CHAPTER 03:コンタクト

「姫様、なぜあのような無茶を!?」


 通信が切れた直後、レーカはほとんど悲鳴のような声を上げていた。


「どうしても行かれるというなら、せめてアゼトのかわりに私を連れていってください。再手術をして耳を切り落とせば、外見からは人狼兵ライカントループと見破られないようにすることもできます。そのうえで人間のフリをして護衛を……」

「いけません。彼らとの約束を違えれば、交渉そのものが成り立たなくなります」

「しかし――――」


 レーカはそれきり黙り込んだ。

 セフィリアが無言で肩に手を置いたのだ。


「リーズマリア様がお決めになったことだ。心配なのは私もおなじだが、臣下が口を挟むことではない」

「セフィリア殿……」


 首を横に振りつつ言ったセフィリアに、レーカは唇を噛む。


「それに、アゼトがいるなら大丈夫だ。そうだな?」


 セフィリアに水を向けられて、アゼトは「ああ」と短く応じる。


「リーズマリアのことは生命に代えても守る。万が一ノスフェライドを喚ぶことになったとしても、俺ならギリギリまでただの人間で通すことができるはずだ」


 言って、アゼトはリーズマリアに目配せをする。

 リーズマリアはうなずきつつ、レーカの頭をやさしく撫でててやる。


「心配してくれてありがとう、レーカ。私たちはきっと無事に戻ってきます」

「姫様ぁ……!!」


 目尻に涙を浮かべたレーカをなだめながら、リーズマリアはエリザに視線を移す。


「シュリアンゼ女侯爵には頼みたいことがあります」

「なんなりとお申し付けくださいまし」

「私が不在のあいだ、あなたには帝都とのいくさの準備を進めてもらいたいのです。セフィリアは彼女の補佐を。イザール侯爵とサイフィス侯爵にもその旨を伝え、できるだけ早く合流するよう要請してください」

「委細かしこまりましたわ。すべてリーズマリア様の仰せのままに――――」


 エリザの声は弾んでいる。

 自分のである戦争の準備を仰せつかったことで、文字どおり欣喜雀躍の心持ちなのだ。

 リーズマリアが不在であっても問題はない。それどころか、エリザの好きなようにやれるという意味ではかえって都合がいい。

 セフィリアは補佐という立場だが、実際はそんなエリザに歯止めをかける、いわばお目付け役である。


「ただし、ひとつだけ条件があります。……もし敵に動きがあったとしても、こちらから先に仕掛けてはなりません。戦闘は領地防衛の範疇でのみ認めます」

「まあ! わたくしがそんなに好戦的に見えまして?」

「私が不在のあいだに独断で戦線を広げられては困るということです。わかりましたね、エリザ・シュリアンゼ」


 念を押すようなリーズマリアの言葉に、エリザは「わが家名に誓って」と慇懃に応じる。


 人類解放機構との交渉と、帝都との戦争準備。

 リーズマリアが主導するふたつの計画は、かくして始動したのだった。


***


 人類解放機構からのメッセージが届いたのは、それからちょうど二十四時間後だった。


 その内容は以下のとおりだ。――――


 一、人類解放機構はリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの申し出を受諾し、平和的対話に応じる。

 二、会談は人類解放機構が指定する場所に移動しておこなう。吸血鬼側が異議を唱えた場合、会談はただちに中止となる。

 三、最高指導者グランドコマンダーの出席は保証できない。

 四、吸血鬼側になんらかの背信行為があったと判断した場合、人類解放機構はすみやかにを取る。


 メッセージの全文を読み終わったとき、リーズマリアの秀麗なかんばせに憂いの色が差した。

 人類解放機構の要求はどこまでも高圧的で傲慢、そして身勝手だ。

 おそらく――いや、まちがいなく吸血鬼側を激怒させ、会談がご破産になることを願っているのだろう。

 じっさい、リーズマリア以外の至尊種ハイ・リネージュであれば、の礼を失した態度に怒り狂っていたはずだ。


 リーズマリア自身、人間側の態度に思うところがないわけではなかった。

 だが、人間だけを責めるわけにはいかない。

 すべては八百年以上にわたる支配・被支配の歪な関係がもたらした結果なのだ。

 虐げられてきた人間たちにとっては、残忍な支配者である吸血鬼に礼を尽くすほうが不自然だろう。

 いずれにせよ、敵意と悪意を抱いた相手と対話するためには、せめてこちらだけでも憎悪に呑まれないよう努めなければならない。


 それにくわえて、リーズマリアにはわが身を危険にさらしてでも確かめねばならないことがある。

 あのとき、皇后アルテミシアはリーズマリアたちにはっきりと告げた。

 八百年まえの聖戦――人間たちの言う最終戦争の実態は、旧種族と新種族によるであったと。

 旧種族は新種族の側に寝返った皇帝ただひとりを除いて絶滅したというが、はたしてほんとうにそうなのか。


 人間の遺伝子を取り込んで誕生した新種族――至尊種ハイ・リネージュの寿命が長くとも千年程度であるのに対して、原種オリジナルにあたる旧種族の寿命はじつに五千年にもおよぶ。

 最高指導者グランドコマンダーと名乗る人物が旧種族の生き残りだったとしても、その長命ぶりを考慮すればなんら不自然ではない。

 もしいまなお旧種族が人間を操り、至尊種にたいして無益な戦いを強いているのであれば、その構図は最終戦争から変わっていないことになる。


 至尊種と人間の共存を成し遂げるためには、いくら敵の兵士を倒したところで意味はない。

 種族間の憎悪を煽り立てる根源を断たないかぎり、不毛な戦いはこのさきも永遠に続いていくことになる。

 リーズマリアの真の目的は、あえて虎穴に足を踏み入れ、最高指導者の正体を突き止めることにあるのだ。

 そのうえで人類との共同戦線を構築し、ディートリヒとの戦いに臨むことができれば、リーズマリアが望む世界を実現するためのおおきな一歩となるはずであった。


***


「それにしても、ずいぶん辺鄙な場所を指定してきたな……」


 機体のナビゲーション・システムに座標を入力しつつ、アゼトはひとりごちた。

 シートが前後に並んだ複座タンデム式のコクピットをもつ垂直離着陸機VTOLだ。

 前席にはアゼト、後席にはリーズマリアがそれぞれ乗り込んでいる。

 キャノピーにあたる部分は紫外線を遮断する重装甲におおわれ、一見すると無人機のようにもみえる。

 外部の映像は随時コクピット内のディスプレイに投影されるため、飛行中の視界に問題はない。

 もっとも、至尊種ハイ・リネージュのメカの例に漏れず、高度な自律制御システムをもつ機体はほとんど操作する必要もないのだが。


 アゼトが航法システムをチェックしていると、シートごしにリーズマリアがひょっこりと顔を出した。

 機内は完全与圧されているため、ヘルメットやハーネスの類は身につけていない。


「そんなに遠いのですか? アゼトさん」

「シュリアンゼ家の塔市タワーから南西に五千キロ、いちばん近くの村からも千キロ以上は離れてる。どうやららしい。岩山と底なしの深い谷だらけで、とても人間が住める場所じゃない……」

「そんな場所に、ほんとうに彼らはいるのでしょうか」

「行ってみないことにはわからないが、至尊種ハイ・リネージュの勢力圏からはだいぶ離れている。レジスタンスがアジトを作るにはおあつらえ向きかもしれないな」


 ディスプレイの片隅に見知った顔が表示されたのはそのときだった。

 レーカは自分が置いていかれることにいまだ忸怩たる思いを抱いているのか、無念さを滲ませた表情で語りかける。


「アゼト、姫様を頼むぞ。私もいっしょにいきたいのはやまやまだが……」

「俺がついていると言っただろう。それに、ノスフェライドとセレネシスも大気圏外で待機している」

「レーカ。しっかりと私たちの留守を守ってくださいね」


 リーズマリアの言葉に、レーカはおもわず敬礼で応じる。


「そろそろ出発の時間だ」


 自動運転で格納庫ハンガーを出た機体は、そのまま”ステルヴィオ”の飛行甲板へと移動する。

 垂直離着陸機にカタパルトも離陸滑走も不要だ。アイドリング中の推力偏向ノズルが真下を向いたのと、流麗な機体がふわりと浮き上がったのは同時だった。

 アゼトとリーズマリアを乗せた機体はかろやかに宙をすべり、はるか彼方へと飛び立っていった。

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