CHAPTER 08:コート・イン・トラップ

 白い部屋に鉛のような沈黙が降りた。

 最高司令官グランドコマンダーと対峙したリーズマリアとアゼトは、互いの手を握りしめたまま、身じろぎもせず立ち尽くしている。


「私は……」


 リーズマリアの唇が震える声を紡ぎ出した。

 

「支配者になどなるつもりはありません」

「ほう――――」


 最高司令官の声に動揺はない。

 最初からその答えを予測していたとでもいうように、あくまで冷静に問い返す。


「ならば、なぜ人類解放機構との共闘を望む? 新種族やつらの皇帝として世界を支配したいのであれば、我らと手を結ぶ必要はないはずだ。汝の父であるがそうしたように、紛いものどもの偶像として崇拝されるがよい」

「私がここに来たのは、他者を支配するためではありません。人間と至尊種ハイ・リネージュが、ともに手を取りあえる未来を作るためです」

「不可能なことだ」


 最高司令官の言葉には隠しようもない嘲りがにじんでいる。


「聞け、リーズマリア。いつの時代にも、支配するものと支配されるものは存在する。捕食者と被捕食者のどちらが欠けても生態系は成り立たぬのだ。そして、汝は万物の王となるべくこの世に生を享けた。支配の否定は、みずからの存在意義を否定することにほかならぬ」

「生まれがどうであろうと、私には自分の意志があります。どのように生きるかは、運命ではなく私自身が決めることです」

「裏切り者の娘が、思い上がった口を利くな――――」


 水槽の内部に烈しい気泡が生じた。

 脳と神経系だけの存在である最高司令官には、表情も声帯もない。

 それでも、抑えがたいほどの怒りが、彼を取り巻く培養液を沸き立たせているのだ。


「リーズマリア。あくまで我の申し出を拒絶するというなら、どうあっても汝をここから帰すわけにはいかぬ」

「そちらが実力行使に出るというなら、こちらもブラッドローダーを喚ぶまでです」

「おまえはそれでよかろう。だが、隣にいる吸血猟兵カサドレス小童こわっぱはどうかな」


 最高司令官が言うや、アゼトの口から「うっ」とくぐもった叫び声が洩れた。

 次の瞬間には、少年の目と耳と鼻から赤いものが堰を切ったみたいに溢れ出した。

 おびただしい量の鮮血だ。

 自然に生じた症状ではない。あきらかに人為的に引き起こされたものであった。


「アゼトさん!!」


 がっくりと片膝をついたアゼトを、リーズマリアはすかさず支える。

 そんな二人の様子を眺めつつ、最高司令官は呵々と無機質な笑い声を上げる。


「アゼトさんになにをしたのですか!?」

吸血猟兵カサドレスのは誰だと思っている? この我だ。かつて我は優秀な人間を集め、新種族どもを狩るための猟犬へと改造した。むろん、裏切りを防ぐための策も講じてある」

「まさか……」

「そやつの脳に埋め込まれたチップに、特殊な信号コードを送った。我が望みさえすれば、さらなる苦しみを与えることもできる」

「この人は関係ありません!! いますぐ止めてください!!」

「なにがあってもブラッドローダーを喚ばぬと誓うなら、その小童の生命は助けてやってもよい」


 わずかな逡巡のあと、リーズマリアはようよう口を開いた。

 

「わかり……ました」

「あの男の娘にしては物分りがいい。じつに結構なことだ。しかし、口約束だけでは信用はできぬ」

「私にどうしろというのですか」

「すぐに分かる――――」


 最高司令官が言い終わるが早いか、壁面の一角が音もなく開いた。

 奥の暗がりから現れたのは、ここまでの道案内役を務めた白いロボットだ。

 それも一体ではない。まったくの同型機が三体、ぞろぞろと部屋のなかに入ってくる。

 三体のロボットはリーズマリアの前後左右を取り囲むと、その場で静止した。


「無駄な抵抗はせぬことだ。……小童を殺したくなければな」


 どうやら最高司令官の言葉が合図だったらしい。

 ロボットたちは、リーズマリアの首と両手に金属の枷を嵌め込んでいく。

 冷たい金属の感触に秀麗なかんばせを歪めながら、リーズマリアは最高司令官に問うた。

 

「これはいったい……?」

「紫外線照射装置つきの首輪だ。作動すれば即死は免れぬ」

「こんなもので私を脅迫しようというのなら、無駄なことです」

「脅迫などではない。そこに転がっている小童ともども、あくまでに交渉を進めるための保険にすぎん。そも、先にブラッドローダーをちらつかせたのは汝であろうが」


 最高司令官の言葉には、どこか勝ち誇ったような響きがある。

 それも当然だ。最大の脅威であるブラッドローダーを封殺し、リーズマリアの身柄を拘束したのである。

 一手でも誤ればすべてが無に帰す危うい賭けをおこなっていたのは、最高司令官もおなじなのだ。


「これでようやく交渉のテーブルにつく準備ができた。そのまえに、人間や新種族どもとの共存がいかにばかげた夢物語であるか、汝にはじっくりと時間をかけてしてやろう」


***


 アゼトが目覚めたのは、どこともしれないベッドの上だった。

 どれくらいのあいだ気を失っていたかはわからない。


「っ……!!」


 立ち上がろうとして、アゼトはおもわず声を洩らした。

 脳に錐を突き立てられたような激痛と異物感、それにともなう吐き気はまだ残っている。

 逆に言えば、いまのところ問題はそれだけだ。

 手足の感覚が正常であることを確かめつつ、アゼトは注意深く周囲を見渡す。


 ベッドのほかにはなにもない殺風景な部屋だ。

 部屋というよりは、小綺麗な牢獄と言ったほうが適切だろう。

 室内に人気ひとけはなく、厳重に施錠されているだろう出入り口の外がどうなっているかを知る術はない。


(リーズマリアは……)


 アゼトは上体を起こそうとして、ふと違和感に気付いた。

 ノスフェライドとの感応リンクが途絶えている。

 なんらかの原因で、血中のナノマシンを介した相互通信が遮断されているのだ。

 脳内に埋め込まれたチップ――正確にはそこに送り込まれている特殊な信号波が神経組織ニューロンに干渉し、ノスフェライドとの連絡を遮断しているとは、むろんアゼトは知る由もない。

 

(ノスフェライドを喚ぶことができない――――)


 いまのアゼトが理解できるのは、最大の切り札を封じられたという事実だけであった。

 

 出入り口が開いたのはそのときだった。

 アゼトの視界に飛び込んできたのは、見知った女兵士の顔だ。


「ヴァネッサ……」


 アゼトは無意識のうちに懐の拳銃に手を伸ばすが、指先はむなしく空を掻いた。

 ここに運び込まれるまでのあいだに、くまなく身体検査ボディチェックがおこなわれたのだろう。

 隠し持っていた銃やナイフの類がすべて取り上げられていることは言うまでもない。

 

「無理に起き上がらないほうがいいわ」

「なぜこんなことを……!?」

「それはあなたのほうが知っているのではなくて? ……私たちは最高司令官グランドコマンダーの命令に従い、あなたをここまで連れてきただけ」


 軍人ならそれが当然だと言わんばかりのヴァネッサの態度に、アゼトはそれきり口をつぐむ。

 彼女を相手に問答を重ねたところで、望む答えが得られるとは到底思えなかった。


「リーズマリアはどこにいる?」

「彼女は別のチームの監視下に置かれている。私が知っているのはそれだけよ」

「これから俺をどうするつもりだ」

「最高司令官の指示があるまで、あなたにはここでじっとしていてもらう。すこしでも長生きがしたいなら、くれぐれもバカな考えは起こさないで。私たちも手荒な真似はしたくないもの」


 もし忠告を守らなければ、そのときは容赦なく殺す――――。

 優しく気遣うようなヴァネッサの言葉には、どこか剣呑な響きが見え隠れした。


「……ヴァネッサ。あんたは、最高司令官の正体を知っているのか」


 アゼトは天井に視線を据えたまま、ひとりごちるみたいに問うた。

 ヴァネッサはふっとちいさくため息をつくと、アゼトから目を背けたまま言った。


「あの御方の正体がなんであろうと、私たちの唯一無二の指導者であることに変わりはない。崩壊寸前だったレジスタンス組織を立て直し、新型ウォーローダーを開発できるようになったのも、すべてあの御方の力があればこそ。大げさではなく、私たちにとっては神にも等しい存在なの」

「……」

「私はおなじ吸血猟兵カサドレスとして、あなたにもぜひ仲間になってほしいと思っているわ」


 アゼトはなにも言わず、ヴァネッサはそのまま部屋を出ていった。


 まぶたを閉じたのは眠るためではなく、脱出の手立てを考えるためだ。

 ノスフェライドが使えない以上、リーズマリアを連れて敵中を突破する方法はひとつしかない。

 あの新型機――”リベレイター”を奪い取る。

 同胞である吸血猟兵カサドレスと戦うことになったとしても、かならずリーズマリアとともにここから脱出してみせる。


 まぶたを開いたアゼトの顔には、もはや一片の迷いも躊躇いもなかった。

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