CHAPTER 21:ザ・セトルメント

 まばゆい光が空間を充たしていった。

 

 いま、最高司令官グランドコマンダーの脳髄とリーズマリアの頭は、無数のケーブルによって結ばれている。

 その内部に充填された透明な光学繊維オプティカルファイバーが、エネルギーに反応して発光しているのだ。

 目も眩むほどのまばゆい光芒は、じょじょに脈打つような不規則な点滅へと変わっていった。

 最高司令官の記憶と人格の転写が完了しつつあるのだ。


 光の明滅がふいに熄んだのは、それから数秒と経たないうちだった。


「リーズマリア――――」


 アゼトはノスフェライドのコクピットから身を乗り出すと、たまらず声をかける。


 わずかな沈黙のあと、リーズマリアの唇からさえずるような笑い声が洩れた。


「人間ふぜいが。誰にむかって口を利いている?」


 可憐な声音はまさしくリーズマリア本人のものだ。

 しかし、その言葉には、彼女とは似ても似つかない邪悪な精神こころがにじんでいる。


 頭にまとわりついたケーブルを引きちぎりつつ、


「この娘には礼を言わねばなるまい。おかげで八百年ぶりに自由な肉体を手に入れることができたのだからな。多少ぎこちないが、それもいずれ馴染む……」


 リーズマリアの身体を乗っ取った最高司令官は、勝ち誇ったように笑声を上げる。


 アゼトのほうを振り返った秀麗なかんばせには、やはり酷薄な笑みが刻まれている。

 

「肉体だけではない。この娘のブラッドローダーもいまや私のものだ。この力で新種族どもに目にもの見せてくれようぞ」


 アゼトは、リーズマリア――最高司令官を冷めた眼で見据えつつ、ぽつりと呟く。


「そううまくいくかな」

「私を攻撃すれば、この娘も傷つくことになる。この身体を盾にしているかぎり、貴様はこの私に逆らえはしないのだ。いいかげんに諦めるがいい」

「たしかに、俺にはリーズマリアを傷つけるようなことはできない。だが……」

「だが、なんだ?」

 

 アゼトの双眸にするどい光が宿った。

 チップを失ってなお残る吸血猟兵カサドレスの本能。

 それは、吸血鬼を狩るという強靭な意志にほかならない。

 

「――――おまえを殺すことはできる」


 ノスフェライドのコクピットから飛び降りたアゼトは、リーズマリアにむかって脇目もふらず疾駆する。

 右手に握っているのは大振りなコンバットナイフだ。

 つい先刻、みずからの脳からチップを摘出するのに用いたのとおなじナイフであった。


 ナイフを逆手に構えたアゼトは、リーズマリアめがけて飛びかかる。


「なんの真似だ!?」


 最高司令官はとっさに後じさろうとするが、両足はまったく動かない。

 まだリーズマリアの肉体を完全に掌握しきっていないのだ。

 杭を打たれたみたいに立ち尽くすことしかできない最高司令官は、うわずった声を上げる。


「よせ!! 私を傷つければこの娘も無事では済まんのだぞ!!」

「おまえとリーズマリアはまだ完全に一体化したわけじゃない。身体が動かないのがその証拠だ」

「貴様、まさか……」

「ひとつの身体に二人分の精神。俺は以前にもそんな相手と戦ったことがある。そいつらは、心臓と脳にそれぞれの人格を宿していた」


 アゼトは身動きの取れないリーズマリアに近づくと、ナイフを白い首筋に当てる。


「リーズマリアの肉体に入ってしまえば、もうあのカプセルには戻れないんだろう?」

「バカな真似はやめろ……!! 欲しいものがあるならなんでもくれてやる!! 私の力をもってすれば、貴様を不老不死にしてやることもできるのだぞ」

「そんなものに興味はない。俺の望みはただひとつ……」

「なんだ!? それは――――」


 アゼトは深く息を吸い込むと、底冷えのする声で告げる。


「おまえをこの世から消し去ることだ」


 ありったけの力を込めて、リーズマリアの首筋にナイフを突き立てていた。


 至尊種ハイ・リネージュといえども、至近距離で喉を切り裂かれてはひとたまりもない。

 するどい刃は、薄い脂肪と筋肉の層を抵抗もなくかきわけ、人体で最も太い動脈――頸動脈を断ち切った。

 傷口からおびただしい鮮血が噴き出したのは次の刹那だった。

 血はとめどなくあふれ、リーズマリアの白雪のはだえをみるみる朱に染めていく。


 頸動脈は脳に酸素と栄養を供給する役割をもつ。

 それを切断されれば、脳細胞はたちまち壊死することになる。

 人間であれば脳の損傷はとりもなおさず死を意味するが、心臓に意識を宿した至尊種ハイ・リネージュならば話はべつだ。

 たとえ脳全体が破壊されたとしても、一時的に五感を失う程度で済むのである。 


「リーズマリア本来の意識は心臓にある。だが、脳に寄生しているだけのおまえは、首を切られればひとたまりもないはずだ」

「まさか……最初から……そのつもりで……」

「リーズマリアは俺を信じてすべてを託してくれた。その信頼に応えるのが俺の役目だ」


 ごりっ――と、いやな音が響いた。


 刃がリーズマリアの頚椎に触れたのだ。

 アゼトは躊躇することなく、頚椎のあいだに刃先をねじこむ。

 吸血鬼の再生能力をもってすれば、ちぎれかかった首を再接合する程度はたやすい。

 アゼトは脳に寄生した最高司令官を完全に抹殺するため、頸動脈だけでなく、首そのものを完全に切断しようというのだ。

 さしもの吸血鬼といえども、首だけで生き永らえることはできないのである。


 唇の端から血泡をあふれさせながら、最高司令官はリーズマリアの声で哀願する。


「やめて……ください……アゼトさん……」

「彼女の声でしゃべるな」

「いや……だ……しにたくない……こわい……」

「もう終わりだ。おまえの生命も、そして人間を裏で操ってきた計画も――――」


 ぶつっ――。

 なにか太いものがちぎれる音に、湿った金属音が重なった。


***


 深い眠りの淵に沈んでいたリーズマリアの意識は、ふいに目覚めの時を迎えた。


 リーズマリアはおそるおそるまぶたを開く。

 暗く広大な空間に、液体に充たされたカプセルが並ぶ異様な光景……。

 ようやく鮮明さを取り戻した目交まなかいには、意識を失うまえと寸分変わらない景色が広がっている。

 背後からアゼトに抱きしめられていることに気づいて、リーズマリアははたと振り返る。


「アゼト……さん!?」


 アゼトはこくりと肯んずる。

 少年の顔も身体もすっかり血に染まっている。

 自分の血ではない。リーズマリアの返り血を浴びたためだ。


 あのあと――

 最高司令官の死を確認したアゼトは、リーズマリアの首を慈しむように抱き上げた。

 至尊種ハイ・リネージュは、たとえ四肢を切断されたとしても、傷口同士をしばらく密着させておくだけで元通りに再生するのだ。

 アゼトはみずからの身体を、リーズマリアの首と胴体がつながるまでのにしたのだった。


 時間にしてほんの三十分たらず……。

 それでも、リーズマリアがこうして目を覚ますまで、アゼトは不安のなかで過ごしていたのだ。

 むろん、吸血鬼が首を切られても死なないことはわかっている。だが、それはあくまで知識の上でのことだ。

 じっさい、首を切られた吸血鬼が復活する場面を目の当たりにするのは、アゼトにとってこれが初めてなのである。


(もしこのまま再生しなかったら……?)


 そんな不安が少年の胸を占めたのも無理からぬことだった。


 涙の痕に気づかれまいと、アゼトはせいいっぱい気丈に振る舞おうとする。

 

「リーズマリア、すまない……」

「なぜアゼトさんが謝るのですか」

「最高司令官を倒すためには仕方がないとはいえ、君の首を切ってしまった。痛かっただろう」

「気にしないでください。元はといえば私自身が言い出したことです。それに……」


 いったん言葉を切り、リーズマリアはアゼトの眼をまっすぐに見つめる。


「アゼトさんのことを信じていましたから、痛みも怖さも我慢できました」


 吸血鬼の姫は、ふっと花が綻んだような笑みを浮かべる。

 アゼトは「ありがとう」と小声で呟くと、リーズマリアを背後から強く抱きしめる。

 そうしてしばらく抱き合ったあと、アゼトはふと顔を上げた。

 

「ここにあるカプセル……最高司令官が生み出したこの人間たちはどうする?」


 最高司令官は滅びたが、カプセル内で目覚めを待つ新人類はいまなお健在だ。

 放射線や有毒物質によって汚染されていない、世界の再建を担う清浄にして完璧な次世代種ポスト・ヒューマン……。

 彼らは外界の状況など知らぬまま、無垢な胎児のように眠りつづけている。


 リーズマリアは空間を埋め尽くすカプセルの群れをひとわたり見渡すと、


「このままにしておきましょう」


 まるでひとりごちるみたいに、そう言ったのだった。


「いいのか? ここで破壊しておかなくても――――」

「悪しき者によって造られた生命とはいえ、彼らに罪はありません。いつの日か彼らが永い眠りから目覚め、みずからの足で外の世界に踏みだすというなら、それもまた運命だと考えます。たとえそれが何千年、何万年先のことであったとしても……」


 もし最高司令官の言葉どおり、至尊種ハイ・リネージュと現生人類に未来がないのだとすれば……。

 なにもかもが滅び去ったあと、この地で呱々の声を上げた新人類たちが、ゼロからあらたな歴史を紡ぎはじめるのかもしれない。

 あるいは、ここで最高司令官とともにひっそりと朽ち果てるか。

 いずれにせよ、彼らの生殺与奪はおのれの掌中にはないと、リーズマリアは判断したのだった。


 リーズマリアはやおら立ち上がると、アゼトにむかって手を差し伸べる。


「帰りましょう、アゼトさん。私たちの帰りを待っている皆のところへ」

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