CHAPTER 25:デスパレーション

「ノスフェライド……」


 眼前の黒騎士を見据えて、ディートリヒは絞り出すように呟いた。

 憎しみや怒り、悲しみといった感情のことごとくが欠け落ちた、それはひどく乾いた声であった。


「……すまない、リーズマリア。間に合わなかった」


 ディートリヒの言葉に応じるでもなく、アゼトはひとりごちた。

 ノスフェライドのセンサーを通して、セレネシスから一切の生体反応が消失していることを確認したのである。

 この場に到着するのがあと数十秒でも早ければ、二機の死闘に割って入ることもできたかもしれない。

 決着がついたいまとなってはそれも無意味な仮定の話であった。


「エリザ・シュリアンゼはどうした。殺したのか」

「生きているさ。だが、あの人はもう俺たちの敵じゃない」

「役立たずの裏切り者が――――」


 ディートリヒが吐き捨てた言葉には、やはりなんの感情も篭ってはいない。

 一瞬の間をおいてノスフェライドから流れたのは、アゼトではなくリーズマリアの声だった。


「ディートリヒ・フェクダル。自分の犯した罪の重さが分かっているのですか」


 黙したままのディートリヒに、リーズマリアはなおも問いかける。


「義理とはいえ母親を手にかけたのです。そうまでして私を排除し、最高権力者の地位を守りたいのですか」

「……だまれ」


 ディートリヒはあくまで静かな、しかし刃のするどさを帯びた声で告げる。


「いいかげんに理解するがいい、リーズマリア。おまえがすべての不幸の元凶だ。おまえさえ生まれてこなければ、こんなことにはならなかった――――」

「いくら私をなじっても、あなたの罪が消えるわけではありません。あやまちから目を背けるのはやめなさい」

「罪というなら、おまえはこの世に存在すること自体が罪だ。この世に生を享けてからというもの、おまえはずっと私と義母上を苦しめてきた。加害者であるおまえに、私の所業を責める資格などあるものか」


 血を吐くようなディートリヒの呪詛に、鍔鳴りの音が重なった。

 ノスフェライドが大太刀を抜き放ったのだ。

 

「リーズマリア。もういい。この男は言葉で分かりあえる相手じゃない」

「アゼトさん……」

「たとえそれが罪だとしても、力ずくで終わらせるしかないんだ」


 アゼトは大太刀の切っ先を動かし、床に突き刺さった両手剣ツヴァイヘンダーを指し示す。


「剣を取れ。右腕はまだ動くだろう」

「下賤な人間ごときが、この私に情けをかけているつもりか」

「そう思いたいなら好きにしろ。十秒だけ待つ――――」


 アゼトの言葉には欠片ほどの憐憫もない。

 ディートリヒがあくまで剣を取らないというなら、ノスフェライドは容赦なく丸腰のヴァルクドラクに斬りかかるだろう。

 どちらにせよ、二機のコンディションには埋めがたい差がある。

 セレネシスとの戦いで甚大な損傷を被ったヴァルクドラクに対して、ノスフェライドはほとんど無傷と言ってよい。


 十秒の猶予――――。

 それは、ディートリヒがリーズマリアとの対話に応じる可能性への賭けにほかならなかった。


「……それが答えか」


 両手剣を引き抜いたヴァルクドラクは、ノスフェライドにむかって構えを取る。

 セレネシスに肘まで断ち割られた左手はいまだ損壊したままだが、剣を支える程度の役には立つ。

 装甲の大半を捨て去ったヴァルクドラクからは、異様なまでの気迫――鬼気さえ立ち昇るようであった。


 ノスフェライドとヴァルクドラクは距離を保ったまま睨み合う。

 

 颶風を巻いてするどい剣閃が奔った。

 甲高い剣戟音が反響したときには、二機の姿は幻のようにかき消えている。

 幾度目かの交差を経て、黒色の影は鮮緑色、そしてまばゆい白銀しろがねへと色相を変えた。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでノスフェライドだけがもつ内蔵式アーマメント・ドレス。

 その第二段階――現状における最強の形態が発動したのだ。


「――――」


 ノスフェライドとヴァルクドラクはほとんど同時に剣を振るう。

 衝撃波と衝撃波が真正面からぶつかりあい、荷電粒子の渦が烈しいプラズマの火花を散らす。


 ノスフェライドが斬撃に乗せて破壊波デモリッション・ウェイブを放たなかったのは、皇帝の陵墓、引いては閉鎖空間そのものの崩壊を招きかねないからだ。

 たとえヴァルクドラクの撃破に成功したとしとても、自滅しては元も子もない。

 勝負の行方は、純粋な剣と剣の闘いに委ねられたのだった。


 長い尾を曳いて推進器スラスターの光芒がきらめいた。

 瞬間的に加速した二機は、互いの顔をぶつけ合うほどの至近距離で鍔迫りあう。


「死ね、人間。リーズマリアもろともに地獄に落ちろ!!」


 ディートリヒの言葉に呼応するように、ヴァルクドラクはノスフェライドを押し込んでいく。

 セレネシスとの激戦を経て消耗しているうえ、片腕を失っているとは到底思えぬすさまじいパワー。

 大帝騎の名に恥じない鬼神のごとき迫力に、ノスフェライドはじりじりと後退を余儀なくされる。


 かろうじて均衡を保っていた形勢がふいに崩れた。

 ノスフェライドが押し負け、陵墓の壁に叩きつけられたのだ。

 優勢に立ったヴァルクドラクは、黒騎士を圧壊させるべく、さらに両手剣に力を込める。

 

 ぶつっ――と、硬いものを断ち切る音が響いた。

 黒い液体を撒きながら床に転がったのはヴァルクドラクの左腕だ。

 ノスフェライドの右腕が左肩を掴み、そのまま力まかせに肩関節を引きちぎったのである。


 刹那、すさまじい破壊音とともに両手剣の刃がノスフェライドの胴体にめり込んだ。

 ヴァルクドラクは片腕を切断されてなお突撃を敢行し、左腕だけで支えられた大太刀ごとノスフェライドを押しつぶしたのだ。

 右腕を柄に回す暇もなく、ノスフェライドはみるみるうちに壁にめり込んでいく。


(この機体のどこにこんな力が……)


 一秒ごとに破壊が進行するコクピットの内部で、アゼトはあくまで冷静にヴァルクドラクのパワーの根源を分析する。

 ヴァルクドラクの額に嵌め込まれた宝石状のセンサーが真紅の光を放っていることに気づくまでには、さほどの時間はかからなかった。

 ただのセンサーにしては異様なほど巨大なそれは、おそらくは非常用の動力供給源パワー・コンデンサーなのだ。 

 それを裏付けるように、額の赤石はますますその輝きを増している。


「リーズマリア……」


 コクピットの最終装甲が悲鳴をあげる危機的状況のなか、アゼトは感応を通じてリーズマリアに語りかける。


「これからやることは一か八かの賭けだ。君の生命を危険に晒すことを許してくれるか」

「私のことは気にしないでください。この生命は、ノスフェライドを託したあのときからあなたのものなのですから。たとえどうなろうと、あなたといっしょなら悔いはありません」

「ありがとう――――」


 アゼトは全神経をノスフェライドの右腕――正確には、五指の先端に集中させる。

 この状態では破壊波デモリッション・ウェイブを剣に乗せて放つことはできない。

 それでも、機体のすべてのエネルギーを一点に集束させることで、ピンポイントに標的を破壊することは可能だ。

 

(たのむ……)


 激痛に耐えながら、アゼトは祈るように念じる。

 最終装甲が破壊されるまでの猶予はあと数秒。

 正真正銘、チャンスは一度かぎりだ。もし失敗すれば、アゼトもリーズマリアも死ぬことになる。

 その瞬間までディートリヒに決して気取られないよう、アゼトは慎重に慎重を期してエネルギーを集束させる。


「終わりだ、ノスフェライド」


 耳を聾する軋りを立てて、ノスフェライドの最終装甲に細かな亀裂が走った。

 ヴァルクドラクの両手剣はなおも勢いを弛めず、アゼトを真っ二つに両断すべくなおも圧し進む。

 ディートリヒが勝利を確信したその瞬間、電光石火の疾さでノスフェライドの右腕が動いた。


 死を前にした悪あがき――――。

 ディートリヒの嘲りは、しかし、たちまち凍りついた。

 ノスフェライドの指がヴァルクドラクの顔面ごと額を掴んだのだ。


 湿った破壊音とともにヴァルクドラクの頭部が爆ぜたのは次の瞬間だった。

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