CHAPTER 07:キイ・オブ・リジェネレーション
耐爆扉をくぐりぬけたアゼトとリーズマリアは、おもわずその場で足を止めた。
いま二人が立っているのは、無機質な通路とはまるで趣を異にする瀟洒な洋館――その宏壮な
無機質な軍事施設の内部にこんな場所が広がっているとは、いったいだれが想像できるだろう。
床や壁には地上では見かけることもなくなった天然素材がぜいたくにあしらわれ、天井に吊り下げられたシャンデリアからは煌々と光が降り注いでいる。
室内に彩りを添えるのは、戦災によって永遠に失われたはずの絵画や彫刻だ。
戦時中、ひそかに建設された人類軍の
一見すると実用性に乏しい内装は、あくまで人類最後の砦としての威儀を保つための装飾にすぎない。
この奥には、最後まで戦争を指揮するための高度な通信・情報処理システムが隠されている。それこそがこの施設の本体なのだ。
「リーズマリア、下がって」
アゼトは懐の拳銃に手をかけながら、リーズマリアのまえに進み出る。
奥の回廊からなにかが近づいてくる。
なかば闇に溶けていた
地面につきそうなほど長い腕。腰と腹がなく、胸から直接生えた両足。人間にしてはあまりにも奇怪な体型であった。
それも当然だ。
いま二人のまえに立っているのは、人間ではなく、白磁のような
目も鼻もない顔面のちょうど中心では、あざやかなグリーンのセンサーが炯々と輝いている。
「……何者だ?」
アゼトの問いかけに、ロボットは軽く会釈をしてみせる。
ややあって、ロボットの胸のスピーカーから機械合成音声が流れた。
「ようこそいらっしゃいました。これより
「ここにいるのはおまえだけか」
「このエリアは封鎖区画です。特別な許可を受けた者以外の立ち入りは禁止されています」
アゼトとリーズマリアは互いに顔を見合わせる。
どちらも疑問を口にすることなく、ただ無言で頷きあっただけだ。
たとえこのさきになにが待っていたとしても、引き返すという選択肢はないのだ。
「わかりました。案内をおねがいします」
「かしこまりました――――」
ロボットに先導されるまま、アゼトとリーズマリアは一歩を踏み出す。
絨毯が敷かれた回廊は、ある地点を境に無機質なコンクリートの床に変わっていた。
まるで地の底へと続いていくような、長く終わりのみえない道のり。
実時間にして十分と経っていないにもかかわらず、アゼトとリーズマリアは、すでに何時間も歩きつづけているような錯覚に囚われている。
アゼトはちらと背後を振り返る。
体感上の時間の流れはどうあれ、あれだけの灯りが見えなくなるほど遠くまで来ているはずはない。
――しまった!?
知らぬまにシャッターが降りたのか。
いずれにせよ、退路を断たれたことに変わりはない。
最悪の事態を想定しつつ、アゼトは一方の手で銃を、もう一方の手でリーズマリアの手を握りしめる。
「到着でございます」
ふいに声をかけられて、アゼトははたと我に返る。
眼の前にそびえるのは見るからに頑丈な金属製の扉だ。
人間はむろん、ウォーローダーが全力でぶつかったところでびくともしないだろう。
「
「ここまでの案内、ご苦労でした」
「与えられた
それだけ言うと、ロボットはふたたび回廊を戻っていく。
重々しい音をたてて金属扉が動いたのはそのときだった。
多重構造の扉を構成する層のひとつひとつがゆっくりと左右にスライドし、あるいは天井や床に吸い込まれていく。
最後に現れたのは、ヒダ状のシャッターが重なりあった円形の扉だ。
アゼトとリーズマリアが近づくと、それはひとりでに展開し、ついにすべての防壁が開放された。
その奥にはなにもない――――正確には、灯りひとつない真闇がぽっかりと口を開けている。
「アゼトさん……」
「いこう、リーズマリア。なにがあっても俺が守る」
不安げに呟いたリーズマリアに、アゼトは力強く応じる。
視界が白く染まったのは次の瞬間だった。
壁と天井に設置された無数の照明がいっせいに点灯したのだ。
光量こそ強烈だが、吸血鬼にとって有害な紫外線を一切含まない特殊ライトである。
ようやくまぶしさに目が慣れたアゼトは、ようようまぶたを開く。
「――――」
白い部屋だった。
天井も、壁も、床もシミひとつない白一色に染め上げられている。
その中心に置かれているのは、液体に充たされた透明な
一辺が五メートルほどもある巨大なそれは、遠目には水槽のようにもみえる。
その内部に浮かんでいるものを認めて、アゼトとリーズマリアはおもわず息を呑んでいた。
巨大な心臓――――
より正確にいえば、心臓と脳髄を始めとする臓器がひとつに溶けあった巨大な肉塊が、青みがかった液体のなかに浮かんでいるのだ。
アゼトがホルマリン漬けの標本と錯覚したのも無理はない。
だが、よくよく目を凝らせば、肉塊は脈動にあわせて小刻みに震えている。
こんな姿でも、そいつはまちがいなく生きているのだ。
「よくぞ参った――――」
男とも女ともつかない合成音声は、部屋全体から響いた。
スピーカーではなく、天井や床そのものを振動させて音声を作り出しているのだ。
「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースです。あなたが
「いかにもそのとおりだ。そして、純血の旧種族の最後の生き残りでもある……」
水槽のなかの肉塊――
「最終戦争の末期、我はみずからの意志でこのような姿になった。我ら旧種族は長命だが、不死ではない。寿命を極限まで伸ばすため、我は生存に必要な部位だけを残して肉体を捨てたのだ」
「なぜそんなことを――――」
「
ごぽごぽ……と、水槽のなかに細かな気泡が生じた。
自力では一歩も動けない肉塊になりはてても、まだ感情は残っているらしい。
「聞け、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。忌まわしい裏切り者の娘とはいえ、汝は旧種族の血を引くこの世でただひとりの存在。滅びゆく
「私にどうしろと言うのですか?」
「言うまでもない。穢らわしい新種族を打倒し、この世界を奴らから取り戻せ。しかるのちに生き残った人間たちを導き、ふたたびこの星に文明を再建するのだ」
「つまり、私に支配者になれ……と?」
「そうだ。蒙昧な人の群れを統べるのは、選ばれし者に課せられた神聖な義務である――――」
黙したままのリーズマリアをよそに、
「ここには我が守ってきた再生の鍵がある」
「鍵……?」
「旧時代の文化や歴史にまつわる膨大な記録。絶滅した動植物の
最高司令官の言葉に呼応するように、壁面いっぱいに立体映像が映し出された。
きわめて難解な方程式に続いて表示されたのは、コンピュータによる演算シミュレーションだ。
その原理はアゼトとリーズマリアには理解できない。
だが、映像のなかで荒廃した土地に新緑が芽吹き、すこしずつ青い海がよみがっていくさまは、千万の言葉にもまさる説得力をそなえていた。
「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。汝は新世界の支配者――――否、神となって、あまねく生命のうえに君臨するのだ」
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