CHAPTER 23:ブロークン・ファミリィ

 急迫するヴァルクドラクを見つめるアルテミシアの視線はあくまで冷たかった。

 

――愚かなことを……。


 両手剣ツヴァイヘンダーを捨てたのはいい判断だった。

 どれほど破壊力にすぐれていようと、取り回しの悪い武器はかえって身を滅ぼす。

 とっさに主兵装メインアームを放棄する決断の速さは、さすがにアルテミシアのもとで研鑽を積んできただけのことはある。


 しかし、盾と装甲まで排除パージしたのは悪手だ。

 重装甲に鎧われた大柄な機体は、ヴァルクドラクの最大の武器でもある。

 堅牢な装甲によって敵の攻撃に怯むことなく、必要とあればダメージを受けながら強引に間合いを詰めることさえできる。

 装甲を捨てて多少の軽量化を果たしたところで、その利点を上回るメリットが得られるとは到底おもえない。

 いまのヴァルクドラクは、セレネシスの刀が軽く触れただけでも致命的なダメージを負うだろう。

 ディートリヒはみすみす愛機の長所を潰したも同然なのだ。


 むろん、アルテミシアは手加減をするつもりなどない。

 戦場ではすべてが自己の責任に帰する。

 ディートリヒが誤った選択をしたのであれば、その報いを受けるのは当然なのだ。


 ヴァルクドラクの左腕が動いたのはそのときだった。

 両手剣と盾を捨てたことで、左手はまったくの素手である。

 その左腕がセレネシスにむかって伸びたのだ。

 ブラッドローダーのパワーで殴りつければそれなりのダメージは望めるが、この状況で格闘戦を挑むのは不可解というほかない。

 このうえ左腕を斬り落とされてしまえば、ただでさえ武器と防具を失ったヴァルクドラクの戦闘力はさらに低下するのだから。


 罠――――。

 アルテミシアは、一瞬脳裏をよぎったその言葉をかき消す。

 ただ武芸に秀でていれば勝てるほど実戦は甘くはない。巧妙に敵をあざむき、その裏をかいた者だけが生き残れるのだ。

 ディートリヒの性格を考えれば、という可能性も充分ありうる。

 いずれにせよ、ただ座してディートリヒの出方を待つという手はないのだ。


 セレネシスが刀を下げた。

 切っ先は、あと数ミリで地面に触れるかという極端に低い位置にある。

 ヴァルクドラクが間合いに入った瞬間、逆袈裟に斬り上げようというのだ。

 左腕が邪魔をするならそのまま断ち切ればよい。

 もしディートリヒにべつの狙いがあるのだとしても、セレネシスの剣はそれより疾くヴァルクドラクのコクピットを両断しているはずであった。


 転瞬、女の悲鳴のような甲高い音が響きわたった。

 セレネシスの神速の一閃が迸った刹那、にわかに生じた真空渦流ボルテックスが周囲の空気を巻き込み、奇怪な斬撃音を生んだのだ。

 

 ヴァルクドラクの左腕がセレネシスの刀にむかって伸びた。

 掌で刀身を掴み取るつもりなのだ。

 いかにブラッドローダーでもそんな芸当は不可能である。刃に触れたとたん、掌はあっけなく切り刻まれるだろう。


 はたして、刃はヴァルクドラクの掌になんの抵抗もなく沈み込んでいった。

 そのまま手首から前腕部へと、刀はまるで水を切るように進む。

 やがては肘から二の腕、左肩を経て、ついにはコクピットのある胸部までたやすく辿り着く。――――そのはずであった。


「――――」


 セレネシスの刀は、ヴァルクドラクの肘のあたりでぴたりと静止した。

 むろん、アルテミシアがみずからの意志でそうしたのではない。

 なにか硬質の物体に阻まれ、それいじょう進むことができなくなったのである。


「こんな策にかかるとは、義母上ははうえらしくもない……」


 ディートリヒは例のごとく冷たい声で言い放つ。

 

 あの瞬間――――。

 ディートリヒはヴァルクドラクの外装のほとんどを排除パージしたように見せかけて、その実、数カ所だけ装甲を残していたのである。

 それらの装甲は、一見するとブラッドローダーの素体と見分けがつかないほど小さく目立たない一方、かなりの硬度をもっている。

 セレネシスの刀が食い込んだまま抜けなくなったのも、そうした隠し装甲のひとつであった。


「ブラッドローダーの武器は剣や槍だけではなく、防具は盾だけに限らない。幼いころの私にそう教えたのは貴女だ、義母上ははうえ


 ディートリヒの言葉に合わせて、ヴァルクドラクは右腕の刀を突き出す。

 セレネシスのコクピットを狙った刺突は、しかし、一髪の差で空を穿った。

 アルテミシアが刀を捨て、セレネシスをすばやく後退させたためだ。


「いまの一撃をよく避けた――と、今度は私から言わせていただこう」

「ディートリヒ……」

「私の目的はあくまでリーズマリアだ。義母上にこれいじょう手荒な真似をするのは本意ではない」

 

 ディートリヒは自衛用の刀を放り捨てると、使いものにならなくなった左腕からセレネシスの刀を引き抜く。


「いさぎよく敗北を認めていただこう、義母上。貴女にはもはや振るうつるぎさえない……」

「たしかにあなたの策はみごとでした。ですが、この程度で勝ったつもりとは笑止千万というもの」

「時間稼ぎの負け惜しみに耳を貸すつもりはない。それとも、義理の息子である私の言葉には従えないとでもおっしゃるのか!?」

「大切に想うからこそ、わが子が誤った道に進むのを見過ごすわけにはいかないのです――――」


 アルテミシアが言うが早いか、セレネシスの右手がまばゆい輝きを放った。

 手首の付け根に格納されていた円筒状のパーツを握った瞬間、長大な光粒子フォトンの刃が形成されたのだ。

 その外観はまさしく光の剣と呼ぶにふさわしい。

 ブラッドローダー開発の最後期、次世代の刀剣として試作された近接戦闘用兵器である。

 出力や安定性の問題から量産には至らなかったものの、運用テストに参加したセレネシスにはそのまま搭載され、今日こんにちに至っている。


 あくまで戦う意志を捨てようとしないアルテミシアに、ディートリヒは底冷えのする声で問いかける。


「義母上、それほどリーズマリアが大事か?」

「……」

「あれは先帝陛下が貴女を裏切った証だ。長年つれそった貴女に石女うまずめの辱めを与え、息子である私を蹴落とすためだけに生み出された忌まわしい存在。そんな娘を、なぜそうまでして守ろうとする?」

「それはあくまで私たちの都合です。リーズマリアの罪ではありません」

「あれがこの世に生まれたことが罪だ!!」


 ディートリヒが叫んだのと、ヴァルクドラクが飛んだのと同時だった。

 光の剣と刀がおそるべき速度で乱舞し、ヴァルクドラクとセレネシスは幾度となく衝突を繰り返す。


「あの娘は人間との共存などという馬鹿げた夢物語に憑かれている。もし皇帝に即位すれば、至尊種ハイ・リネージュに未来はない。どうあっても邪魔立てするというなら、義母上といえども死んでいただく」

「先帝陛下が至尊種と人間の現状に心を痛めていたことは、あなたにも分かっていたはずです」

「陛下はとうにお隠れになった。御叡慮を確かめる術はもはやない。たとえ皇后であろうと、亡き陛下の言葉を代弁することなど許されん」


 と、セレネシスの機体がおおきく傾いた。

 ヴァルクドラクの斬撃が右足首を薙いだのだ。

 人間でいえばちょうど足の甲の半ばから爪先までを切断されたかたちになる。

 四肢の末端とはいえ、剣術において足首の大部分を失うことの痛手は計り知れない。

 動作が鈍くなることにくわえて、踏ん張りが利かなくなるために打ち込みの威力が激減するのである。


「勝負あったな、義母上」


 ディートリヒは勝ち誇るでもなく、あくまで冷淡に告げる。

 いっぽうのアルテミシアはといえば、機体が損傷したにもかかわらず、依然として戦意を失っていない。

 セレネシスは光の剣を構え、あくまでヴァルクドラクを迎え撃つ態勢を維持している。


「義理とはいえ長年のあいだ親と子の間柄であった私よりも、やはり陛下の血を引くリーズマリアのほうが可愛いか」

「いいえ。ディートリヒ、あなたを愛しているからこそ止めねばならないのです」

「おためごかしを口にできるのもいまのうちだけだ」


 セレネシスの光の剣の出力は落ちはじめている。

 光粒子の安定化には膨大なエネルギーを消耗するため、刃を維持できるのは長くても三、四分が限度だ。

 そのタイムリミットは刻一刻と近づきつつある。


 ディートリヒは義母の首を取るべく、ヴァルクドラクを跳躍させた。

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