LAST CHAPTER:チェンジ・ザ・ワールド
その一報が各地の人類解放機構軍にあたえた衝撃ははかりしれない。
それも無理からぬことだ。これまで彼らに兵器と戦術を提供し、
最高司令官を失った人類解放機構軍は、かつての烏合の衆に逆戻りしたのだった。
各地の指導者のなかには、
まもなく彼らのもとに届きはじめた降伏勧告は、ほかならぬ最高司令官の専用回線を用いて送られていたのだから。
次期皇帝リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの名において発布された降伏勧告の内容は以下のとおり――――
人類解放機構軍の構成員は、リーズマリア派の領主のもとにすみやかに出頭すべし。
そのさいにウォーローダーを始めとする各種兵器および武器・弾薬を持参した者には、相応の報奨金を支払う。
自発的に武装解除に応じた者は、過去にどのような罪状があったとしても、いっさいの刑罰を免除することを約束する。
それにくわえて、とくに協力的な態度を示した組織には、将来における自治権を認めることをも示唆したのである。
当初こそ疑心暗鬼だった各地のレジスタンス指導者たちも、イザール侯爵領やサイフィス侯爵領といった大諸侯のもとで約束が履行されたことを知るや、たちまちその態度を一変させた。
各地で堰を切ったように投降が相次ぎ、武装解除にともなって供出されたウォーローダーは三万機ちかくにものぼった。
そのなかには、アーマイゼやスカラベウスといった一般的な機種だけでなく、先行配備されていたリベレイターも含まれている。いかに最新の高性能機といえども、予備部品の供給が断たれたとあっては、ジャンクとしての値打ちさえないのだ。
そのほかにも各種火砲や戦闘車輌、果ては多脚戦車”ゴライアス”のような超大型兵器に至るまで、
もとより勝ち目などないことを自覚しながら、いったん組織に参加してしまったために否応なく戦いをつづけていた彼らである。
リーズマリアが提示した条件は、先のみえない武力闘争から足を洗う千載一遇の好機にほかならなかった。
もはや
兵器と引き換えに自由と褒美を手にした彼らは、もう二度と戻れないはずだった日常へと回帰していったのである。
むろん、頑として投降に応じない強硬派もいなかったわけではない。
だが、派閥の領袖がいかに徹底抗戦を主張したところで、末端の構成員にまでその意志を徹底させることはむずかしい。
兵士たちの憎悪の矛先は、ほんらいの敵である吸血鬼ではなく、せっかくの投降の機会をふいにしようとする上官に向けられていったのである。
彼らが共謀して上官を殺害し、その首を手土産に投降する事例が相次いだのも当然の帰結といえた。
長年のあいだ
ついに降伏に応じなかった過激派グループも、こうなっては表立った活動はむずかしい。彼らは地下に潜伏し、再起の時まで力を蓄える道を選んだ。
武装勢力としての人類解放機構軍は、名実ともにこの世から消滅したのだった。
すべては
***
シュリアンゼ侯爵領内の城館――――
贅を凝らした迎賓の間で、ふたつの種族は静かに向かい合っていた。
一方は、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースを筆頭とする
すなわち、セフィリア・ヴェイド、エリザ・シュリアンゼら、リーズマリア側についた
そしてもう一方は、各地のレジスタンス組織から選出された人類の代表団である。
その数はゆうに五十人ちかい。
彼らなりにせいいっぱいの盛装のつもりなのだろう。人間たちは、旧人類軍の軍服をベースに、おのおのが独自の改造を加えたものものしい装いに身を包んでいる。
好条件に釣られて降伏に応じたとはいえ、吸血鬼に見下されまいとけなげに虚勢を張っているのだ。
伏し目がちにリーズマリアらをうかがう視線には、怯えとともに剣呑なものがちらつく。
「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下。このたびは対話の機会を設けていただき、レジスタンスを代表して深甚なる感謝を申し上げる――――」
年齢は八十歳ちかいだろう。枯木をおもわせる茶褐色の肌には、数えきれないほどの年輪が刻まれている。
威厳と穏やかさをかねそなえたその佇まいは、軍人というよりは老司祭といった風情だ。
はたして、荒くれ者ぞろいのレジスタンス指導者たちも、この老人のまえでは厳格な師父を恐れる子供のように萎縮しきっている。
エドモント・サリヴァン将軍。
最古参のレジスタンス闘士であり、長年にわたって武力闘争を指揮してきた名将として知られた男であった。
彼はリーズマリアの降伏勧告にまっさきに反応し、みずから軍を率いて投降してきたのである。
屈指の大物がさっそく恭順の意を示したことで、身の処し方を決めあぐねていた有象無象の領袖たちもそれに続いた。
「どうか
リーズマリアとサリヴァン将軍のあいだには一枚の紙が敷かれている。
金と銀の縁取りがほどこされたそれは、
両陣営の代表が署名をおこなうことで、正式に停戦が成立し、最終戦争から現在まで続く戦乱にようやく区切りがつくことになる。
もっとも、その効力はあくまでリーズマリア派の
「この文書に
皺に埋もれたサリヴァン将軍の眼にするどい光が宿った。
「この条文には”将来の自治権を約束する”とある。しかし、我々とあなたがたでは、生きる時間の
「……」
「どうか悪く思わないでいただきたい。ただ、百年後、あるいは千年後かもしれない約束を無条件に信じられるほど、我々の寿命は長くはないのです」
リーズマリアはなにもいわず、ただサリヴァン将軍の視線をまっすぐに受け止めている。
ディートリヒとの戦いに決着がつき、リーズマリアが正式に皇帝に即位するまでは、人間の自治権を確約することはできない。
各地の諸侯を説得し、自治権譲渡についての具体的な計画を立てるためには、まずは
拙速にそのような約束を取り交わせば、万が一履行に問題が生じたさい、かえって人間側の不信感を煽ることにもなりかねないのだ。
「具体的な期限を示せ――と、そうおっしゃるのですね」
「約束そのものを疑っているわけではありません。しかし、現状のままでは、人間を納得させるのはむずかしいことは姫殿下もご承知のはず……」
サリヴァン将軍はちらと視線を横に向ける。
今日ここに集まったレジスタンスの指導者たちは、本心から停戦に賛同している者ばかりではない。
というより、ほとんどの者にとって真の目的は戦後の権益にあずかることなのだ。自治政府内にポストを得ることが叶えば、武装勢力の
肝心の自治政府の樹立が延び延びになれば、それだけ彼らの不満も増大していく。
そうなればかりそめの停戦はたやすく破られ、ふたたび種族間の紛争が引き起こされるだろうことは火を見るよりあきらかだった。
「……五年」
わずかな沈黙のあと、リーズマリアは澄んだ声で告げた。
「次期皇帝の名において、五年以内に人間による暫定自治政府の創設を約束します」
それも無理からぬことだ。
それは、
五年という歳月は、長命の至尊種はもとより、人間にとってもあまりに短い。
――その場のでまかせを口にして、我々を謀ろうとしているのではないか……?
居並ぶレジスタンスの指導者たちの心中に去来したのは、そんな拭いきれない疑念だった。
誰もが一様に口をつぐみ、室内には鉛のような沈黙が降りた。
やがて、リーズマリアは、念を押すように言葉を継いでいく。
「いずれ起こる帝都との
「つまり、我々との約束に御自身の生命を賭ける――――と?」
「そのように理解していただいてかまいません」
サリヴァン将軍は長い息を吐くと、皺に埋もれた双眸をリーズマリアに向ける。
少年時代からウォーローダーを駆り、修羅の巷に身を置いてきた老将軍の瞳に宿るのは、ひどくやわらかな光だった。
「最終戦争から八百年のあいだ、我々は互いを信じることを放棄してきた。しかし、それも今日で終わりにせねばなりますまい」
「では……」
「姫殿下の覚悟に、この老骨も生命を賭けましょう。願わくば、その日まで生き永らえたいものです」
乾いた唇にかすかな笑みを浮かべつつ、サリヴァン将軍は調印文書に筆を走らせる。
リーズマリアの名前と並んで記された
両者が握手を交わした瞬間をもって、停戦協定は正式に発効された。
それは
***
「まさか、本当にあの者たちと和睦なされるとは思いませんでしたわ」
エリザ・シュリアンゼはため息をつくように言った。
時刻は夜半を過ぎている。
会談はとうに終わり、
ただひとり迎賓の間に留まったリーズマリアのもとを、エリザはやはりひとりで訪ったのだった。
「どういう意味ですか、シュリアンゼ女侯爵」
「申し上げたとおりの意味ですわ。
「それはあなたの願望でしょう」
リーズマリアはエリザに背を向けたまま、そっけなく応じる。
「あくまで殺戮と戦いを望みますか」
「ええ。それこそがこの世で最上の愉しみですもの。姫殿下はお気に召さないでしょうけれど、こればかりは――――」
「その渇望を満たすことができない主人は、仕えるに値しない……と?」
エリザはなにも答えない。
それが返答だった。
エリザがディートリヒのもとからあっさりと離反を決めたのも、結局のところ彼が理性的すぎるがゆえなのだ。
心ゆくまで極上の暴力を与えてくれる者でなければ、生命がけで忠誠を尽くす価値はない。
それこそが、エリザ・シュリアンゼにとっての絶対基準にほかならなかった。
リーズマリアはちいさくため息をつくと、エリザと真っ向から向かい合う。
「よく聞きなさい、エリザ・シュリアンゼ。あなたは私が責任を持って使いこなします。その過剰なまでの闘争心も暴力も、存分に発揮する機会を与えましょう」
「まあ……」
「そのかわり、これからは私の許しを得ずに力を振るうことは許しません。もし不服というなら、この私が相手になります。生身でもブラッドローダー戦でも、心ゆくまで付き合いましょう」
リーズマリアが言い終わるが早いか、エリザの真紅の瞳がにわかに輝いた。
朱唇の合間からするどい犬歯がのぞく。その恐ろしくも艶やかな様態は、いましも獲物に飛びかかろうとする肉食獣を彷彿させた。
しかし、次の瞬間、エリザが見せたのは、思いもよらない行動だった。
リーズマリアにむかって深々と頭を垂れたのである。
「もったいなくもありがたいお言葉にございます。そう言っていただけるのを、
「シュリアンゼ女侯爵――――」
「このエリザベート、姫殿下の剣となって存分に働いてごらんにいれます。どうかご遠慮なくこの身を使い潰してくださいまし。最も危険な戦場で、最も強い敵と死合うこと……それこそが私の本望でございます」
エリザは感極まったように言うと、あらためて一礼してから部屋を辞した。
寂然と静まり返った迎賓の間で、リーズマリアはほうとため息をつく。
人類解放機構を解体し、人間との和睦を結ぶことには成功した。
これからは、後顧の憂いなくディートリヒとの戦争に注力することができる。
それはとりもなおさず、世界を二つに割る大戦が始まるということだ。
――
それでも――と、吸血鬼の姫はちいさく
たとえ行く末になにが待っていようと、座して運命を待つのではなく、せいいっぱいあがいてみせる。
みずからの意志で戦うことを選んだ紅い瞳に、もはや迷いの色はなかった。
【完】
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