白の剣聖編

CHAPTER 01:ナイト・マスター

 分厚い雲が日差しをやわらげていた。

 乾いた風が大地を吹きわたるたび、銀色のものがきらめきながら天へと舞い上がっていく。

 一見すると粉雪のように見えるそれは、多量の放射性物質を含んだ金属粉である。

 恐ろしくも美しい死の灰は、ひらひらと漂いながら、ふたたび地上へと舞い落ちていく。


 帝都の北方、およそ三◯◯◯キロ――――

 一面の荒野には、ところどころ墓標のようなものが高々とそびえている。

 八百年のあいだ風雪にさらされ、赤錆びた鉄骨がむき出しになったそれは、超高層ビル群のなれのはてだ。

 かつて数百万人になんなんとする大人口を擁した一国の首都。

 殷賑をきわめた昔日の栄光とともに、その名さえ歴史の彼方に置き去られた廃都であった。


 いま、傾いた廃ビルのあいだを、もうもうたる砂煙を巻き立てて通過していく巨大な影がある。


 小型の陸上輸送艇だ。

 全長はおよそ五十メートルほど。

 一見すると隊商キャラバンの交易船のようにもみえるが、よくよく目を凝らせば、民間船でないことはすぐにわかる。

 船体各部には無骨な装甲が施され、広々とした後部甲板デッキには、積み荷のかわりに多連装ランチャーや対空砲が設置されている。

 左右の舷側でするどく天を睨むのは、長砲身の二連装砲塔である。


 交易船は盗賊対策として自衛することも珍しくないが、積載量ペイロードを犠牲にしてまでこれほどの重武装を施すことはありえない。

 なにより奇妙なのは、たった一隻で航路をおおきく外れた場所を進んでいることだ。


 はたして、輸送艇は軍艦――それも、至尊種ハイ・リネージュの最精鋭たる帝都防衛軍団に所属するであった。

 いずれにせよ、僚艦も連れずに単艦で行動することは、艦隊運用のセオリーからみれば異様というほかない。


「このまま追っ手の目の届かない場所まで行ければよいが――――」


 全面を装甲板に囲われた薄暗い艦橋ブリッジで、男はひとりごちた。

 長身痩躯を濃緑色ダークグリーンの軍服に包んだ美青年である。

 髪の色は黒みがかった鳶色レッドブラウン

 そして、切れ長の双眸に宿った色は真紅――吸血鬼の証であった。


 ヴィットリオ・ペルシャイト伯爵。

 聖戦以来の名門ペルシャイト家の現当主にして、帝都防衛軍の剣術指南役である。

 卓越した剣の腕を持つだけでなく、人望厚いヴィットリオは、将来を嘱望される若手のひとりだった。


 その彼が実験艦を強奪し、帝都をにわかに出奔したのは、いまから四十時間あまりまえのこと。

 むろん、現場に居合わせた兵たちも、ヴィットリオの行動をただ拱手傍観していたわけではない。

 剣を取って果敢に挑みかかり、ことごとく返り討ちに遭ったのだ。

 さいわい死者こそ出なかったものの、負傷者はじつに五十人にのぼった。いずれも一刀のもとに手足を斬断され、なすすべもなく地に転がされたのである。


 ただちに追っ手が放たれたことは言うまでもない。

 だが、懸命の捜索にもかかわらず、ヴィットリオの足取りを掴むことはついに出来なかった。

 艦に搭載された最新鋭の電子撹乱ジャミングシステムが彼らの目を巧妙にあざむき、航路を隠蔽しおおせたのである。

 ブラッドローダーの技術を一部流用したそれは、既存のあらゆる索敵センサーから艦の存在を消し去ることができる。

 来たるべきリーズマリア派との戦争にそなえ、帝都周辺で試験運用が始まったばかりの新兵器であった。


「あなた……」


 背後から声をかけられて、ヴィットリオは首だけで振り返る。

 声の主は、淡い金髪と紅い瞳をもつ美女だ。

 腹部の膨らみを見れば、身重であることはひと目でわかる。

 秀麗なかんばせを憂いに曇らせた女は、不安げにヴィットリオを見つめている。


「そんな顔をするな、シャルロッテ。なにがあろうと、おまえとその子は私が守ってみせる」


 言って、ヴィットリオは妻シャルロッテに微笑みかける。

 自身の不安を愛するものに悟られまいとする、それは悲愴なほどに意地らしい男の顔だった。


「いいえ。私はただ、あなたの将来を台無しにしてしまったのではないかと……」

「その話ならもう済んだはずだ。おまえが気にすることはないのだよ」


 シャルロッテの実の兄――ヴィットリオにとっての義兄であるジャン・ガムラン男爵が逮捕されたのは、つい先日のこと。

 その罪状は、最高執政官への反逆ならびに内乱未遂罪。

 ガムラン男爵は、最高執政官ディートリヒ・フェクダルを暗殺し、クーデターによる政権転覆を企てたとして、同志たちとともに拘束されたのである。


 彼らは亡きバルタザール・アルギエバ大公のもとで栄達を遂げた、いわば大公子飼いの派閥とでもいうべき集団である。

 大公の死とともに政治的後ろ盾を失った彼らは、あるいは失脚し、あるいは閑職へと追いやられた。

 その憤懣が、かねてより大公と敵対していた最高執政官ディートリヒに向けられるのにさほどの時間はかからなかった。

 ディートリヒと彼の側近たちはリーズマリアとの戦争準備に奔走している。その隙を突けば、一矢報いることも不可能ではない。

 クーデターによって電撃的にディートリヒを排除し、ふたたび大公派が主導権を握ろうというのである。

 極秘裏に進められていた暗殺計画は、いよいよ実行というところで当局の知るところとなった。

 同志のひとりが最高法院に密告したのである。

 生命惜しさに仲間を裏切ったとも、もともとスパイとして潜り込んでいたともいわれるが、いまとなっては真相を知るすべはない。


 最高執政官への反逆罪は、皇帝への謀反に次ぐ重罪である。

 おそらくガムランの一党は死罪をまぬがれないだろう。ヴィットリオもそれは当然だと思っている。

 至尊種ハイ・リネージュの秩序を乱す者には、相応の罰が与えられて然るべきなのだから。


 だが、ことはガムラン一党の処罰だけでは収まらなかった。


 当局は、ガムランの妹であるシャルロッテにまで疑惑の目を向けたのだ。

 捜査員たちはペルシャイト家の屋敷に押しかけ、身重の彼女に任意同行を求めた。

 彼らは夫であるヴィットリオの猛抗議によって引き上げていったものの、遠からずシャルロッテが逮捕されることは疑うべくもない。

 すでにガムラン一党の家族や友人にも逮捕者が出はじめているのである。

 当局はあらゆる手を使って自白を強要し、シャルロッテにもなんらかの罪状を言い渡すだろう。

 そうなれば、生まれてくる我が子も無事では済まない。


――逃げるしかない……。 


 ヴィットリオに迷いはなかった。

 剣術指南役としての地位も、貴族としての輝かしい前途もなげうち、妻子とともに帝都を脱出することを選んだのだ。

 すべては妻シャルロッテと、まもなく生まれる我が子のため……。

 たとえ不忠者と罵られようとも、ヴィットリオは守るべきもののためにすべてを捨てたのだった。


「リーズマリア様は私たちを受け入れてくださるでしょうか?」


 不安げに言ったシャルロッテに、ヴィットリオはふっと微笑みかける。


「なにも手ぶらで転がり込むわけではないのだ。私の剣術指南役としての腕前と、わがペルシャイト家伝来のブラッドローダーをお見せすれば、きっと快く迎え入れてくださるはずだ」


 と、周囲がにわかに明るくなったのはそのときだった。


 大地を覆っていた砂塵が薄れ、雲間から陽光が差し込む。

 太陽は至尊種――吸血鬼にとって最大の弱点だ。

 むろん、完全に遮蔽された艦内に日差しが入り込むことはない。

 モニターに映し出された廃墟の都市は白く色褪せ、乾いた風だけが吹き荒れている。


「――――!!」


 ビル群の彼方におぼろな人影を認めて、ヴィットリオは顔をこわばらせた。

 彼我の距離はおよそ三キロ。

 均整の取れた五体をそなえているが、しかし、あきらかに人間ではない。

 全高五メートルの巨大な人型機械。

 吸血鬼がまとう”血の鎧”――ブラッドローダーだ。


 シャルロッテもようやく異変に気づいたのか、震える手で夫にしがみつく。


「あなた……!!」

「おまえはここにいなさい。私がいいと言うまで、けっして動いてはいけないよ」


 ヴィットリオはなだめるように言うと、格納庫ハンガーにむかって駆け出していた。


「心配はいらない。すぐに戻ってくる――――」


***


 輸送艇の後部ハッチがおおきく開いた。

 地響きとともに大地に降り立ったのは、石板色スレートグレイの無骨なシルエットだ。


 ブラッドローダー”レグランツァ”。

 ペルシャイト家に伝わる歴戦の機体である。

 武装は左腰に差した陣太刀と長脇差のみ。いずれも破壊力と耐久性にすぐれた厚重ねの剛刀だ。

 左腕の前腕部には、小ぶりだが堅牢な造りの方形盾スクエア・シールドが装着されている。

 戦場における実用性を追い求め、無用の装飾を排除したその佇まいは、華美なブラッドローダーとは一線を画している。


 剣術指南役としてのヴィットリオの職掌には、ブラッドローダー戦の教授もふくまれている。

 時には複数の生徒を相手取って、実戦さながらの試合を演じなければならないのである。

 生徒らにとっては仮想敵であり、戦いをまなぶ教材でもあるレグランツァから、不必要な贅肉が削ぎ落とされていったのは当然といえた。

 あくまで模擬戦という但し書きはつくが、レグランツァは最も多くの立ち会いを経験したブラッドローダーでもあるのだ。


 レグランツァの手が陣太刀の柄にかかった。

 まばゆい銀光を撒きながら、長大な刃が音もなく鞘を走りいでる。


 敵はそのあいだも微動だにしない。

 おそらく、なんらかの欺瞞装置カモフラージュを機体に施しているのだろう。

 砂塵をまとったシルエットはおぼろにかすみ、レグランツァのセンサーでもはっきりと視認することはできない。


 ヴィットリオは不確かな影にむかって朗々たる声で名乗りを上げる。


帝都防衛軍団、剣術指南役ヴィットリオ・ペルシャイト伯爵である。故あって帝都を出奔したが、流血はもとより望むところではない。どうか通行を許されたい――――」


 ふいに砂塵が晴れたのは次の瞬間だった。

 ほんの一瞬まえまで蜃気楼のように揺らいでいたシルエットは、強い日差しのなかでくっきりと陰影を浮き上がらせている。

 透きとおった氷白色アイスホワイトの装甲をまとった細身の機体だ。

 汚れのない雪の結晶を人型に凝結させたような、冷酷さと美しさを等しくかねそなえた佇まい。

 全身から放出される悽愴なまでの鬼気に、ヴィットリオはおもわず後じさっていた。


「”槐丸えんじゅまる”……!!」


 凝然と前方を見つめたまま、我知らずヴィットリオはひとりごちていた。


「選帝侯レイエス・カリーナ侯爵――――”剣聖”レイエスのお出ましか」

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