイエスはなにも言わず、手を差し伸べることもしなかった。
シャルロッテがみずからの意思で死を選んだいじょう、ただ傍観することしかできないのだ。
溶け崩れていく母子の姿を見下ろしつつ、レイエスは長剣を鞘に納める。
「……解せぬことを……」
誰ともなく呟いた言葉をかき消すように、廃ビル群のあいだを強風が吹き抜けていった。
金属光沢を帯びた砂が巻き上がり、一帯のすべてを覆い隠していく。
やがて風が熄み、陽光が廃墟の街に差したときには、
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