CHAPTER 09:ジェイル・ブレイク

 アゼトはしばらく動かなかった。

 脱出が容易でないことがすぐにわかったからだ。

 天井には四基の監視カメラが据え付けられ、つねにアゼトの動向を見張っている。

 部屋の隅々に視線を走らせても、排水口や換気ダクトの類は見当たらない。

 どこにも出口はないということだ。

 

(仕方がない……)


 アゼトはやおら口のなかに指を突っ込むと、下顎側の最も奥にある歯を探り当てる。

 いわゆる第三大臼歯おやしらずだ。

 ろくに医者にかかれない賞金稼ぎの常として、細菌感染を起こしやすいはとうの昔に抜歯している。

 いまアゼトの第三大臼歯に収まっているのは、セラミクス製の義歯であった。


 アゼトは監視カメラの死角に身を入れつつ、そっと義歯を引き抜く。

 そして、すばやく義歯を裏返し、歯肉側にはめこまれていたキャップを取り外す。

 空洞になった歯の内部には、灰色がかった粘土状の物体がみっしりと詰め込まれている。

 一見するとガムのようにも見えるそれは、可塑性プラスチック爆薬だ。

 もともとはウォーローダーの機内に閉じ込められた場合にそなえて、コクピットハッチの開閉ヒンジを破壊するために用意していたものである。


(奴らに気づかれるまえに設置しなければ――――)


 アゼトは反対側の第三大臼歯を抜くと、やはり内部に格納していた小型信管と起爆ケーブルをプラスチック爆弾に差し込む。

 物質としてきわめて安定なプラスチック爆弾は、たとえ火のなかに投げ入れたところで爆発することはない。

 起爆させるためには、かならず信管(雷管)を用意する必要があるのだ。


 アゼトは監視者に気取られないよう、すばやく爆弾に信管を組み合わせ、ケーブルを掌のなかに隠す。

 あとは静電気を与えてやればプラスチック爆弾は起爆する。壁やドアを破壊することはむずかしいが、爆発が起これば警備兵が駆けつけてくるだろう。

 敵の注意を引くことができればそれで充分なのだ。


 アゼトは手近な壁にプラスチック爆弾を貼り付けると、ベッドから床へと転がり落ちる。

 袖口をわずかにちぎりとり、切れ端を両耳に詰め込むことも忘れてはいない。

 ごくごくちいさな爆発とはいえ、爆風をまともに浴びたり、爆音に晒されれば無事では済まないのだ。

 

(いまだ……!!)


 アゼトは親指と人差し指の爪を擦り合わせる。

 摩擦によって生じた静電気は、起爆ケーブルを伝い、一瞬のうちにプラスチック爆弾に達する。


 ぼっ――と、オレンジ色の炎とともにちいさな爆発が起こったのは次の瞬間だ。

 

 部屋の外では警報機がけたたましい音を立てている。

 それも当然だ。じっさいにはほんのわずかに壁を焦がす程度でも、独房内で爆発が起こったのは由々しき事態である。

 アゼトは耳に詰めていた切れ端を抜き取り、注意深く周囲の音を分析する。


 こちらにむかって廊下を駆けてくる足音は、すくなくとも三人分。

 武装した兵士とみてまちがいない。

 彼らが部屋に突入してくるまであと五秒ほど。


――ヴァネッサは来るだろうか?


 アゼトは脳裏にいっしゅん浮かんだ女の顔を、すぐに消し去った。

 たとえ彼女がいたところで関係ない。最短かつ最速で息の根を止め、武器を奪って逃げる。

 余計なことを考えれば、それだけ生還率は低下するのだ。


 と、入口のドアが勢いよく開いた。

 はたして、室内に飛び込んできたのは武装した兵士たちだった。

 人数は三人。これも予想どおりだ。

 いずれも濃緑色のボディーアーマーとケプラー製ヘルメットをまとい、手には銃床ストックのないカービンタイプのアサルトライフルを携えている。


「おい!! なにがあった!?」


 兵士は叫びつつ、床の上に突っ伏したアゼトに近づいてくる。

 アゼトは苦しげに呻くふりをしながら、すばやく兵士たちに視線を走らせる。

 全身を機械化した第二世代の吸血猟兵ではなく、生身の人間だ。

 敵は完全武装、こちらは丸腰だが、人間相手なら勝機は充分すぎるほどにある。


「――――」


 アゼトの身体が跳ねた。

 全身のバネを用いて、寝そべった姿勢から一気に直立したのだ。

 同時に右肘を突き出し、いちばん近くにいた兵士の首に叩きつける。

 肘は人体のなかで最も硬く、そしてするどい部位だ。

 強烈な肘打ちによって頚椎を砕かれた兵士は、断末魔さえ上げずに絶命する。


「き、貴様……っ!!」


 後方の兵士が銃を構えたときには、アゼトは倒した兵士のホルスターから拳銃を抜いている。

 大口径のダブルアクション・リボルバー。

 ふだんアゼトが愛用している自動拳銃オートマチックに較べて装弾数は少なく、反動も強いため射撃精度も低い。その反面、構造的に弾詰まりジャムの心配はなく、ストッピングパワーにもすぐれている。

 すくなくとも、この状況では心強い武器といえるだろう。

 兵士の死体を盾代わりに保持しつつ、アゼトは片手で拳銃を連射する。

 やがて銃声が熄んだときには、手狭な部屋は三人分の死体で埋まっていた。


 アゼトは敵の死体からアサルトライフルと予備弾倉マガジン、ナイフ、手榴弾といった装備をすばやく剥ぎ取る。

 ボディーアーマーとヘルメットには目もくれない。ウォーローダーを奪うためにはなるべく身軽でいたほうがいいからだ。


 開けっ放しになったドアのむこうから、こちらにむかって駆けてくる複数の足音が聞こえた。

 敵の増援だ。今度はざっと十人ほどはいるだろう。

 戦って勝てない数ではないが、不必要な戦いで時間を無駄にするわけにはいかない。

 アゼトは部屋を飛び出すと、脇目もふらずに廊下を駆け出していた。


***


 アゼトが脱走した報せを、ヴァネッサは基地の司令室で聞いた。


「想定内……と言いたいところだけど、まさかこんなにも早く動くとはね。さすがは旧世代の生き残りと言ったところかしら」


 ヴァネッサのデスクの前には、八人の男女が整列している。

 いずれも全身を機械化した第二世代の吸血猟兵カサドレスだ。


 と、ひときわ上背のある男がヴァネッサのまえに進み出た。


「アリエス大佐。僭越ながら、意見具申をお許しください」

「かまわないわ、ウーズレイ少尉」


 ウーズレイと呼ばれた男は慇懃に頭を下げると、朗々たる声で意見を述べる。


「”リベレイター”の使用を許可ねがいます」

「吸血猟兵とはいえ、相手は生身の人間よ。こちらがウォーローダーを投入すれば、生け捕りにすることはむずかしくなる」

「むろん承知しております。奴の脳髄に埋め込まれたチップには傷をつけないよう、最大限の注意を払うつもりです」


 ウーズレイの痩せた顔に酷薄な笑みがよぎった。

 人類解放機構としては、もともとアゼトを長く投獄しておくつもりはなかった。

 頃合いをみて脳にメスを入れ、第一世代吸血猟兵カサドレスの証であるチップを摘出する予定だったのだ。

 チップに蓄えられた情報を吸い出すことができれば、第二世代の吸血猟兵に不足している戦闘経験を一気に補うことができる。

 裏を返せば、チップさえ無事であれば、アゼトの肉体はどうなろうとかまわないということだ。


「よろしい――リベレイターの使用を許可します。ウーズレイ少尉はタルボ、モリス、ジェンセン、クライスの四名を率いてただちに出撃。私とほかの者は戦闘指揮所でサポートに当たる」


 それだけ言うと、ヴァネッサはデスクを立つ。


「相手はまだ少年とはいえ、実戦経験を積んだ吸血猟兵カサドレスであることに変わりはない。くれぐれも油断は禁物よ。各員、標的の確保にあたっては最大限の警戒を怠らないように――――」


 ヴァネッサの言葉に、隊員たちは敬礼で応じる。


 格納庫内で五機のリベレイターが起動したのは、それから数分と経たないうちだった。

 どの機体の踵にも、見慣れない球体状ボールの物体が装着されている。

 従来のアルキメディアン・スクリューに代わって採用された新型推進装置――ジャイロホイール・ドライブだ。


 アルキメディアン・スクリューは不整地での走破性にすぐれる反面、平坦地ではパワーロスが大きい。さらにスクリューへの動力伝達に油圧と回転軸ドライブシャフトを用いるメカニズムは、どうしても複雑で重くならざるをえないという欠点がある。

 リベレイターのジャイロホイール・ドライブは、小型超電導モーターを内蔵した球体ジャイロスフィアを回転させることで駆動力を生み出す。

 重量増大の原因となる回転軸や油圧系は最初から存在せず、パワーロスも最小限に抑えられている。ジャイロホイールはコンピュータによって自動制御されるため、乗り手ローディは操縦にわずらわされることなく、戦闘に全神経を集中させることができる。

 いくつもの新機軸を導入したリベレイターは、文字どおりこれまでのウォーローダーとは別格の高性能機なのだ。


「ウーズレイ少尉、出撃する。小隊各機は私につづけ――――」


 超電導モーターの独特な駆動音を響かせながら、五機のリベレイターは次々と格納庫を飛び出していった。

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