LAST CHAPTER:オン・ユア・サイド

 朝焼けが砂漠を赤く染めていた。

 曙光のなかに佇むのは、それぞれ異なる色をまとった五つの巨影だ。

 ノスフェライドとゼルカーミラ、イシュメルガル、ヴェルフィン――そして、セレネシス。


 四機のブラッドローダーと一機のウォーローダーが皇帝の陵墓みささぎを後にしたのは、いまから三時間ほど前のこと。

 脱出と同時に出入り口は跡形もなく消え失せ、一帯にはただ荒涼たる砂の海が広がるばかり。

 陵墓を包む人工空間を管理していたアルテミシアが死亡したことで、外界との通路は永遠に閉ざされたのである。

 至尊種ハイ・リネージュの皇帝と皇后の亡骸が眠るあの場所には、もはや何人なんぴとも立ち入ることはできないのだ。

 はるかな未来……この惑星ほしに終焉が訪れるその刻まで、陵墓は文字どおり触れ得ざる聖域として存在しつづけるだろう。


「本当に貴公の言うとやらは来るのだろうな、シュリアンゼ女侯爵――――」


 エリザのイシュメルガルにむかって、セフィリアは訝しげに問うた。


「ご安心なさって、ヴェイド女侯爵。もうすこしで到着するはずですわ」

「もう三時間もこうして待ちつづけている。いっそ自力で貴公の領地まで飛んでいったほうが早いのではないか」

「私たちはそれでいいかもしれませんけれど――――」


 言って、エリザはセレネシスのほうにちらと視線を向ける。

 

 リーズマリアがセレネシスの乗り手となってからすでに二日が経過している。

 そのあいだアゼトとセフィリアがつきっきりで指導に当たったとはいえ、その技量はいまだ初心者の域を出ていない。

 そんなリーズマリアにとって、つねに敵襲を警戒しながらの長距離移動が酷であることは言うまでもない。


 むろん、リーズマリアも自分の未熟は自覚している。

 だからこそ、領地からのを待つというエリザの提案を素直に容れたのだ。


「気を使わせて申し訳なく思います、シュリアンゼ女侯爵」

「とんでもございません。もしご無理をなさって大切な御身になにかあれば一大事ですもの。わたくしもせっかくリーズマリア様にお仕えした甲斐がございませんわ」


 轟音とともになにかが地平線を押し上げたのはそのときだった。

 乾いた大地に巨大な影を落とすそれは、全長七百メートルはあろうかという大型航空艦だ。

 上下に長く伸びた四本の推進帆スラスター・セイルと、およそ戦闘艦らしからぬ白と青のあざやかなツートンカラーが目を引く。

 つかずはなれずの距離を保って浮遊しているのは、おなじ色に塗られた三隻の随伴艦だ。

 シュリアンゼ侯爵家の旗艦”ステルヴィオ”に率いられた一個艦隊であった。


 下部のセイルを折り畳んだ巨艦は、リーズマリア一行からやや離れた地点にゆっくりと着陸する。

 同時に、紺色の装甲をまとった人形ひとがたが五つばかり地上に降り立った。

 それぞれ細部の形状こそ異なるが、いずれもブラッドローダーである。


「エリザ――――あいや、ご当主様!! 最高執政官殿と訣別されたとはまことにございますか!?」


 ほとんど悲鳴のような男の叫び声が響いた。

 声を発したのは、五機のブラッドローダーの先頭に立つ機体だ。

 一機だけ大ぶりな兜飾りをつけているところから察するに、どうやら一同のなかでもとくに地位が高い人物らしい。


「残念ですが真実ですわ、ツヴァイク伯爵。わたくし、リーズマリア様のお味方をすることに決めましたの」

「そ、そのような大事を家中の者にひとことの相談もなく……!! だいたい、ご当主様は縁談のために帝都に赴かれていたのではなかったのですか!?」

「縁談なら丁重にお断りいたしました。わたくし、自分より強い殿方にしか興味がありませんもの。たとえば――――」


 イシュメルガルはノスフェライドに強引に腕を絡め、ぐっと引き寄せる。


「こちらのアゼト様。なのにとってもお強くて素敵な方ですわ。ねっ?」

「ねっ? ――じゃない。関係のない話に俺を巻き込むのはやめろ」


 アゼトは迷惑そうにイシュメルガルを振りほどく。

 その様子を目の当たりにして、シュリアンゼ侯爵家の家臣たちは一斉にどよもした。


「に、人間がブラッドローダーに……」

「黒い機体……まさか、あれが聖戦十三騎エクストラ・サーティーン最強のノスフェライドか!?」

「アルギエバの御老公を討ち取ったという噂はやはり真実まことであったのか――――」


 五機のブラッドローダーはとっさに武器を構える。

 ノスフェライドの強さを知るがゆえの、それは無意識の防衛本能であった。

 セフィリアのゼルカーミラとレーカのヴェルフィンも、負けじと剣を構えている。

 まさに一触即発というべき状況。

 張り詰めた空気が一帯を支配するなか、美しい白銀の機体が双方のあいだを遮るように進み出た。


「私がリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースです。シュリアンゼ侯爵家の方々においては、わざわざの出迎えに感謝します」


 セレネシスから可憐さと威厳をかねそなえた声が流れるや、シュリアンゼ家のブラッドローダーはおもわず数歩も後じさっていた。

 リーズマリアに生まれながらにそなわった天性のカリスマと、月光騎セレネシスの神々しいまでの御稜威みいつの相乗効果だ。並みの吸血鬼ならば、彼女の言葉を耳にした瞬間、たちまちに平伏してしまうはずであった。


「まあ……が始まると思っておりましたのに、残念ですわあ」


 エリザはどこか残念そうに言うと、セレネシスのまえでうやうやしく跪く。


「リーズマリア様。わが臣下の不調法、どうかお許しくださいまし。僭越ながら、わたくしエリザベート・シュリアンゼが当家の旗艦ステルヴィオへのご案内役を仕りますわ」


***


 格納庫ハンガーで機体を降りたリーズマリア一行は、そのまま豪奢な内装の広間へと案内された。


 ステルヴィオの艦内に設けられた貴賓V.I.Pルームである。

 至尊種の大型航空艦には、多かれ少なかれこの種のが備え付けられている。

 軍艦としてはスペースの無駄というほかないが、主人とその家族がくつろぎ、あるいは客人をもてなすためには欠かせない設備なのである。


「あらためて、シュリアンゼ侯爵家の家老ヴォルフラム・ツヴァイク伯爵でございます。知らぬこととはいえ、リーズマリア姫殿下に対して非礼を重ねたるはまこと痛恨の極み。この首にかけて、なにとぞご寛恕をたまわりたく――――」


 右目に片眼鏡モノクルをかけた紳士は、リーズマリアたちにむかって深々と頭を下げる。

 人間でいえばまだ二十歳そこそこといった若々しい風体だが、家臣の最高位である家老職を拝命しているところから察するに、それなりの年齢であることはまちがいない。

 自分たちが犯した罪の重さにおののいているのか、紺色の軍服に包まれた両肩はかすかに震えてさえいる。


 リーズマリアはただでさえ緊張しきっているツヴァイク伯爵を刺激しないよう、努めてやさしい声音で語りかける。


「どうかおもてを上げてください、ツヴァイク伯爵」

「し、しかし……」

「あなたがたを責めるつもりはありません。ほかの者にも安心するように伝えてください」


 そんなリーズマリアに、ツヴァイク伯爵は「畏れ多くもありがたきお言葉……」と、いまにも泣き出しそうな声で返すのがせいいっぱいだった。


「よかったですわね、ツヴァイク伯爵」

「お言葉ですが、ご当主様が事前にご一報くださっていれば避けられた事態でございます」

「なにかおっしゃって?」


 あくまでにこやかに問うたエリザに対して、ツヴァイク伯爵は恐懼しきった様子ですごすごと引き下がる。

 リーズマリアは話題を変えるべく、エリザに水を向ける。


「ところでシュリアンゼ女侯爵、今後のことについてですが……」

「どうかエリザとお呼びくださいまし。この艦は今日じゅうにはわたくしどもの領地へ到着いたします。そのあとはいくさの準備ですわね」


 いくさ――――。

 エリザがあっけらかんと口にしたその言葉に、その場の全員が目を瞠った。

 わずかな沈黙のあと、椅子を蹴立てて立ち上がったのはセフィリアだ。


「ちょっと待て。貴公、いま戦と言ったのか!?」

「ええ。なにか驚くことがありまして?」

「話が飛躍しすぎている。私たちにもわかるように説明してもらおう」

「あのディートリヒ・フェクダルがこのままおとなしく引き下がるはずがありませんもの。ましてわがシュリアンゼ侯爵家領は帝都西方の守りの要衝。すみやかに討伐軍を差し向けるのが道理というものですわ」


 エリザはティーカップを口に運ぶと、唖然とした様子の一同にむかってなおも言葉を継いでいく。


「そう心配なさらないで。こちらにはリーズマリア様を推戴するという大義名分があります。そのうえお味方にノスフェライドとゼルカーミラ、セレネシスがいるとなれば百人力ですわ。わたくしの獲物が少なくなってしまうのは困りますけれど――――」

「貴公、まさか最初から帝都と戦をするつもりで私たちの味方についたのか!?」

「まあ、ヴェイド女侯爵ったら人聞きの悪い。そのおっしゃりようでは、まるでわたくしが血に飢えた戦闘狂のようではございませんこと?」


 鼻白みつつ黙り込んだセフィリアに代わって、今度はリーズマリアが立ち上がった。

 

「エリザ・シュリアンゼ。私は無用の戦いは望みません」

「リーズマリア様が望まなくても、遅かれ早かれ戦争は起こりますわ。この世界を本気で変革しようとなさっておいでなら、それに抗おうとする者たちとの衝突は避けては通れませんもの」

「それは――――」

「戦が始まるまではまだ時間がございます。どうかそれまでに覚悟をお決めになってくださいまし。わたくしどもが身命を賭して戦うためにも、リーズマリア様にははっきりと意思表示をしていただかなければなりません」


 反論の隙もないエリザの言葉に、リーズマリアはただ唇を噛むばかりだった。

 ディートリヒとの和解が不可能である以上、戦いは避けては通れない。それは言われるまでもなく承知している。

 だが、一国を巻き込んだ戦争となれば、これまでの小規模な戦闘とはわけがちがう。

 ことここに至って、リーズマリアは一軍の領袖として帝都――否、至尊種の世界そのものと真っ向から対決することを迫られているのだ。


「……すこし考えさせてください」


 けっきょく、結論はシュリアンゼ侯爵領に到着するまでいったん棚上げということになった。

 レーカに付き添われたリーズマリアは、どこか悄然としたようすで艦内の個室に入っていった。


***


 アゼトがリーズマリアの個室を訪れたのは、それから一時間ほど経ったころだった。

 レーカが部屋を出ていったタイミングを見計らって、人目を忍ぶようにドアを叩いたのである。


「俺だ。……話したいことがある」


 ためらいがちにそう言ったアゼトに、リーズマリアは「どうぞ」と短く応じた。


 部屋に足を踏み入れたアゼトの視界に飛び込んできたのは、薄地の肌着をまとっただけのリーズマリアの姿であった。

 しどけない姿にどきりとして立ち去ろうとしたアゼトは、その場でどうにか踏みとどまった。

 真紅の美しい瞳にかすかな、しかし隠しようのない憂いの色が浮かんでいることに気づいたからだ。


「休んでいたところを邪魔してすまない」

「気にしないでください。眠ろうと思っても寝付けませんでしたから……」


 リーズマリアの言葉に偽りはない。

 人間に眠れない夜があるように、吸血鬼も精神的な理由から睡眠を取れないことは珍しくないのだ。

 アゼトとリーズマリアはベッドに並んで腰掛ける。


「さっきのエリザの話、気にしているんだな」

「……はい」

「彼女は悪い人じゃない。言っていることにも理屈が通っているとは思う。だけど、決断を強いられるリーズマリアのつらさも、俺はすこしは分かっているつもりだ」


 リーズマリアは端正な顔をうつむかせたまま、訥々と言葉を継いでいく。


「エリザ・シュリアンゼには、私の心の弱い部分を……世界を変えたいと望みながら、至尊種と本気で戦う覚悟がないことを見透かされているような気がしました」

「リーズマリア……」

「あのとき、ひと思いに義兄ディートリヒを殺していればよかったのかもしれません。彼を生かしておけば何度でも戦いが繰り返されることは分かりきっていたはずなのに、それでも戦争を避けたいと思うのは、やはり矛盾しているのでしょうか」

「そんなことはない。……武器を置くことが本当の勇気なんだ。俺もあの男も臆病だから、いつまでも殺し合うことしかできない。そんな憎しみの連鎖を止めようとしている君のほうが、俺たちよりもずっと勇敢だ」


 その言葉を耳にしたとたん、堰を切ったように真紅の瞳から涙があふれた。

 これまで気丈に振る舞っていた反動だろう。声にならない嗚咽を洩らしながら、リーズマリアはアゼトの胸に顔を埋める。


 アゼトはそんなリーズマリアを強く抱きしめると、貪るように唇を重ねる。


「俺は戦うことしかできない。そのせいで君を苦しませてしまうかもしれない。それでも、俺はこれからもずっと君のそばにいたい。いさせてほしい」


 リーズマリアはなにも言わず、両眼いっぱいに涙を溜めたまま頷く。


「愛している――――」


 どちらともなく呟いたその言葉に、衣擦れの音が重なった。


【END】

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