CHAPTER 16:デイズ・ゴーン・バイ

 空中戦艦”ラカギカル”の艦内はにわかに騒然となった。

 ヴァルクドラクと四機のストラディオスが、どの機体もひどく損傷した状態で帰還したのである。

 シュリアンゼ女侯爵のイシュメルガルに至っては発艦してから一切の通信が途絶えている。

 ただならぬ事態が出来しゅったいしたことはあきらかだ。乗組員クルーたちのあいだにも動揺が広がりつつある。

 秘密作戦ブラックオプスという性質上、末端の下士官・兵はいったいなにと戦っているのかさえ知らされていないのである。


 ヴァルクドラクを降りた最高執政官ディートリヒ・フェクダルは、整備担当の技術士官を呼びつける。


「ストラディオスの修理にはどれくらいかかる」

「くわしくは調べてみなければわかりません。ですが、この損傷では最低でも七、八時間は――――」

「五時間で終わらせろ。私のヴァルクドラクは後回しでかまわん」

「はっ!! 最高執政官閣下の仰せのままに!!」


 直立不動の姿勢で敬礼する技術士官には一瞥もくれず、ディートリヒは足早に自室へと向かう。


 ドアを開けるや、ディートリヒは汗ばんだ軍服を無造作に脱ぎ捨てた。

 乱れた衣服をそのままにしておくのは、ふだんのディートリヒならぜったいにありえないことだ。

 身の回りの世話をする従兵が衣服の回収にくるときには、手入れの必要もないと思えるほどに埃を払い、ぴったりと折り目をつけて畳んでおくのがこの男の習い性なのである。


 だが、今日ばかりはとてもそんな気分にはなれなかった。

 なにもかも投げ捨ててしまいたい。

 そんな自暴自棄な気持ちが、いまのディートリヒの心を支配しているのだった。


「……」


 シャワールームへ入り、センサー式の水栓に触れる。

 人間なら悲鳴を上げるだろう熱湯の雨を全身に浴びながら、ディートリヒはひとり物思いにふける。

 

「なぜだ、義母上ははうえ――――」


 流れ落ちる水音を聞きながら、ディートリヒの意識は、はるか過去へと飛んでいた。


***


 ディートリヒが先帝と皇后アルテミシアの養子に迎えられたのは、彼が十五歳になってまもないころだった。


 もともとの名はディートリヒ・ヴィクセンという。

 リヒャルト・ヴィクセン辺境伯と、その妻ルイーザのあいだに生まれた一人息子である。

 ヴィクセン家は家格こそ十三選帝侯家には及ばないものの、北部の辺境に広大な領地を有する大貴族だ。

 幼いころから天才的な知能を発揮したディートリヒは、通常なら三十年ほどかかる教育課程を十歳で終えた。

 そして吸血鬼の能力にめざめた十二歳のときには、はやくも領内における財政や司法、行政の実務に携わるようになっていたのである。


 両親はわが子の聡明さに感嘆するばかりだったが、当のディートリヒは冷ややかな目で彼らを見ていた。

 北部きっての大貴族といえば聞こえはいいが、実際のヴィクセン辺境伯領の腐敗ぶりは目に余るものだった。

 ずさんな金銭管理に賄賂まいないの横行、頻々と起こる領民の逃亡やサボタージュ、そして新人類軍によるテロ活動……。

 それらの問題が父リヒャルトの愚昧さに起因することを、幼いディートリヒは早々に見抜いていたのである。


 あるとき、資料を渉猟していたディートリヒは、帝都とのいくさを想定した戦闘シミュレーション・プログラムを発見した。

 プログラムの作成者は父リヒャルト・ヴィクセンである。

 そこには有事の際の具体的な戦術マニュアルや備蓄基地の座標、帝都から差し向けられるだろうブラッドローダーを迎撃する手筈が事細かに記されていた。

 むろん、リヒャルトには自分から反乱を起こすつもりなど毛頭ない。統治の不手際を責められたさいに「城を枕に討ち死にする」といういかにも武人らしいポーズを示すための、いわばパフォーマンスの台本にすぎないのだ。

 それでも、皇帝を仮想敵とする戦争計画が存在したという事実に変わりはない。

 どのような理由があったとしても、皇帝に剣を向けることは万死に値する重罪である。


 ディートリヒはみずから帝都に赴き、この一件を皇帝と皇后に直訴した。

 聖戦以来の忠臣であるヴィクセン家への信頼と、ディートリヒの年齢からまともに取り合おうとしなかった皇帝と皇后だが、じっさいに証拠を突きつけられれば話はべつだ。

 それだけではない。ディートリヒは至尊種ハイ・リネージュの法を司る最高法院にたいして、父母の罪状を書き連ねた告発状を提出したのである。

 こうなっては、帝都としても本腰を入れて動かざるをえない。

 ヴィクセン辺境伯領にはただちに監査官が派遣され、リヒャルト・ヴィクセン辺境伯とその妻は身柄を拘束された。


 至尊種ハイ・リネージュの法において、大逆罪は死刑と定められている。

 皇后アルテミシアの最高法院へのとりなしによって、ヴィクセン夫妻はかろうじて死一等を減じられた。

 かろうじて命は救われたとはいえ、爵位剥奪と夫婦そろっての最辺境への流刑が言い渡されたのは、大貴族に対しては異例の判決であった。


 ディートリヒは、両親の裁判に証人として出廷し、みずから持参したデータをもって彼らの有罪を決定的なものとした。

 父母は激しく怒り、また涙を流してわが子を責めたが、ディートリヒは顔色ひとつ変えることはなかった。


 いったい私たちになんの恨みがあるのだ――――裁判中、父リヒャルトが口にした悲痛な言葉に、ディートリヒは「なにもございません」とだけ答えた。


 ディートリヒ自身は罪に問われなかったものの、父母が追放されたことで、いずれ彼が継承するはずだった領地も爵位も失われた。

 官僚や軍人の道を志すとしても、無位無官のままではたいした出世は見込めない。

 大臣や将軍といった華々しい地位は、名門貴族の子弟がなかば世襲によって独占しているのである。


 皇帝と皇后としても、両親を裏切ってまで忠義を尽くした少年をこのまま捨て置くわけにはいかなかった。

 至尊種ハイ・リネージュの社会は皇帝への絶対的忠誠によって成り立っている。反逆者を庇い立てすることは、たとえ親兄弟であっても許されないのだ。

 長年子宝に恵まれなかった皇帝と皇后は、悩んだすえ、ディートリヒを養子に迎えることを決めた。

 ただその境遇に同情しただけではない。幼いディートリヒが見せた、ともすれば恐ろしいほどの才覚を見込んでの判断だった。


 成長するにつれて、ディートリヒの俊才はますます花開いていった。

 皇帝の養子という立場に安住することなく、おのれの実力によってエリートの階梯を駆け上がっていったのだ。

 帝都防衛騎士団の綱紀粛正や、贈収賄の撲滅はその一端にすぎない。

 その秋霜烈日たる手腕は多くの敵を作った一方、至尊種ハイ・リネージュの堕落した現状をよしとしない改革派貴族には大いに歓迎された。

 そうした声に後押しされ、皇帝のもとで政治・行政を統括する最高執政官への就任も確実視されるようになったのである。


 ディートリヒが選帝侯フェクダル家の名跡を継いだのは、ちょうどそんな折のこと。

 当時のフェクダル家は当主ジークフリート・フェクダル侯爵が後継者不在のまま死去し、一時は御家断絶が確実視されていた。

 皇帝と皇后は、聖戦以来の功臣の家が消滅することを惜しみ、ディートリヒにフェクダル家の継承を命じたのである。


 これを機にディートリヒは侯爵位を得、正式に十三選帝侯に名を連ねることになった。

 最後まで強硬に反対していた大公バルタザール・アルギエバも、彼の功績を無視することはできず、最終的には承諾せざるをえなかったのだ。

 ほどなくして最高執政官に就任したディートリヒは、いよいよ名実ともに皇帝の後継者――次期皇帝の最有力候補と見なされるようになっていった。


 そのころ、至尊種ハイ・リネージュの社会を揺るがす出来事が起こった。

 皇帝に老衰の兆しが現れたのだ。

 旧種族の最後の生き残りである皇帝は、人間によって造られた新種族である至尊種ハイ・リネージュよりもはるかに長い寿命をもつ。

 だが、いかに長命な旧種族といえども、生物である以上は永遠に生きられるわけではない。

 はたして、皇帝の実年齢は五千歳に迫りつつあり、遺伝子は自己複製の限界に達しようとしていた。


――皇帝陛下がご崩御あそばされるまえに、なんとしてもを……。


 帝都の名門貴族のあいだでは、そんな声が日に日に高まっていった。

 もしディートリヒが次期皇帝の座に就けば、これ幸いとばかりに改革の大鉈を振るうことは火を見るよりあきらかだ。

 そうなれば、これまで権益をほしいままにしていた一部の貴族は文字どおり首が飛びかねない。実の両親をみずからの手で流刑地に送った冷血漢ディートリヒは、吸血鬼にさえ血も涙もない悪鬼として恐れられていたのである。

 彼らはディートリヒと反目するアルギエバ大公にすがり、皇帝に働きかけるべく運動を起こしたのである。

 

 皇帝の世嗣についての議論は、至尊種ハイ・リネージュの社会において長年の禁忌タブーとされてきた。

 聖戦から皇帝と閨をともにしてきた皇后アルテミシアには、この八百年を通してついに受胎の兆候さえ見られなかった。

 医学的にはどちらの生殖能力もまったく正常であることが証明されていたにもかかわらず、である。


 皇帝夫妻が子に恵まれなかった原因は、究極的には種族の違いに行き着く。

 旧種族と新種族は遺伝子構造があまりに異なるため、たとえ受精しても着床には至らないか、きわめて早期に死産に至る。かりに妊娠が成立したとしても、やはり遺伝子の違いによって胎児が正常に発育・出生する可能性はかぎりなくゼロにちかい。

 皇帝自身もそのことをよくよく知悉していたのだろう。

 臣下からの再三の進言にもかかわらず、皇帝はかたくなに側室を持とうとはせず、それどころか皇后以外の女性を閨房に招いたことさえない。


 帝都の科学者たちは、この問題を遺伝子工学によって克服しようとした。

 すなわち、至尊種のすべての女性から生殖細胞を採取し、旧種族との交配が成立する特異な遺伝子配列の持ち主を虱潰しに探し出そうとしたのである。

 既婚・未婚をとわず、生殖能力をもつ女性すべてが調査の対象となる。個々人の意志を無視した暴挙も、皇帝の血を後世に遺すという大義のまえでは問題とされなかったのだ。


 この計画は、皇帝が旧種族の生き残りであることは伏せられたまま、世嗣誕生についての喫緊の議題として選帝侯たちにも諮られた。

 困難な立場に追いやられたのはディートリヒである。

 もし計画に異を唱えれば、次期皇帝の地位に恋々とするあまり、皇帝が実子を得る最後の機会を奪った奸臣という評価はまぬがれない。

 その一方で、計画に賛成すれば、皇帝夫妻の養子である自分の存在をみずから否定することになる。

 

 けっきょく、ディートリヒもほかの選帝侯たちと同様、計画に賛意を示した。

 というよりは、否応なくそうせざるをえなかったと言うべきだろう。

 アルギエバ大公ら反ディートリヒ派の策略にまんまと嵌められたと言ってもよい。

 彼らにとって皇帝の世継ぎは方便にすぎず、ディートリヒの次期皇帝就任の目を完全に潰すことこそが真のねらいだったのだから。


 選帝侯の承認が得られたとしても、皇帝の死期に間に合わなければすべてが水泡に帰す。

 大規模な遺伝子調査の結果、ルクヴァース侯爵の妻マグダレーナがに浮上した。

 夫であるルクヴァース侯爵は拒否するどころか、陛下のお役に立てるならばと喜んで結婚まもない妻を差し出した。

 マグダレーナはただ従容と夫の命令に従うばかりだった。自由意志など皇帝にさえ存在しないのだ。そこには、ただ政治的な思惑と駆け引きだけのためにめあわされた不幸な男女がいただけにすぎない。


 遺伝子配列に裏付けられたのすえ、マグダレーナは女児を出産した。

 皇帝の血を引くただひとりの娘はリーズマリアと名付けられ、バルタザール・アルギエバ大公の庇護下で育てられることになった。

 それからまもなく、マグダレーナはみずから真昼の陽射しのなかに飛び込み、壮絶な自殺を遂げた。

 それは自分を守ろうとしなかった夫への無言の抗議だったのか。それとも、不貞の妻であり、未来の皇帝の生母でもあるという矛盾に耐えられなかったのか。

 いずれにせよ、骨の一片すらこの世に残さずに消えさった女の真意をたしかめる術はもはやない。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース……」


 シャワーに打たれながら、ディートリヒは感情のこもらない声でその名を呟く。

 あの娘は生まれるまえから多くの不幸をもたらしてきた。

 死期を悟った皇帝がおのれの血を遺していったのは、後世に災いをもたらすためだったのか。

 そして、夫を寝取られたはずの皇后アルテミシアまでもがリーズマリアを庇うのは、義理の息子である自分を忌み嫌っているゆえなのか。


「どんな手を使っても、あの娘は殺さねばならない……」


 ディートリヒは血が滲むほどに強く唇を噛む。

 状況は不利だ。しかし、いまさら後に引くわけにはいかない。

 この手でリーズマリアを殺さないかぎり、育ての親である皇帝と皇后への憎しみを止める方法はないのだから。


***


 甲高い電子音がディートリヒの耳朶を打ったのはそのときだった。

 通信機の呼び出し音だ。

 帝都の高官でも、最高執政官への直通回線を持っているのは片手の指で数えるほどしかいない。

 部屋に戻ったディートリヒは、音声通話に限定したうえで回線を開く。


「やあ、ディートリヒくん。なかなか出てくれないから心配したよ」


 部屋に据え付けられたスピーカーから流れてきたのは、軽薄でありながら、どこか湿った響きのある美声だった。


「なんの用だ、ヴィンデミア」

「君が苦戦しているんじゃないかと思ってね」

「だまれ。作戦への参加を拒んだ貴様の知ったことではない」

「そうつれないことを言わないでおくれよ。きっと先帝陛下の陵墓みささぎへの侵入ルートが分からずに困っているんじゃないかと思ってさ」


 黙したままのディートリヒに、ヴィンデミアは「図星だろう?」と付け加える。 


「ねえ、ディートリヒくん。僕の”メフィストリガ”が空間を操る能力を持っていることは知っているだろう」

「貴様なら陵墓に侵入することができるとでも?」

「たぶん、ね。だけど……」


 ヴィンデミアの声がふいに低くなった。

 あいかわらず顔は見えないが、どんな表情をしているのかはディートリヒには容易に想像がつく。


「僕は君のだと思っているよ。最高執政官殿の部下でもなければ、フェクダル家の召使いでもない」

「なにが言いたい、ヴィンデミア」

「友人にものを頼むときはそれなりの態度があるということさ」


 わずかな逡巡のあと、ディートリヒは覚悟を決めたように息を吸い込んだ。

 いまは屈辱に耐えてでも成さねばならないことがある。

 ディートリヒは腹の底から絞り出すように、一語一語はっきりとその言葉を口にする。


「ヴィンデミア、私に手を貸してくれ。貴様の力が必要だ」

「いいねえ、ディートリヒくん。僕はその言葉が聞きたかったのさ」


 奥歯を砕けんばかりに噛み締め、眉間に深いシワを寄せているディートリヒをよそに、ヴィンデミアは歌うような声色で言葉を継いでいく。


「七時間後に合流しよう。そうそう、君のヴァルクドラクにはを持っていくから、準備をしておいておくれよ」

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