CHAPTER 28:リボーン・オブ・ホワイト

 燭台の灯が石室いしむろを照らしていた。

 いま、かすかな明かりを浴びて壁面にゆらめく人影は三つ。

 アゼトとリーズマリア、レーカの三人だ。


「アルテミシア様……」


 白い棺によこたわる女を見つめて、リーズマリアは消え入りそうな声で呟いた。

 

 あのあと――――。

 リーズマリアらと無事合流したアゼトは、”セレネシス”のコクピットからアルテミシアの亡骸を回収した。

 吸血鬼にとって最大の急所である心臓を貫かれたことが直接の死因だが、そのほかには傷らしい傷も見当たらない。

 瞑目して祈りを捧げているようにもみえる端正な佇まいは、とても死者とはおもえないほどだ。

 それでも、その肉体に魂が戻ることはもう二度とない。けっして醒めることのない深い眠りは、永い旅路の果てにようやく訪れた安らぎにほかならなかった。


 アゼトは顔をうつむかせたまま、リーズマリアに語りかける。


「すまない。俺がもうすこし早く駆けつけていれば……」

「アゼトさんのせいではありません。アルテミシア様は、たぶん最初からこうするつもりだったのだとおもいます」


 リーズマリアの声は意外なほど落ち着いていた。

 戦いに先立ってアルテミシアから一揃いの紋章指輪シグネットリングを託されたときから、こうなることは薄々わかっていた。

 アルテミシアは最初から死を覚悟のうえでディートリヒと戦い、そして散ったのである。

 当人が最初から納得ずくだったのであれば、どんな悲劇的な結末を迎えたとしても、そこに他人が容喙する余地はないのだ。


「姫様、そろそろ……」


 言って、レーカは石室の出入り口に視線をむける。

 この石室はもともと皇后の墓所として造られたものだ。

 吸血鬼から神にも等しい存在と崇められる皇帝とおなじ墓に入ることは、たとえ長年連れ添った伴侶であっても許されないのである。


 そして、生命活動が停止した吸血鬼は、細胞の自壊作用アポトーシスによって肉体の急速な崩壊をきたす。文字どおり骨の一片さえ溶け崩れ、ただ腐敗臭をはなつ液体だけが残るのである。

 アルテミシアが死してなお美しい外見を保っているのは、体内に注入されたセレネシスのナノマシンの働きによるものだ。

 むろん、その効果も永遠に持続するわけではない。

 やがてナノマシンが停止すれば、その瞬間から細胞崩壊が始まる。

 みずからの肉体がどろどろに腐り落ちていく酸鼻な様相は、たとえ死後であったとしても、吸血鬼にとっては最も他人に見られたくない光景なのだ。

 レーカが退出を促したのは、そうした吸血鬼のならわしを知っているからこそであった。


「先に行ってください、アゼトさん、レーカ。私はもうすこしここに残ります」


 二人を先に退出させたあと、リーズマリアはアルテミシアの棺のかたわらにひざまずいた。

 そっと握ったアルテミシアの手は白く冷たく、そして死してなおやわらかだった。

 リーズマリアはその手を頬に当てながら、ゆっくりと語りかける。


「私は三人の母親を持ちました。ひとりは産みの母、もうひとりは育ててくれた人間の母。そして、私の進むべき道を示し導いてくれた母です。どのひとりが欠けても、私はこうして存在することはできなかったでしょう」


 少女の頬を透明な涙がひとすじ流れ落ちていった。

 声を詰まらせながら、リーズマリアは一語一語、噛みしめるように言葉を継いでいく。


「さようなら、アルテミシアお義母さま。どうか最後に祈らせてください。あなたの魂が永遠に安らかでありますように……」


***


 それはリーズマリアが石室いしむろを出た直後の出来事だった。

 乗り手ローディを失い、放置されたままになっていた”セレネシス”が突如として立ち上がったのである。

 ブラッドローダーはだれも乗っていない状態でも高度な自律行動を取ることができる。

 もっとも、それは然るべき権限を持つ者の命令があってのことだ。

 本来の持ち主の死後に機体がひとりでに動き出すなど、通常ではまずありえないことであった。


 とっさにノスフェライドを喚ぼうとしたアゼトを遮り、リーズマリアはセレネシスの前に出る。


「なにか私に伝えたいことがあるのでしょう」


 無色透明の装甲をまとった巨人騎士はなにも言わず、その場に片膝を突く。


 それが返答の代わりだった。

 ブラッドローダーがみずからこのような姿勢を取るのは、乗り手ローディをコクピットに迎え入れるときだけなのだ。


「私に新しい主人あるじになれ――――と。そう言っているのですね、セレネシス」


 兜の奥で血色の光が瞬いた。

 セレネシスは、アルテミシアに与えられた最後の指令を遂行しているのだ。

 それはリーズマリアをあらたな主人とし、彼女の鎧となり剣となって帝都への旅路に同道すること――――。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも、月光騎セレネシスは大帝騎ヴァルクドラクと対をなす特別な存在である。

 未来の皇帝の乗機として、これ以上ふさわしい格式をもつ機体はほかにない。


「私はアルテミシア様のように強くはありません。あなたを上手く操ることはきっとできないでしょう。それでも私を主人に選んでくれるというのであれば、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの名において契約を交わしましょう」


 リーズマリアが言うや、セレネシスに変化が生じた。

 無色透明だった装甲が乳白色を経て、まばゆい光沢を帯びた白真珠色パールホワイトへと変わったのだ。

 汚れひとつない清らかな佇まいは、まさしく白騎士と呼ぶにふさわしい。


 リーズマリアはセレネシスに近づくと、指先でそっと兜に触れる。


「アルテミシア様の心と意志はいまもこの胸に生きています。人間と至尊種ハイ・リネージュが争うことなく生きられる世界を作るため、ともに戦ってくれますね、セレネシス――――」


 ふたたび兜の奥でまたたいた血色の光芒は、契約が成立した証だ。

 あらたな主人を得て生まれ変わった白騎士はもはや冷酷な殺戮兵器ではない。

 リーズマリアの瞳に映るその姿は、慈しみ深い聖母像によく似ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る