CHAPTER 02:ハートレス・プリンス

 ”槐丸えんじゅまる”――――

 十三選帝侯クーアフュルストカリーナ家に代々受け継がれてきた聖戦十三騎エクストラ・サーティーンである。

 透きとおった氷白色アイスホワイトの装甲は、汚れのない雪の結晶を凝結させたかのよう。

 殺戮と破壊のためだけに生み出された純然たる戦闘機械でありながら、その佇まいはあくまで清冽そのものだ。

 卓越しているのは外見だけではない。

 聖戦十三騎とは、あらゆるブラッドローダーのなかでも最高峰の性能スペックをもつシリーズを意味する。

 装甲、運動性能、反応速度、そして攻撃力……あらゆる点でこれいじょう望みえない高性能をそなえているのである。


 だが、聖戦十三騎には及ばぬものの、レグランツァもけっして非力な機体ではない。

 そもそも、ブラッドローダー同士の戦いにおいて、ハードウェアの優劣は勝敗を決める要素のひとつにすぎない。

 たとえ格下の機体でも、乗り手ローディの技量によって性能差を補うことはじゅうぶん可能なのだ。むろん、その逆も然りである。


其許そこもと、ヴィットリオ・ペルシャイト伯爵に相違ないか――――」


 槐丸の外部スピーカーから氷のように透きとおった声が響いた。

 中性的なソプラノ。

 ガラス細工をおもわせる繊細さの内奥に、鋼鉄の芯を秘めた声音であった。


「いかにも左様。貴公はレイエス・カリーナ侯爵閣下とお見受けするが、如何いかが


 ヴィットリオの問いかけに、レイエスは沈黙で応じる。

 逃亡者と追っ手のやりとりはそれで事足りた。


 ふいにレグランツァの四肢が動いた。

 陣太刀を青眼から右八相に構えなおしたのだ。

 石板色スレートグレイ氷白色アイスホワイトのブラッドローダーは、数百メートルの距離を隔てて対峙する。


レイエス公と立ち会えるとは光栄至極に存ずる」

「……」

「だが、私も亡き先帝陛下より剣術指南役を仰せつかった身。たとえ剣聖が相手でも、むざと斬られるつもりはござらん」


 レグランツァが戦闘態勢に入っているにもかかわらず、槐丸はいまだ抜刀する素振りもない。


 槐丸の武器は、袈裟懸けに背負った長尺の剣のみ。

 そのほかには武装らしい武装も帯びていない。

 シールドさえ持たない軽装ぶりは、戦場にあっては異様ですらある。

 なにより、身の丈ほどもある刃渡りの長剣を見れば、敵が切りかかってきてからではとても抜刀が間に合わないことは明白だった。


「いざッ――――」


 ヴィットリオが裂帛の叫びを上げるや、レグランツァの姿がふっとかき消えた。 


 じっさいに消滅したわけではない。

 一瞬のうちに極超音速にまで加速したのだ。

 いかにブラッドローダーの索敵センサーが優秀でも、この速度域では残像を捉えるのがせいいっぱいだ。

 レグランツァは廃ビルのあいだを縦横無尽に駆け回りながら、一気に槐丸の死角へと回り込む。


 転瞬、するどい銀光がほとばしった。

 それも、ひとつではない。

 レグランツァは分身したまま、槐丸の前後左右、さらには真上から同時に斬撃を放ったのだ。

 全方位から襲いかかる衝撃波の刃をまともに浴びれば、いかに聖戦十三騎といえども無事では済まない。

 シールドをもたない槐丸ならばなおのことであった。


 白い機体がかすかに動いたのは、まさに切り刻まれるかという瞬間だった。

 槐丸は背中の柄を右手で掴むと、身の丈ほどもある長剣をこともなげに抜き放った。

 抜いたというよりは、剣それ自体が意思を持って――さながら蛇が古い皮を脱ぐがごとく、みずから鞘から走り出たと言うべきだろう。


 両刃もろはつるぎであった。

 その刃は、まるで水に濡れてでもいるようにと妖しい輝きを放っている。

 だが、その長尺と、妖光を帯びた刃のほかには、取り立てて見るべきものもない。

 柄にも鍔にも装飾らしい装飾は見当たらず、刀身には太い血抜きの溝がくっきりと彫り込まれているばかり。

 正真正銘、無銘の剣だ。

 剣の等級においては、おそらくレグランツァの陣太刀よりも数段は劣るだろう。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンの刀剣類がいずれも業物わざものであることを考えれば、不思議というよりは奇怪でさえあった。


 槐丸の左手が柄にかかった。

 握るというよりは、ふわりと包み込んだといったほうが正しい。

 ようやく構えらしい構えを取った白いブラッドローダーは、しかし、その場から一歩も動こうとはしない。

 そのあいだにも、衝撃波の刃は四方八方から押し寄せつつある。


 槐丸の輪郭がふっと揺らいだ。

 するどい銀光が虚空を裂き、白昼にみごとな弦月を描く。

 刹那、周囲の廃ビル群が、まるで示し合わせたみたいに一斉に崩れ去った。

 

 槐丸は微動だにせず、ただ長剣を一、二度振っただけだ。

 なんの変哲もない空振りも、常識外の速度でおこなえば、広範囲を破壊する不可視の刃を生ぜしめる。

 レイエスの絶技は、迫りくる衝撃波を分身ごと打ち消したばかりか、一帯の廃ビルさえも伐り倒したのだった。


 おびただしいコンクリートの破片と土砂が舞い上がり、黒灰色の紗幕ヴェールとなって視界を閉ざす。

 咫尺も弁ぜぬ粉塵のなか、ぎらりと銀閃がまたたいた。


「剣聖レイエスに小細工が通用せぬことは百も承知……」


 ヴィットリオが叫ぶや、レグランツァは槐丸めがけて突進をかける。

 陣太刀を目線の高さに持ち上げ、刀身を水平に寝かせた構え。

 全エネルギーを剣尖に乗せた突き技であった。

 まともに入れば、ブラッドローダーの盾をも貫通する破壊力がある。


「はッ!!」


 気合一閃、ヴィットリオの繰り出した突きは、槐丸のコクピットをあやまたず捉えていた。

 すでに彼我の相対距離は十メートルを切っている。この間合いでは、もはや避けることも防ぐこともままならない。

 むろん、レイエスほどの使い手がむざむざと死を受け入れるはずもない。

 内懐に誘い込み、互いに逃げ場がなくなったところで反撃に出るつもりなのだ。

 だが、たとえ刺し違えることになったとしても、妻子を脱出させる時間を稼ぐことはできる。

 ヴィットリオは最初からレイエスに勝てるとは思っていない。勝てず、生き残れずとも、その動きを止めることさえできれば、それでよい。


 きいん――と、澄んだ音が廃墟の街に響いた。

 陣太刀が中ほどから断ち割られたのだとヴィットリオが気付いたときには、槐丸はすでにレグランツァの懐に飛び込んでいる。


「ぬう!?」


 ヴィットリオはとっさに左腕の盾を構えようとする。

 ぎりぎりの間合いだが、かろうじて間に合う――――そのはずであった。


 銀光が陽を弾いて奔った。

 と思うや、ごとりと音を立てて地面に落ちたものがある。

 陣太刀を握ったままのレグランツァの右腕だ。

 槐丸の長剣は、まるで薄紙でも裂くみたいに石板色スレートグレイの装甲を切り裂いたのである。


 右腕だけで済んだのは僥倖というほかない。

 ほんらいなら頭頂部から股間まで、レグランツァはヴィットリオごと真っ二つに斬断されていたはずなのだ。

 ヴィットリオは、まさしく一髪の差で命拾いをしたのだった。

 もっとも、奇跡的な生還を喜べるのは、それが自力による場合に限っての話である。


「手加減をしたのか……?」


 ヴィットリオは傷口を庇いつつ、低い声でレイエスを質す。


「最高審問官ヴィンデミア殿より、其許そこもとのブラッドローダーは回収するようにと依頼されている」

「ならば、なぜコクピットを潰さなかった!?」

「其許もひとかどの剣士なら、いまの手合わせで私との力量の差はよく理解できたはずだ」


 当惑するヴィットリオに、レイエスは感情のこもらぬ声で告げる。


「ヴィットリオ・ペルシャイト伯爵。これいじょうの戦いは無意味だ。いさぎよく負けを認め、帝都に戻れ」

「そのような戯れ言を!! まだ戦いは――――」

「すでに勝敗は決している。其許の腕では私に傷ひとつつけることはできない」

「ここで私が敗れれば、妻はどうなる!?」

「司直の手に委ね、しかるべき裁きを受けさせるまでだ。それは法院の管轄ゆえ、私の知ったことではない」


 レイエスの声にはおよそ感情というものが欠落している。

 なまじな機械のほうがよほど情のこもった言葉をかけるだろう。

 同情はおろか、ヴィットリオとその妻の運命に毫ほどの関心も示さないその態度は、ただ冷酷であるというよりもずっと残忍だった。


 レイエス・カリーナ侯爵。

 またの名を、氷の剣聖レイエス。

 至尊種ハイ・リネージュのあらゆる剣技を修めた当代最強の剣士には、ただひとつ、あたたかな心だけが欠け落ちている。


「いま一度言う。――――ペルシャイト伯爵、其許は弱い。これいじょう私の手を煩わせないでくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る