CHAPTER 04:セカンド・エイジ

 その光景はまさしく地の果てと呼ぶにふさわしかった。


 見渡すかぎりの地平線を埋め尽くすのは、白く乾ききった荒野だ。

 ところどころに傷口のような地隙クリークが縦横に走り、まだら状の堆積層が露出している。

 どれほど目を凝らしたところで、わずかな生命の痕跡さえ見当たらない。

 これがかつて幾億もの生命を育んだ海洋のなれのはてだとは、いったいだれが信じられるだろう。


 最終戦争における核兵器の濫用は、地球環境に消えない爪痕を残した。

 核爆発によって巻き上げられた大量の粉塵が分厚い積層雲をなし、太陽光をさえぎったのだ。

 放射性物質に汚染された雨と雪は百年以上にわたって断続的に降りつづき、平均気温は氷点下を下回った。

 人為的にもたらされた氷期――”核の冬ニュークリア・ウインター”の到来である。

 飢えと寒さ、そして残留放射線によって死亡した人間はゆうに七十億人を超える。

 戦前の最盛期には百億人になんなんとした人類は、わずか一世紀あまりのうちにその過半数を失った計算になる。


 ”核の冬”が過ぎ去ったあとにやってきたのは地獄の夏だった。

 空を覆っていた粉塵の雲が晴れたことで、オゾン層の致命的な破壊と、それにともなう水の循環サイクルの破綻が露呈したのである。

 照りつける太陽光は気温を急上昇させ、蒸発した海水は二度と地上に戻ることはなかった。

 やがてオゾン層の再生によって大気圏外への放散がんだときには、すでに海洋の大部分は消滅していた。

 いつ終わるともしれない冬と夏を乗り越えた人類に残されたのは、放射線と重金属に汚染された不毛の大地だけであった。


 いま、アゼトとリーズマリアを乗せた垂直離着陸VTOL機が降り立ったのは、かつての大海の中心――――いまや住む者とていない死の大地にほかならない。


 現在の時刻は午後五時を過ぎたところ。

 太陽ははるかな地平線の彼方に沈み、空と大地は黄昏の色に染まっている。

 あと三十分もすれば、吸血鬼も安心して出歩けるようになるだろう。

 もっとも、外に出たところで何があるというわけでもない。

 かつては深度千メートルの海底だったこの一帯には、暗灰色の火成岩ガブロのほかにはなにも存在していないのだ。


「人類解放機構が指定してきた地点はこのあたりのはずだが……」


 言って、アゼトはディスプレイに表示された電子地図を見やる。

 出発時に入力した座標に間違いはない。人間の操縦ならいざしらず、ブラッドローダーの支援を受けた自動操縦装置オートパイロットに限ってミスはありえないのだ。


「もうすこし経ったら、外に出てあたりの様子を探ってこようか。君はここで――――」

「いけません!!」


 アゼトが言い終わるより早く、リーズマリアは短く叫んでいた。


「どこにも行かないで」

「しかし……」

「私をひとりにしないでください。おねがいです……」


 リーズマリアの声は震えていた。

 アゼトが時空の狭間に呑み込まれたのはつい数日前のことだ。

 奇跡的に生還を果たすことができたとはいえ、一歩間違えればそのまま永遠に生き別れていたかもしれないのである。

 わずかな沈黙のあと、アゼトは肩にかかった細い指をそっと握り返す。


「わかった。外に出るときはふたりいっしょだ。君をひとりにはしない」


 アゼトの言葉を耳にして、リーズマリアの憂いを帯びたかんばせに安堵の色が差した。


 甲高い電子音がコクピット内に響いたのはそのときだった。

 未確認物体の接近を告げる警報アラームだ。

 アゼトはすばやくレーダーに視線を走らせる。

 ディスプレイ上には、大気圏外で地上を監視しているノスフェライドから送信された情報がリアルタイムで表示されている。

 もしブラッドローダーであれば、ノスフェライドとセレネシスは自動的に迎撃体制に入っているはずであった。


「アゼトさん――――」

「大丈夫だ。機種不明のウォーローダーが五機、それに車輌が二台。人類解放機構のだろう」

「こんな場所で、いままでどこに隠れていたのでしょう」

「わからない。だが、これで待ちぼうけを食らう心配はなくなったということだ」


 アゼトはノスフェライドに成層圏まで降下するよう命じる。

 もし相手方に不穏な動きがあれば、たちまち上空から重水素レーザーの雨が降り注ぐ。

 超高出力の光条に触れたが最期、ウォーローダーはむろん、核爆発に耐える超重戦車であっても瞬時に灰燼に帰すのである。

 

 ややあって、無線機がノイズ混じりの音声を吐き出した。

 アゼトはボリュームを上げ、片言隻語も聞き逃すまいと耳を澄ませる。


「――――聞こえるか。こちらは人類解放機構軍……」


 機材が劣化しているのか、それとも意図的に加工しているのかは判然としないが、音声はひどく歪んでいる。

 いずれにせよ、男にしては高すぎる声であった。


「約束どおりリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの出迎えに参上した。確認のため、応答を願いたい」


 アゼトはリーズマリアのほうをちらと見やる。

 リーズマリアは無言で頷くと、後席側のマイクに顔を近づける。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースです。わざわざの出迎えに感謝します」

「その機体から降りて、こちらの車輌に移っていただく。護衛もいっしょでかまわない」

「私がかどうか確認しなくてかまわないのですか?」

「その必要はない。最高司令官グランドコマンダーじきじきのご命令だ。我々はあの御方の指示に従うまでのこと」


 そうするうちに、アゼトは外部カメラをズームさせている。

 こちらにむかって近づいてくるのは、見たこともないウォーローダーだった。

 その外観は、新旧人類軍の主力機であるアーマイゼ・タイプとはあきらかに異なる。

 洗練された装甲形状と、太くたくましい四肢は、従来のウォーローダーとは一線を画するものだ。


 なによりアゼトの目を引いたのは、機体に使用感がほとんどないことだった。

 ウォーローダーは大地を駆ける陸戦兵器である。

 たとえ戦闘に投入されなくても、動くたびにボディは傷つき汚れ、フレームは自重のために歪んでいく。

 こまめな整備をおこなっていたとしても、経年劣化は避けられない。

 にもかかわらず、目の前の機体群には、そうした兆候がまったく見受けられないのである。

 まるで工場で組み立てられたばかりの新品……。

 傷ひとつない真新しい姿は、そんな印象を抱かせずにはおかなかった。


 青灰色ブルーグレイに塗られた五機のウォーローダーは、垂直離着陸VTOL機を見下ろす小高い丘のうえで停止した。

 いずれの機体も、やはり見たことのない銃火器を携えている。

 人間用のアサルトライフルを短く切り詰めたようなかたちの火器をはじめ、両肩に箱型の多連装ミサイル・ポッド、腰部には予備弾倉のほかに柄つきの徹甲榴散弾グレネードが鈴なりに懸吊されている。


「アゼトさん……」


 不安げに呟いたリーズマリアに、アゼトはこくりと首肯してみせる。


「俺が先に出る。もし敵が妙な動きを見せたとしても、ノスフェライドが守ってくれている。なにも心配はないさ」


 周囲の紫外線量がじゅうぶん低下していることを確かめて、アゼトは装甲キャノピーを開放する。

 密閉されていたコクピットに乾いた風が吹き込んでくる。何兆という海洋生物の死骸が溶け込んだ風は、どこか塩と鉄のにおいがした。

 アゼトは五機のウォーローダーをまっすぐ見据えると、声のかぎりに叫ぶ。


「こちらに交戦の意志はない。銃を下ろしてもらおう」

「おまえは何者だ?」

「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの護衛だ。人間の護衛をひとりつけると、事前にそう通達したはずだが」


 わずかな沈黙が一帯を領した。

 乾いた風鳴りの音が何度か過ぎ去ったあと、先頭の機体が驚いたように言った。


「あなた……吸血猟兵カサドレスね?」

「――――」

「隠しても無駄よ。わずかだけど、頭蓋内に金属反応がある。まさか、脳に直接チップを埋め込まれたがまだ生き残っていたなんて……」


 言い終わるが早いか、五機のウォーローダーのコクピットが一斉に開いた。

 シートから立ち上がった人影は、機体とおなじく五つ。

 無機質な気密スーツをまとっているが、浮き上がった身体の輪郭から察するに、どうやら五人のうち一人は女らしい。

 さきほどからアゼトと言葉を交わしているのも、その女であった。


 女がふいにヘルメットを取った。

 ざあっ――と、金髪が黄昏の空に流れた。

 まだ若い女だ。

 年齢はアゼトとおなじか、すこし上といったところだろう。

 端正だが、どこか作りものじみた白い顔のなかで、強靭な意志を宿した蒼い瞳だけが輝いている。


「我々は人類解放機構軍、第一親衛機甲連隊レジメント。私は隊長のヴァネッサ・アリエス大佐。あなたとおなじ吸血猟兵カサドレスよ――――」

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