CHAPTER 15:ドーン・オブ・ヴァンパイアズ

 ”彼ら”に関する最も古い記録は、西暦一世紀にまでさかのぼる。


 当時ローマ帝国に編入されてまもないトラキア属州に赴任した書記官が、その存在を個人的に書き留めていたのである。

 黒海に面した海辺の洞窟を住まいとし、太陽が出ているあいだはけっして外に出ようとしない奇妙な一族……。

 一族の者はいずれも若く美しく、それでいてトロイア戦争やサラミスの海戦、アレクサンドロス大王の東征といったをまるで昨日のことのように語ったという。

 けっして老いず、病まず、死なず、女でも巨岩を持ち上げるほどの怪力をもつ彼らを、現地の人々は畏敬を込めて”不死者アタナトス”と呼んだ。

 不死者たちは人間を外敵から守り、さまざまな知恵を授ける代償に、人々からを得ていたという。この供物がなんであるかは、現存する資料からは判然としない。

 まもなく生起したローマ帝国の分裂と社会的混乱のなかで、”彼ら”の存在は忘れ去られていった。


 その後の”彼ら”の足取りは杳としてつかめない。

 わかっているのは、ある時期を境に黒海沿岸の洞窟を放棄し、各地に散り散りになったらしいということだけだ。

 ある者は西へ、ある者は東へ、またある者は南と北にそれぞれ進路を取った。

 共同体としての不死者の一族はここに至って自然消滅したのである。

 その後の彼らは、各地の妖怪や神仙、悪魔、精霊にまつわる神話・伝承におぼろげな姿を残すのみである。

 長い彷徨のすえ、はるか極東の島国に辿り着いた一派は”鬼”と呼ばれたともいわれるが、これについてもやはり確たる裏付けはない。


 次に”彼ら”がはっきりと記録上に現れたのは、それからおよそ千三百年ほど後の時代。

 ところは十五世紀のルーマニア・ワラキア公国。

 ドラキュラの異名で知られる”串刺し公”ヴラド三世が統治する同国には、当時ヨーロッパ最強といわれたドラクル(竜)騎士団が存在した。

 屈強な騎士たちのなかでも、不死の騎士たちと称される一団は別格だった。

 騎士たちは昼間のあいだは姿を現さず、夜間の戦いにのみ参加するという奇妙な存在だったが、その強さはまさしく圧倒的だったのである。

 当地の伝承にいわく、彼らは剣で斬られても死なず、矢を受けても斃れず、手足を失っても平然と戦いつづけた。そんな彼らが心底から恐れるものはこの世でただひとつ、太陽の光のみ――と。

 伝承の真偽はともかく、東欧の小国にすぎないワラキア公国が、超大国オスマン・トルコ帝国の侵攻をたびたび受けながら、幾度となく国土防衛に成功したことは厳然たる事実である。


 一四六二年、不死の騎士たちの名を一躍有名にした戦いが起こった。

 ワラキア公国の首都トゥルゴヴィシュテで勃発した大規模な合戦――トゥルゴヴィシュテの夜襲である。

 主君であるヴラド三世に率いられた騎士たちは、真夜中にオスマン・トルコ帝国軍の本陣を急襲し、これを壊滅に追い込んだ。ヴラドと騎士たちは、あと一歩でオスマン帝国皇帝スルタンメフメト二世の首級を取るところまで迫ったのである。その尋常ならざる戦いぶりは、ワラキア公国側のみならず、敵であるオスマン・トルコ側の史書にも克明に記録されている。

 もっとも、不死の騎士たちのあまりに人間離れした活躍はワラキア公国の貴族をも恐怖におとしいれ、結果としてヴラド三世の国外追放をまねく遠因となったことは皮肉というほかない。


 ヴラド三世の死後、ワラキア公国は急速にその独立性を失っていった。

 ドラクル騎士団も瓦解し、不死の騎士たちはまたしても各地へ散っていったのである。

 

 長い中世が終わりをむかえ、近世から近代へと時代が移ろいゆくなかでも、人の世から戦争が絶えることはなかった。

 だが、万巻の戦史を紐解いても、そこに”彼ら”の姿を認めることはむずかしい。

 ”彼ら”は息を潜め、文字どおり人間社会の闇に潜り込むことで、変わりゆく世の中に順応していったのである。

 さいわいと言うべきか、大航海時代を契機に人間の居住領域はかつてないほどに拡大し、”彼ら”のあてどなき放浪も全世界に及んだ。


 数千年のあいだ、家も家財道具ももたずに流離さすらうことを当然とした”彼ら”の生き方は、近代の幕開けとともに一変した。

 すなわち、貨幣経済の発達と民主主義の台頭である。

 ある者は人間をみずからの代理人として政治権力を掌握し、またある者は株主や会社経営者として巨万の富を築くようになった。せいぜい百年しか生きられない人間が、経験や知識において長命種に勝てるはずもないのだ。

 もはや”彼ら”は放浪の旅を続ける必要もなくなり、安全な地下から一歩も動くことなく、おもうがままに欲望を満たすことができるようになった。

 世界各国でおなじように成功をおさめた同胞と手を組むことで、”彼ら”の政治・金融への支配力はますます盤石なものとなった。


 人間との関わり方にもあきらかな変化が生じつつあった。

 ”彼ら”にとって人間は利用するものであり、争う相手ではもはやなくなったのだ。

 たしかに個々の寿命や身体能力では人間よりも上だが、いかんせん個体数が少なすぎる。

 トラキアの洞窟を出てから二千年ちかくが経ったというのに、一族の数はほとんど変わっていない。

 そのあいだに誕生した赤子はわずか五人、しかもそのうち三人は死産だった。近親婚を繰り返し、あまりにも血が濃くなりすぎた弊害であった。

 剣と弓で戦っていたヴラド三世の時代ならいざしらず、近現代の戦争において”不死の騎士”の優位は存在しない。人類が開発した砲弾やミサイルの破壊力は、とうに”彼ら”の肉体的限界を超えているのだから。

 人間とまともに戦えば種族の滅亡は避けられない以上、どうあってもこれを禁じる必要がある。

 ”彼ら”の長老たちが人間とのを制定し、同胞にもこれを徹底するよう厳命したのは当然の帰結といえた。

 人間にみずからの正体を明かさず、人間と争わず、人間と直接かかわらないことを三大原則とする掟によって、”彼ら”の平穏な日々は末永く続いていくものとおもわれた。


 だが――

 それから半世紀ほどが過ぎたころ、吸血鬼の一団が各地で武装蜂起したことで、”彼ら”の平穏はあっけなく打ち破られた。

 不老不死の肉体と超常的な力を持ち、太陽を恐れるその生態は、まぎれもなく”彼ら”の同胞だ。

 しかし、その数はあまりに多い。そのうえ同族同士でつがい、独自に子孫を増やすことも、また人間と交配して半吸血鬼ダンピールを生み出すことさえできる。

 そうして勢力を急拡大させた吸血鬼たちは、独立国の樹立を一方的に宣言し、各国に領土割譲を迫ったのである。

 長らく歴史の闇に潜んで生きてきた”彼ら”――の吸血鬼にとって、戦闘的なの出現はまさしく青天の霹靂にほかならなかった。


 あらたに産声を上げた新種族には、旧種族が制定した不戦の掟など通用しない。

 人間と真正面から敵対し、権利を勝ち取るためなら人間との戦争さえ辞さないその態度は、人間よりも旧種族を震え上がらせた。

 もし本格的な戦争に発展し、各国で吸血鬼狩りが始まれば、人間は新種族と旧種族の区別などしない。

 これまで長い年月をかけて築き上げてきた地位と財産が水の泡と化すばかりか、生命さえ失いかねないのだ。


――やつらはどこから来たのだ!?


 旧種族たちが人間を用いて新種族の出自を調査させたのは当然だった。

 もし人間の両親から吸血鬼が生まれるようなことがあれば、種族の概念そのものが根底から覆される。

 それとも、トラキアの洞窟を起源とする旧種族とは別の集団がどこかに隠れていたというのか?

 いずれにせよ、その正体を突き止めないことには、旧種族の側としても手のうちようがなかったのである。


 やがてもたらされた調査結果は、長老たちを驚嘆させた。

 新種族の吸血鬼が最初に確認されたのは、東欧のさる小国だった。

 かつては最後の独裁国家として知られたその国には、大規模な遺伝子工学研究所が存在した。

 おもてむきは家畜の品種改良を目的とする同研究所だが、その裏にはもうひとつの顔があった。

 国際条約で禁じられた人体実験――とりわけヒトの遺伝子改造と、人工子宮を用いたヒトクローンの生産をひそかにおこなっていたのである。

 そこにいたるまでの経緯は判然としないが、旧種族の遺伝子データが研究所に渡り、人間によるがおこなわれたことは疑いようがない。

 データの解析に当たった研究者は、まるでダイヤモンドの鉱脈を掘り当てたような感動を覚えたはずだ。

 人間よりもすぐれた人工生命体の創出。遺伝子工学を研究する者にとって、これほど魅力的なテーマはあるまい。


 まもなく民主化運動によって独裁政権が打倒されると、莫大な国費を費やした遺伝子工学研究所も閉鎖された。

 その時点で新種族はかなりの数がされていたのだろう。

 自分たちの意思、あるいは何者かの手引きで研究所を脱出した彼らは、太陽のとどかない地下に身を隠した。もともとマンホールチルドレンが多い国柄もあり、だれに怪しまれることもなかったのは好都合であった。

 数千から数万におよぶ吸血鬼の子らは、本能の赴くままし、さらにその数を増やしていった。

 汚水をすすり残飯を喰らい、捕らえた浮浪者を吸血用の家畜として飼育しつつ生きながらえた彼らが、地上の人間を憎悪するようになったのも無理からぬことだ。

 

――われわれにも地上で生きる権利はある。われわれもおなじ人間だ。


 悲惨な生活に耐えかねた誰かがそう叫んだとき、それまでくすぶっていた怒りと闘争心、そして憎悪がいっせいに発火した。

 最終戦争へと発展する吸血鬼と人間の確執は、まさにここから始まったのだった。


***


 遺伝子工学研究所のまがまがしい映像は、ファイバーガラス製の人工子宮から産み落とされた赤子を映したところで終わった。

 皇后アルテミシアの端正な面貌には、疲れたような表情が浮かんでいる。


「これが私たち至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼の真実です」


 茫然と立ち尽くすリーズマリアらを見つめて、アルテミシアはなおも言葉を継いでいく。

 

「旧種族の吸血鬼たちは、人間を裏から扇動し、私たち新種族を根絶やしにしようとしました。彼らはみずからも吸血鬼でありながら、吸血鬼の危険性をさかんに喧伝し、人間の差別心を焚きつけることで虐殺さえ引き起こした……」

「では、聖戦は――――」

「もとより人間と吸血鬼の戦いなどではありません。聖戦とは、新しい種族と旧い種族の生存闘争だったのです」


 アルテミシアの声は沈んでいる。

 聖戦以前から生きつづけるこの女吸血鬼は知っているのだ。

 かつての自分たちがどれほどみじめな境遇にあったかを。

 至尊種ハイ・リネージュと自称するのは、人間への劣等感の裏返しにすぎないことを。


「聖戦のあと、私たちが人間によって造られた種族であることは最大の禁忌タブーとされました。現在この事実を知っている者は、十三選帝侯でもディートリヒとヴィンデミア、そして私だけなのです」

「旧種族はどうなったのですか?」

「彼らはおろかな戦争を引き起こしたすえ、人間の文明とともに滅び去りました。――たったひとりの例外を除いて」


 言って、アルテミシアはリーズマリアの肩に手を置く。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。あなたの御父上――亡き先帝陛下は、旧種族でありながら私たち新種族に味方したただひとりの御方でした。陛下は私たちの存在を否定することなく、不戦の掟を破り、同胞である旧種族を裏切ってまで私たちを守ってくださった……」

「まってください。それなら、私は……」


 震える声で呟いたリーズマリアに、アルテミシアはこくりと首肯する。


「リーズマリア。あなたの身体には新旧両方の血が流れています。吸血鬼の永い歴史において最初で最後の、ふたつの種族の未来を託された存在なのです」

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