旧き神の黄昏編

CHAPTER 01:ユア・マイ・オンリー

 シュリアンゼ家の大型航空戦闘艦”ステルヴィオ”と、その随伴艦がシュリアンゼ侯爵領に戻ったのは、皇帝の陵墓みささぎを発ってから半日あまりが経った夕刻のことだった。

 最高速で飛ばせば一、二時間ほどの距離だ。

 道中での敵襲を警戒し、安全な迂回ルートを取った結果であった。


***


 船室に据え付けられたスピーカーが、艦はまもなく塔市タワーの港に到着することを知らせた。


 アゼトはベッドから身体を起こすと、床に散らばっていた衣服を拾い集める。

 薄地のベッドキルトを胸のあたりまで持ち上げたリーズマリアは、そんなアゼトの様子をどこか寂しげな面持ちで見つめている。


「まだ時間はあります。もうすこしくらい……」

「俺もできればそうしたいけど、レーカやセフィリアが来るかもしれない。君も支度をしたほうがいい」


 アゼトはベッドに腰を下ろすと、リーズマリアの銀灰色の髪を指で梳いてやる。

 透きとおった白雪色の皮膚はだえと、甘やかな香りに吸い寄せられるように、アゼトはリーズマリアを押し倒していた。

 啄むような軽い口づけを交わしたあと、アゼトはぽつりと呟く。


「リーズマリア。ほんとうに俺でよかったのか。俺なんかが初めての……」

「アゼトさんはお嫌でしたか?」

「そんなわけはない。ただ、君に較べると俺は――――」


 アゼトはそれきり黙り込む。


 熱に浮かされたようなひとときが過ぎ去ったあと、アゼトとリーズマリアはどちらも生まれたままの姿でさまざまなことを語り合った。

 皇后アルテミシアの口から明かされた吸血鬼の歴史――旧種族と新種族の相剋と、その果てに訪れた最終戦争の真実。

 皇帝は滅び去った旧種族の最後の生き残りであり、彼の娘であるリーズマリアは、新旧ふたつの種族の血を引く唯一の存在であること。

 現存する人類のだれひとりとして知ることのなかったおどろくべき事実の数々に、アゼトはただ耳を傾けることしかできなかった。


「……俺はただの人間だ。とうとい血を引いているわけでもなければ、重大な使命を持って生まれてきたわけでもない。君と釣り合わないことは、俺自身がいちばんよく分かっている」

「そんなことはありません。ご自分でどう思われていたとしても、アゼトさんは特別な方です」

「リーズマリア――――」

「あなたは私がただひとり心から愛する人。この広い世界で巡り会えた運命の人なのですから」


 白い頬を薔薇色に染めた吸血鬼の姫君は、少年の胸に顔を寄せる。


「だから、これからもずっと私のそばにいてくださいね。アゼトさん――――」


***


 ステルヴィオはゆるやかに速度を落としつつ、シュリアンゼ侯爵家の塔市タワー高層部の軍港に入った。

 港湾内には、ステルヴィオの姉妹艦”ヴァルパローラ”と数隻の航空巡洋艦が停泊している。

 純然たる戦闘艦であるステルヴィオに対して、ヴァルパローラは巨大な飛行甲板をそなえただ。

 この時代、戦闘機をはじめとする航空機は無用の長物となり、海洋の消滅によってほんものの空母も消え去った。見るものに威圧感を与える外観だけが航空艦の様式モードとして残ったのである。


 十三選帝侯クーアフュルストのなかでも、ことにおいてシュリアンゼ侯爵家は他の追随をゆるさない。

 同家の保有する戦力は主力戦闘艦だけで三十隻あまり、補助艦艇のたぐいもふくめればゆうに七十隻を超える。


 むろん、どれほど多くの航空艦を揃えたところで、ブラッドローダーのまえではしょせん宙に浮かぶ標的にすぎない。それはウォーローダーをはじめとする各種の兵器にしても同様だ。

 畢竟、いくさの勝敗を決定づけるのは、究極の兵器であるブラッドローダーをどれだけ保有しているかという点に尽きるのである。

 わけても最高峰の性能を有する聖戦十三騎エクストラ・サーティーンは、乗り手ローディの技量とあいまって、一機で並みのブラッドローダー十機分に相当する戦力的価値を有している。

 ノスフェライドとセレネシス、ゼルカーミラ、イシュメルガルの四機を擁するリーズマリア陣営は、いまや帝都に次ぐ大勢力と言ってよい。

 ここにラルバック・イザール侯爵とハルシャ・サイフィス侯爵が加われば、現存する聖戦十三騎の過半数はリーズマリア側についたことになる。


 一方のディートリヒ側はといえば、保有する聖戦十三騎はわずかに四機。

 百機以上のブラッドローダーを擁する帝都防衛騎士団の戦力を加味しても、物量にものを言わせた力攻めはあまりにリスクが高い。

 ブラッドローダーの製造技術が失われて久しいこの時代においては、ブラッドローダーを喪うことは戦術的な損失にとどまらず、勢力間のパワーバランスさえも左右するのである。

 いまは優位に立っている帝都側も、ただ一度の敗戦によって劣勢に追い込まれるということもじゅうぶんありうるのだ。


 艦を降りたリーズマリア一行は、塔市タワーの中枢部へと通された。


「今日からここが姫殿下の城でございますわ」


 言って、エリザは慇懃に頭を下げる。


 至尊種ハイリネージュの居城である塔市タワーは、往々にして懐古的な貴族趣味に彩られている。

 ゴシック様式の内装に、古代ギリシャ・ローマ時代を彷彿させる壮麗な列柱廊バシリカ。贅を凝らした室内庭園では、地上では絶滅した花々が妍を競い、樹上では永遠に人間の口には入らない甘美な果実がたわわに実をつける……。

 どれも実用面ではまったく不必要な――否、不必要であるからこそ、貴族の余裕を誇示することができるのである。


 シュリアンゼ侯爵家の塔市タワーは、しかし、そういった華美な趣向とはまるで無縁だった。

 いまリーズマリア一行が立っているのは、ゆうに千人は収容できるだろう宏壮な司令室である。

 天井や壁と一体化した巨大なモニターに領内全土のリアルタイム映像が映し出されている。

 床からいくつも突き出た細長いものは、可動式アームに支えられた浮遊式オペレーター・シートだ。

 各地の観測ポストからたえまなく送られてくる情報を、情報処理専門の人狼兵ライカントループたちが常時監視し、異状がないかチェックしているのである。


 一朝事あれば、全軍を指揮・統率する総司令部ヘッドクォーターとして十全に機能するはずであった。


「戦のさいにはここが本陣となります。姫殿下は椅子にお座りになっているだけで結構ですわ。敵との戦いは私どもにおまかせくださいまし」


 それとなく着座を促すエリザに、リーズマリアは立ったまま応じる。


「シュリアンゼ女侯爵。私は先ほどの問いにまだ答えを出しておりません」

「まあ……戦の件について、まだ迷っておいでなのですか?」

「もはや帝都との戦いが避けがたいということは理解しています」


 エリザをまっすぐ見据えたまま、リーズマリアはなおも言葉を継いでいく。

 

「それでも、流されるがまま戦いに向かうことが正しいとは思えません」

「まさか、この期に及んで話し合いの余地があると?」

「いいえ。……戦いは、直接武力をぶつけあうだけがすべてではないということです」


 不思議そうに首を傾げるエリザをよそに、リーズマリアは司令室をひとわたり見渡す。

 紅い瞳が見据えるのは、通信・監視システム用のモニターだ。


「シュリアンゼ女侯爵、ここの設備ならかなり広範囲に通信を飛ばすことができますね」

「もちろんですわ。お望みとあれば、世界じゅうのどこへでも」

「ならば、ひとつ頼みたいことがあります」


 リーズマリアはエリザを見据えると、覚悟をこめて言った。


「次期皇帝の名において次の者たちに共闘を呼びかけるのです。まずは、いまだ態度を決めかねている各地の諸侯。そして……」


 わずかな沈黙のあと、リーズマリアは忌まわしいその名を口にした。


「私たち至尊種の敵――――旧人類軍の残党です」

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