CHAPTER 27:アフター・ティアーズ

 皇帝の陵墓みささぎを包む閉鎖空間を出たヴァルクドラクは、数歩も進まぬうちに砂上に倒れ込んだ。


 それも無理からぬことだ。

 左腕は肩から、右腕は手首から切断され、頭部に至っては顔面を中心にほとんどが失われている。

 そのうえ全身の装甲のほとんどが剥ぎ取られ、ブラッドローダーの素体があらわになっているのである。

 そのほか、機体の至るところに刻まれた細かな擦過傷や切り傷などは、数えあげていけばキリがない。

 神経接続ニューロ・リンクによって機体とすべての感覚を共有しているディートリヒは、自分の身体が破壊されているのと等しい痛みを感じている。


 超常の身体能力をもつ至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼といえども、痛覚は人間とそれほど差はない。

 並みの吸血鬼であればここまで意識を保つことはできず、激痛に耐えかねて気死しているはずであった。

 ここまで意識を失わずにいられたのは、ひとえにディートリヒの強靭な精神力があればこそだ。


「これはこれは。――――いい姿になったじゃないか、ディートリヒくん」


 鈴を転がしたような美声は、ヴァルクドラクのはるか高みから降ってきた。 

 ディートリヒにとっては聴き間違えるはずもない。


 最高審問官ガイウス・サフェリス・ヴィンデミア。

 黄金の聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”メフィストリガ”を駆る法の番人は、ヴァルクドラクを見下ろしたままなおも問いかける。


「ところで、シュリアンゼ女侯爵の姿が見えないけれど、なにかあったのかな」

「エリザベート・シュリアンゼは我らを裏切った――――」

「そんなことだろうと思ったよ」


 ヴィンデミアは驚いたふうもなく、なおも平然と言葉を継いでいく。


「ねえ、ディートリヒくん。君は虎の子のストラディオス四機を失い、シュリアンゼ女侯爵に裏切られ、そしてリーズマリアを殺しそこねたというわけだ。ちがうかい?」


 傷口に塩を塗るようなヴィンデミアの言葉に、ディートリヒはただ沈黙で応じる。

 怒声を張り上げるだけの気力が残っていないということもある。

 それ以上に、完膚なきまでに打ちのめされた心は麻痺し、怒りも悲しみもどこか遠い世界の出来事のように感じられるのだった。

 それは真正面から受け止めるにはあまりに重く、つらい出来事の数々から心を守るための防衛本能にほかならなかった。


「答えたくないならそれもいいさ――――」


 ヴィンデミアの言葉に合わせて、メフィストリガはヴァルクドラクを抱き上げる。

 聖戦十三騎のなかでも大柄な部類にはいる機体だが、胴体と両脚だけになったいまはひどく小さくみえる。

 ディートリヒにも抵抗する力は残っていないのか、力なくメフィストリガ――ヴィンデミアに抱きかかえられるばかりだった。


「ねえ、ディートリヒくん。アルテミシア様を殺したんだろう?」

「……」

「これで君は正真正銘、この世で独りぼっちになってしまったんだねえ」


 メフィストリガの機体がふわりと宙に浮かんだ。

 そのまま大地を離れた黄金のブラッドローダーは、旗艦ラカギカルにむかって飛翔を開始する。

 黄昏の空を駆けながら、ヴィンデミアは歌うように語りかける。


「君は三百年生きてようやくほんとうの孤独と悲しみを知った。敗北の味もね。僕はそれがとてもうれしいよ、ディートリヒくん」

「ヴィンデミア、きさま――――」

「どんなにうつくしい宝石も磨かなければただの石塊さ。そして磨くということは、じっさいには無数の傷をつけること。傷つき喪うたび、君は磨かれていく……」


 ディートリヒは黙したままだ。

 全身を苛む激痛と、連戦による疲労によって、ついに意識を手放したのである。

 そんなディートリヒにむかって、ヴィンデミアは睦言をささやくように語りかける。


「たとえ世界のすべてが君の敵に回ったとしても、僕だけは君の味方さ。だから、安心してすべてを喪うといい。そうして美しく孤独な、僕だけの宝石になっておくれよ、ディートリヒくん――――」


***


「ん……う……」


 セフィリアは、地下宮殿のベッドの上で目を覚ました。

 頭が割れそうなほど痛い。

 それに、右腕と左脚に奇妙な違和感がある。


「そう……だ……わたしは――――」


 セフィリアのゼルカーミラは、四機のストラディオスを相手に熾烈な戦闘を繰り広げた。

 そして、四対一という圧倒的に不利な状況のなか、どうにか三機までを撃破することに成功したのである。右腕と左脚を失い、全身に破片を浴びながらの、それは壮絶な死闘であった。

 だが、死にものぐるいの奮闘もむなしく、ゼルカーミラは最後に残った一機をまえに予期せぬパワーダウンに見舞われた。


 もはやこれまで――――。

 セフィリアが覚悟を決めたとき、ストラディオスを刃が貫いたのである。

 あのとき、薄れゆく視界に映ったのは、まぎれもなくノスフェライドの姿だった。

 いまこうしてセフィリアが生きていることが、あの光景が夢でなかったなによりの証拠なのだ。


――アゼトは、リーズマリア様はどうなった!?


 セフィリアは思うに任せない身体に悪戦苦闘しながらも、どうにかベッドから起き上がろうとする。


「あらあら? もうお目覚めになられたのですね、ヴェイド女侯爵。お元気そうでなによりですわ」


 桃色ピンクにちかいストロベリーブロンドの長髪を揺らして近づくエリザに、セフィリアは素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 それも当然だ。エリザ・シュリアンゼの常軌を逸した戦闘狂ぶりと卓越した技量は、選帝侯のあいだでも知れ渡っているのである。

 手負いの状態で戦うことになれば、セフィリアには万にひとつも勝ち目はないだろう。


「シュ、シュリアンゼ女侯爵……!? なぜ貴公がここに!?」

「無理は禁物ですわ。戦いの傷もまだ癒えていらっしゃらないようですし、しばらくは安静にしてくださいまし」

「そういう問題ではない!! だいたい、貴公はディートリヒ・フェクダルの――――」


 そのあいだにも、セフィリアは愛用の細剣レイピアを探してしきりに手を動かしている。

 起きているあいだは肌身離さず持ち歩き、入浴中や眠っているあいだもすぐ手が届く場所に武器を置くのは、武家に生まれた者の習い性だ。

 だが、どれほど探しても、枕元やベッドの下にはなにもない。


「もしかして剣を探してらっしゃるの? それならわたくしが別の部屋にお移ししましたわ。療養中の方に武器は必要ありませんもの」

「卑怯だぞ、シュリアンゼ女侯爵!! 私を丸腰にして討とうなど、貴族の誇りはないのか!?」

「まあ……いままであまりお話したことはありませんでしたけれど、ヴェイド女侯爵ったらご冗談がお好きなのですのね」

「ふざけるな!! 私たちと貴公は敵同士だということを忘れたのか?」


 吠え立てるようなセフィリアの言葉に、エリザはおどろいたように目をぱちくりさせる。

 ややあって、エリザはおよそ緊張感の欠如した声で言った。


「なにか誤解なさっているようですけれど、わたくし、もうリーズマリア様の敵ではございませんことよ」

「そ、それはどういう……!?」

「わたくし、アゼト様に生命を救われましたの。一度は死んだこの生命、どう使うかはあの方次第。リーズマリア様の味方になるよう仰せつかれば、是非もなく従うまでですわ」

「ほ、ほんとうにいいのか? 私たちの仲間になるということは、帝都と敵対するということだぞ」

「べつにかまいませんわ。どうやら最高執政官閣下にも見捨てられてしまったようですし、それに――――」


 突然のことにすっかり困惑しきった様子のセフィリアに、エリザはぱっと花がほころんだような笑顔を見せる。


「リーズマリア様の側についたほうが、たくさんの敵と戦えるでしょう? 大勢の敵と心ゆくまで戦えるなんて、わたくしにとっては夢のようですもの!」

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