CHAPTER 02:トライ・ネゴシエーション

「おもしろいことをおっしゃりますのね」


 エリザはあざわらうでもなく、心底から興味深げに言った。

 リーズマリアを見つめるその顔には、やわらかな微笑みさえ浮かんでいる。


「旧人類軍の残党と連絡を取ってどうするおつもりですの?」

「私はできるかどうかを訊いているのです」

「それはもちろん可能ですわ。抵抗組織レジスタンスの構成員が用いる秘匿通信コードも把握しております。しかし――――」


 微笑みを保ったまま、エリザの声がにわかに冷気を帯びた。


「あのような弱い者たち、とても戦力としてはあてにできませんわ。わたくしたち至尊種ハイ・リネージュへの抵抗運動と称してはいますが、ろくな戦力もなく、やることといえば散発的なテロがせいぜい。まさしく有象無象の寄せ集めですもの」

「私も戦力としてはまったく期待していません」

「ならば、なぜ彼らに呼びかけを?」

「この戦いを至尊種同士の内紛で終わらせないためです」


 リーズマリアは臆する素振りも見せず、きっぱりと言い切る。


「私たちが帝都との戦争に勝利したとしても、人間たちにとっては支配者が移り変わったとしか思えないでしょう。自分とは関係のない、どこか遠い世界の出来事と認識しているかぎり、どのような政策を実施したところで人間が真の意味で自由を手にすることはありません。みずからも当事者であるという自覚を持ってもらうためには、彼らにも戦いに参加してもらわなければならないのです」


 リーズマリアが言い終わると、それきり鉛のような静寂が降りた。

 アゼトもセフィリアもレーカも沈黙したまま、じっと二人の会話に耳を傾けている。

 ややあって、沈黙を破ったのはエリザだ。


「人間を巻き込むとなれば、それだけ戦争の規模も大きくなりますわ。死ぬ必要のない者が大勢死ぬことになるでしょう。それでもよろしくて?」

「むろん覚悟の上です。すべての罪は私が背負います」


 リーズマリアの言葉を耳にしたとたん、エリザの表情がぱっと明るくなった。


「まあ……!! 失礼ですけれど、わたくし、リーズマリア様からそのようなお言葉をお聞きできるとは思っておりませんでした」

「シュリアンゼ女侯爵?」

「わたくし、リーズマリア様は戦いがお嫌いだとばかり思っておりましたの。被害を最小限にだとか、なるべく犠牲を出さないようになどとおっしゃられたら、きっと失望しておりましたわ。ですが、戦火の拡大をお望みとあれば話は別です。枯れ木も山の賑わいと申しますものね」

「待ってください、私はそういうことを言っているのでは――――」


 リーズマリアが言いかけたときには、すでにエリザは部下を動かしている。


 旧人類軍の残党――人類解放機構とコンタクトが取れたのは、それからまもなくのことだった。


 かつてのレジスタンスは、組織とも呼べない烏合の衆だった。

 規模も方針もまるで異なる無数のグループが、吸血鬼への反抗という大目的のもとにゆるやかな同盟を形作っていたにすぎなかったのだ。

 その活動も本格的な武力闘争にはほどとおく、ときおり散発的なテロ行為をおこなうのがせいぜいというありさまだった。

 吸血鬼たちも彼らを疎んじてはいたものの、本腰を入れて討伐するにはあまりにも敵が貧弱すぎた。頭のまわりを飛び回る小バエがどんなにうるさかろうと、圧倒的な力を持つ者が本気で追いかけるのはバカバカしいというわけだ。

 ときおり大規模なレジスタンス狩りが実施されても、その目的はあくまで人間への――あるいは、無聊をかこった吸血鬼の娯楽にすぎない。

 最終戦争から八百年のあいだ、レジスタンスがほそぼそとその命脈を保ってきたのは、支配者である吸血鬼の怠惰と傲慢に救われたと言うこともできるだろう。


 そんな牧歌的ともいえる状況は、しかし、ある時期を境に一変した。

 最高指導者グランドコマンダーと呼ばれる人物が台頭し、強力な指導力によってバラバラだったレジスタンス組織を統合・再編したのである。

 みずからを人類解放機構と称する彼らは、わずかな年月のうちに大量のウォーローダーと訓練された兵士を擁する一大勢力へと成長を遂げた。

 むろん、ほとんど死に体だったレジスタンスがよみがえったところで、人類と吸血鬼のパワーバランスが変わることはない。

 ウォーローダーが何百機束になったところで、吸血鬼が操るブラッドローダーの敵ではないのである。それを裏付けるように、人類解放機構はいまだ地方の小領主さえ打倒できてはいないのだ。

 彼ら自身もそうした現実を理解しているがゆえに、吸血鬼に正面きって戦いをいどむような愚を犯すことはない。

 この十数年のあいだ、人類解放機構は吸血鬼の資源をかすめとり、ひたすら戦力の増強に努めている。

 かつてアゼトたちが交戦した独立機甲旅団”クルセイダーズ”は、そうした数ある教育部隊のひとつであった。


「吸血鬼が我々にいったい何の用件だ――――」


 くぐもった声が司令室に響いた。

 正面のディスプレイにはなにも表示されていない。

 発信源を辿られないようにデータは限界まで秘匿化され、音声を再生するのがせいいっぱいなのである。

 その声もまちがいなく生身のものではない。

 声には話者の性別や年齢、健康状態、周囲の状況といった無数の情報がふくまれている。

 それらの情報を採取されることを防ぐために、コンピュータによる電子合成音声を用いるのがこういった場合のセオリーなのだ。


 リーズマリアは名も名乗らず、顔も見えない相手にむかって、あくまで凛然と語りかける。


「私はリーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。十三選帝侯クーアフュルストルクヴァース家当主にして、至尊種ハイ・リネージュの次期皇帝となる者です」

「吸血鬼の次期皇帝だと――――」

「私はあなたがた人類解放機構との平和的対話を望みます。あなたがどのような立場の方かは存じ上げませんが、どうか最高指導者グランドコマンダーへの取り次ぎを願います」


 わずかな沈黙のあと、電子音声は乾いた笑いを放った。

 機械によって作られた偽りの声でも、嘲りと軽蔑が入り混じっていることはわかる。

 それも無理からぬことだ。八百年のあいだ人間を虫けらのように扱ってきた吸血鬼が、前触れもなく平和的な対話を呼びかけてきたのである。

 レジスタンスならずとも、リーズマリアの言葉を鵜呑みにする人間などいないだろう。


「見え透いた罠だ。狡猾な吸血鬼おまえたちらしくもない。最高指導者をおびき出して殺すつもりなら、もうすこしましな口実を考えることだ」

「では、どうすれば信用していただけるのですか」

「そうだな。たとえば――――」


 しばしの逡巡のあと、電子音声はどこか愉しむように言った。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。おまえが直々に我々のもとに出向くというなら、こちらも対話に応じる用意がある」


 ぜったいに出来はしまい――――言葉の端々から、そんな隠しようもない嘲弄が洩れ出ている。

 リーズマリアは深く息を吸い込むと、一語一語、はっきりとその言葉を口にする。


「承知しました」

「なに?」

「私があなたがた人類解放機構のもとへ赴くと申し上げたのです。あなたがたが誇りを持って人間の自由のために戦う組織であれば、たとえ吸血鬼が相手であっても、ひとたび口から出た言葉を覆すような真似はなさらないと信じます」

「それは――――」


 予想外の返答に動揺した隙を逃さず、リーズマリアはさらに付け加える。


「ひとつだけ要求があります」

「なんだ……?」

をひとり同伴させることを許していただきたいのです。至尊種ハイ・リネージュ人狼兵ライカントループではなく、正真正銘、生身の人間です。それさえ容れていただけるなら、そのほかの条件はあなたがたに委ねます」


 とっさに身を乗り出したセフィリアとレーカをすばやく片手で制しつつ、リーズマリアはアゼトに視線を送る。

 吸血猟兵カサドレスの少年はなにもいわず、ただちいさく首肯しただけだ。


 返答までには三十秒あまりの沈黙を要した。


「いいだろう。詳細な場所と日時はこちらで指定する。もし虚偽があった場合には、その場で貴様を殺す――――」


 ひどく剣呑な響きを帯びたその言葉は、しかし、まぎれもなく交渉の成立を意味していた。

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