CHAPTER 26:ブレイク・ダウン

 濃灰色ダークグレイの装甲はみるまに赤く染まっていった。


 ヴァルクドラクの頭部は、額を中心にごっそりと抉り取られている。

 軽量化のためにフェイス・マスクを捨てたことで、もとより顔面の防御力は皆無に等しい。

 ノスフェライドはそれを見越したうえで、全エネルギーを指先に込めて顔をむしり取ったのである。

 

 ぽっかりと口を開けた破孔からは、眼球に酷似したアイ・センサーがぶら下がり、脳髄のような循環冷却用ポリマーゲルがどろどろとこぼれ落ちていく。

 ひときわ目を引くあざやかな血色の液体は、センサーを兼ねる宝石状の非常用動力源パワー・コンデンサーから漏れ出したものだ。

 全身にエネルギーを巡らせ、さらに老廃物を濾過・再生する役割をもつ特殊循環液であった。


「ぐ……うっ……」


 よろよろと機体を後退させつつ、ディートリヒは苦しげな声を洩らす。

 ヴァルクドラクが顔を破壊されたことで、乗り手ローディである彼もおなじだけの激痛を味わっているのだ。

 頭部とともに失われた視覚と聴覚は、機体各部にそなわるセンサーによってただちに補完される。

 目を瞬かせるあいだほどのわずかなタイムラグ。それはしかし、ノスフェライドが反撃に打って出るには充分すぎるほどの時間だった。


 ノスフェライドの大太刀が銀光を散らして奔った。

 ごとり――と、重い音を立てて、両手剣ツヴァイヘンダーを握ったヴァルクドラクの右手首が地面に落ちた。

 両腕を失ったヴァルクドラクは、もはやすべての戦闘力を喪失したと言っても過言ではない。

 動力を供給していた額の赤石を破壊されたことで、その場に立っているだけでもせいいっぱいというありさまなのだ。


「もう終わりだ。これいじょうの戦いに意味はない」


 大太刀に付着した循環液を払いつつ、アゼトはディートリヒに告げる。

 ディートリヒは答えず、大破したヴァルクドラクはなおも戦闘態勢を保っている。

 と、ふいにノスフェライドの右腕が動いた。

 大太刀が放物線を描いて飛び、すこし離れた地面に刺さる。


 いつのまにか白銀の光も消え失せたノスフェライドに、ディートリヒは訝しげに問いかける。


「なんのつもりだ、人間……」

「決着はついた。もう武器は必要ない。ただそれだけのことだ」

「この私を愚弄するつもりか――――」


 静かな怒りをみなぎらせたディートリヒに、ノスフェライド――アゼトは、首を横に振る。


「俺だけだったら、あんたを殺すのにためらいはなかった。いまこの瞬間もそうしてやりたいと思っている。あんたは殺されて当然のことをやってきた……」

「ならば、なぜとどめを刺さない!?」

「リーズマリアがそれを望まないからだ」


 一瞬の間をおいて、ノスフェライドから流れたのはリーズマリアの声だった。


「ディートリヒ・フェクダル。ようやく話をすることができますね」

「リーズマリア……」

「あなたが重ねてきた罪の重さは、あなた自身がだれよりもよく分かっているはず。それでも、真摯にみずからのおこないと向き合えば、償えない罪はないのです」


 リーズマリアの言葉に合わせて、ノスフェライドはヴァルクドラクへと手を差し伸べる。


「あなたがどれほど私を憎んでいるとしても、私はあなたを赦します。私たちだけではありません。人間と至尊種のあいだで繰り返されてきた、無益な殺戮と破壊の連鎖に終止符を打つ刻がきたのです。アルテミシア様もきっとそれを望んでいたはず――――」


 ノスフェライドはゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるようにヴァルクドラクに近づく。


「……けるな」

「いま、なんと?」

「ふざけるな――――と、そう言ったのだ」


 短いディートリヒの言葉には、隠しようのない怒気が滲んでいる。


「私はおまえの赦しなど求めていない。この身には贖うべき罪も、懺悔すべきあやまちもありはしない。私はつねに至尊種ハイ・リネージュのために正しい行いを為してきたのだから」

「本気でそう思っているのですか――――」

こうべを垂れて赦しを請うべきはおまえのほうだ、リーズマリア。先帝陛下の尊い血を引きながら、なぜあの御方が守ってきた世界を壊そうとする。至尊種にとって、おまえは破滅をもたらす邪悪でしかない」


 おもわずたじろいだリーズマリアに、ディートリヒは怒りと怨嗟に充ちた言葉をぶつける。


「だから死ね、リーズマリア。殺戮と破壊の連鎖を終わらせたいというなら、早々にみずから生命を断つがいい。おまえが生きているかぎり、これからも犠牲者は増えつづけるだろう。人間と至尊種の共存という大義名分をかかげて屍の山を築くことがおまえの理想だというなら、私はその理想ごとおまえを否定する。傲慢で身勝手な正義を押しつけ、無秩序な破壊と混乱をもたらすおまえは、そもそもこの世に生まれてくるべきではなかったのだ――――」


 鈍い破壊音が響いたのはそのときだった。

 ノスフェライドがヴァルクドラクの胴体を殴りつけたのだ。

 両腕と頭のない機体に馬乗りになったノスフェライドは、なおも一発、二発と拳を叩きつける。


「たとえ血は繋がっていなくても、あんたはリーズマリアの義兄あにだろう。よくも、よくもそんなことが言える!!」


 ヴァルクドラクを殴りつけながら、アゼトは喉を震わせて叫ぶ。


「彼女がいままでどんな気持ちで生きてきたかも知らないで……!!」

「そんなことには興味もなければ知る必要もない。尊い血を引く者には、それに見合った高貴な義務ノブレス・オブリージュがある。その義務を放棄し、ただ世界を壊すことが正しいと盲信する愚か者が、邪悪でなければなんだというのだ?」

「だまれ!! あんたのような男がいるから、人間と吸血鬼はいつまでも憎み合うことになるんだ!!」


 ヴァルクドラクのコクピットを潰すつもりで振り上げた拳は、宙空でぴたりと静止した。


「リーズマリア!?」

「やめてください、アゼトさん」

「なぜだ!? ここでこの男を殺さなければ、また君の生命を……」

「もう……いいんです」


 リーズマリアは平静を装っているが、それでも声が揺らいでいることは隠せない。

 まるであふれだす涙を懸命にこらえているようであった。


「ディートリヒ・フェクダル。機体が動くうちに私たちのまえから消えなさい」

「この期に及んでまだ聖女気取りで情けをかけているつもりか。いずれその判断を悔やむことになるぞ、リーズマリア」

「いいえ――ここであなたを殺せば、それこそあなたの思う壺だからです。より強い力を持つものが正しく、敗者の口を塞ぐことが正義でないと証明するために、私はあなたを生かすのです」


 音もなく空間に裂け目が生じたのは、それから数秒と経たないうちだった。


 閉鎖空間の外で待機する最高審問官ヴィンデミア――彼の聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”メフィストリガ”が、空間操作能力によってヴァルクドラクの脱出路を開いたのだ。


「……リーズマリア」


 ヴァルクドラクが脱出路に消えるかというとき、ディートリヒはひとりごちるみたいに呟いた。


「私はおまえの存在を認めない。たとえこの生命に代えても、至尊種ハイ・リネージュが支配するこの世界を守ってみせる」

「ならば、私もすべてを賭けて人間と至尊種が共存できる世界を作ります。そこには、ディートリヒ、あなたの居場所もきっとあるはずです」

「無用の気遣いだ――――」


 ディートリヒが言い終わるが早いか、ヴァルクドラクの姿は空間の裂け目に呑み込まれていった。

 裂け目は出現したときと同様、やはり音もなく消失していく。


 すべてのエネルギーを使い果たしたノスフェライドは、がっくりとその場に片膝を突く。

 アゼトはコクピットから飛び降りると、ようやく人心地がついたように深い息を吐いた。

 死闘を制した少年の顔には、しかし、勝利の晴れやかさはなかった。


「俺はこれでいいのか。ただ戦いに勝つだけで、ほんとうに……」


 アゼトはあるかなきかの小声で自問すると、リーズマリアのいる地下シェルターへと一歩を踏み出していた。

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