CHAPTER 24:ディア・マイ・サン

「アゼトさん――――……」


 ノスフェライドを飛翔させていたアゼトは、ふいにリーズマリアの声を聴いた。

 むろん、現実の音声としてではない。

 ふたりを結ぶ感応リンクが完全に復活し、脳――精神に直接語りかけるようなかたちで意思疎通が可能になったのだ。


「リーズマリア、無事なのか!?」

「私は大丈夫です。レーカも近くにいます。セフィリアとはいっしょではないのですか?」

「セフィリアも無事……とは言えないが、どうにか生きている。くわしくはあとで話す」


 ノスフェライドのセンサーが高エネルギー反応を検知したのはそのときだった。

 周囲の空気がびりびりと震えるのを感じる。

 回廊のはるか彼方から伝わってきたそれは、ブラッドローダー同士の戦いで生じる強烈な衝撃波だ。

 アゼトはノスフェライドの広域走査スキャニングセンサーを最大出力に切り替える。

 ブラッドローダーの電子妨害を突破するのは容易ではないが、機種の判別ていどはどうにか可能だ。


「ヴァルクドラク――――」


 センサーごしに濃灰色ダークグレイの機体を認めて、アゼトはおもわず息を呑んだ。

 イザール侯爵との戦いに乱入してきた二機のブラッドローダーのうちの一機だ。

 乗り手ローディは最高執政官ディートリヒ・フェクダル。

 リーズマリアにとっては義理の兄であると同時に、最大の敵でもある。


 ヴァルクドラクと対峙するのは、アゼトがはじめて目にするブラッドローダーだった。

 無色透明の装甲をまとった美しい機体だ。

 ノスフェライドのデータベースが導き出した回答は、聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”セレネシス”――乗り手ローディは皇后アルテミシアである。

 選帝侯同士、それも皇后とその義理の息子が戦っている状況に、アゼトは困惑を隠せない。


「アゼトさん!! その方は……アルテミシア様は、私たちの敵ではありません」

「リーズマリア?」

「アルテミシア様は私を守るために義兄あにと戦ってくれているのです」


 リーズマリアの言葉には、いつになく切迫した響きがある。


「どうか急いでください。――――間に合わなくなるかもしれません」


***


 いちどは弱々しく揺らいだ光の刃は、ふたたびその勢いを増した。

 セレネシスに残ったありったけの出力を注ぎ込み、一時的に出力を増強ブーストさせたのである。

 光の剣の威力と引き換えに、機体のエネルギー総量は著しく低下する。

 動けるのはせいぜいあと一分……。

 パワーダウンを加味すれば、正味のところは四十秒ほどだろう。


 それで充分だった。

 アルテミシアは脇構えの体勢を取り、ヴァルクドラクと対峙する。

 脇構えには、対手あいてからは剣が見えにくいという利点がある。

 もっとも、それはあくまで生身の戦いでの話だ。

 どちらも高性能なセンサーを搭載するブラッドローダー同士の戦闘では、剣の長さを隠す意味などないのである。


「終わりだ、義母上ははうえ


 ディートリヒは冷酷に言い放つと、刀を持ったヴァルクドラクの右腕を持ち上げる。

 腕はちょうど肩関節と水平になったところで止まった。肘から手首まで、指をのぞくすべての関節が限界まで伸び切っている。

 横薙ぎの構え。

 関節を伸ばしたのは、刀のリーチと破壊力を最大限に引き出すための工夫だ。

 左腕が使えなくなった以上、両手で柄を把持したときよりも威力が落ちることは避けられない。

 片手で充分な威力の斬撃を繰り出すためには、腕そのものを大蛇のごとく必要がある。

 これも、かつてアルテミシアから伝授された剣技のひとつ――戦場で隻腕となっても戦い抜くための奥義であった。


「ディートリヒ。ほんとうにここで果てても悔いはないのですね」

「その言葉、そっくり貴女にお返しする」


 二つの機影が動いたのは同時だった。

 一瞬にして最高速度に達したヴァルクドラクとセレネシスは、どちらも減速することなく突進する。

 二機の描く軌跡が交差したのと、烈しい破壊音が響きわたったのと、はたしてどちらが先だったのか。

 勝負はわずか一太刀のうちに決したのだった。

 

 先に膝をついたのはヴァルクドラクだ。

 右腰から左肩にかけて、逆袈裟の一閃をまともに浴びたのである。

 セレネシスが脇構えを取ったのは、斬撃の直前に一瞬刀身を消滅させ、ディートリヒに間合いを見誤らせるためであった。実体のない光の剣の特性を最大限に利用し、みごと敵を欺いてみせたのである。

 ヴァルクドラクのコクピットの装甲は引き裂かれ、内部のディートリヒの姿があらわになっている。

 黒髪の美丈夫は二、三度ばかり咳き込むと、おびただしい血を吐き出す。

 苦悶の表情が刻み込まれた白蝋のごときかんばせには、しかし、たしかな生命の息吹が見て取れた。


「義母上ッ――――」


 コクピットから身を乗り出したディートリヒは、セレネシスにむかって呼びかける。 

 無色透明の巨人騎士は、ヴァルクドラクのように倒れてこそいないが、まるで塑像と化したみたいに微動だにしない。

 その美しくも壮烈な佇まいから漂うのは、まごうかたなき死の気配であった。

 

「義母上!!」


 ようよう立ち上がったヴァルクドラクは、おぼつかない足取りでセレネシスに近づいていく。

 右手の刀は刀身の根本から折れている。

 残った柄を放り捨て、ディートリヒはセレネシスを後ろから抱きかかえる。

 はたして、ディートリヒの視界に飛び込んできたのは、引き裂かれたコクピットと、折れた刀身に胸を貫かれたアルテミシアの姿だ。


「あなたの勝ちです。みごとでした、ディートリヒ……」

「義母上、なぜだ!?」

「なぜ……とは……?」

「もう一歩……いや、あと半歩でも踏み込んでいれば、確実に私を殺せたはず。なぜそうしなかった!?」


 アルテミシアの唇の端からつう、と血の筋が流れた。

 吸血鬼の最大の急所である心臓を破壊されているのだ。

 ほんらいなら即死するはずが、こうして話ができるのはほとんど奇跡と言ってよい。

 ごほごほと咳き込みながら、アルテミシアはディートリヒをじっと見つめる。


「たしかに……私らしくもないことを……しました……」

「やはり手加減をしたのだな。私は本気で貴女を殺すつもりだったのだぞ」

「それが母親というものだからですよ」


 口元の血を拭う力も失ったアルテミシアは、ただ柔らかなほほ笑みを浮かべる。


「最期によく顔を見せて……ディート……」

「義母上!!」

「信じてくれなくてもかまいませんが、これだけは言わせてください。あなたのことを愛していなかったなどということはけっしてありません。私も、陛下も、あなたのことを大切に思っていたのです。ずっと子供を持てなかったの、この世でたったひとりの息子……だから……――――」


 アルテミシアのまぶたが落ちた。

 愛機セレネシスの両眼からもたちまち光が失われていく。

 それは永い時を生きたひとりの女吸血鬼に訪れた、二度と覚めることのない微睡みであった。

 もの言わぬ義母を見つめたまま、ディートリヒは誰ともなく呟く。


「感情に流されるのは愚かなことです。人間のような下等生物ならともかく、万物の真の霊長たる我ら至尊種ハイ・リネージュが、不合理で矛盾にみちた感情などというものに支配されていいはずがないのです……」


 ディートリヒの切れ長の紅い瞳から、つうと光るものが落ちた。

 物心ついてからというもの、一度も流したことのない涙。

 理性によって感情を御することのできない愚か者の証であるはずのそれが、ディートリヒの瞳からとめどもなくあふれ、頬を濡らしていく。


 それもつかのま、ディートリヒはコクピットへと身を沈めていた。

 ヴァルクドラクが敵機の接近を警告したのだ。


「ノスフェライド――――」


 漆黒の装甲に銀の差し色もあざやかな巨人騎士が音もなく降り立つ。

 ヴァルクドラクとノスフェライドは、皇帝の陵墓の最深部でついに激突の刻を迎えたのだった。

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