CHAPTER 14:ロスト・ヒストリーズ

 皇后アルテミシアに導かれるまま歩き出したリーズマリア一行は、ふいに奇妙な感覚に襲われた。

 足元はなんの変哲もない平らな床である。にもかかわらず、たしかに身体は下へ下へと降っているのがわかる。

 床に昇降用リフトやエスカレーターのような機械が仕込まれているのではない。

 が沈下しつつあるのだ。


 セフィリアはおそるおそるアルテミシアに問いかける。


「皇后陛下、これはいったい……?」

「安心しなさい。この陵墓みささぎは、もともと空間制御テクノロジーの実験場でした。あなたたちが迷い込んだあの白い砂漠も、じっさいには一日で渡りきれるほどの広さしかありません。末端の空間同士を環のように接合させることで、はてしなく続く大砂漠を造り出したのです……」


 アルテミシアが言い終わらぬうちに、今度はリーズマリアが前に出た。


「アゼトさん――――ノスフェライドはどこに? 無事なのですか!?」

「彼は生きています。もっとも、シュリアンゼ女侯爵の聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”イシュメルガル”と戦っている最中に、すこし厄介な場所に入り込んでしまいましたが」

「厄介な場所というのは?」

「彼らは円環状の人工空間のに出てしまったのです」


 アルテミシアは右手を軽く上げる。

 指の動きに合わせて、空中にさまざまな図形や数字の式が投影されていく。

 リーズマリアたちにはその一部さえ理解できないのも当然だ。

 それは吸血鬼の科学力が最高潮に達した時代、最もすぐれた天才たちが辿り着いた宇宙の真理とよぶべき方程式にほかならないのだから。


「私たちがいる三次元空間は、いくつもの多層次元と重なり合っています。無数に重なった紙や布の一枚と言ってもよいでしょう。円環状の閉鎖空間を作り出すとは、そこから一片を切り出し、空洞状の環をかたちづくるということです」

「アゼトさんは、そこから出てしまった……ということですか?」

「ええ。ノスフェライドとイシュメルガルは、重なり合うふたつの次元と次元のあいだに生じたわずかな空隙――物質の存在しない虚無空間に迷い込んでしまったのです」


 ブラッドローダーにエネルギー切れという概念は存在しない。

 機体の周囲にほんのわずかでも物質が存在するかぎり、それを貪欲に喰らい、みずからのエネルギーに変換できるからだ。

 だが、一切の物質が存在しない空間では、外部からエネルギーを得ることはできない。

 もし機内に蓄えられているエネルギーが払底すれば、ブラッドローダーの全機能は完全に停止する。

 武装や推進システムはむろん、乗り手ローディの生存に不可欠な生命維持システムとて例外ではない。


 リーズマリアは狼狽を隠しきれない様子でなおもたずねる。


「アゼトさんだけでも助け出せないのですか?」

「理論上は不可能ではありません。しかし、いったん虚無空間に出てしまったものを通常空間に戻すにはかなりの時間を必要とします」

「どのくらい――――」

「最短でも千年……場合によっては、その数倍はかかるでしょう。次元の狭間に入り込んでしまった物体を見つけ出すのは、砂漠に紛れこんだ砂のひと粒を探し出すよりも難しいのです」


 その言葉を耳にしたとたん、リーズマリアの真紅の瞳からとめどなく涙がこぼれた。


 千年。その意味するところは、人間と吸血鬼ではまったく異なる。

 吸血鬼なら、それだけの年月を生きながらえることも不可能でないだろう。

 だが、人間にはあまりにも長すぎる。運よく機体の生命維持システムが生きていたとしても、寿命はどうにもならない。

 ノスフェライドとの接続が途切れているいじょう、アゼトの死がリーズマリアの死に直結するとはかぎらない。

 それでも、アゼトにはもう二度と生きては会えないという事実には変わりないのだ。


「その人間ひとを愛しているのですね」


 アルテミシアの言葉に、リーズマリアは顔を伏せたまま肯んずる。

 ややあって、アルテミシアはふっとため息をついた。


「千年とはあくまで外部から救出するのにかかる時間です。ノスフェライドとイシュメルガルならば、自力で帰還することも不可能ではありません」

「どういうことですか……?」

「虚無空間の内部で戦闘を続ければ、エネルギーをいたずらに消費し、どちらも自滅します。しかし、一時的にせよ協力することができれば、二機ともに脱出できる可能性は充分あるということです」

「……」

「愛しているなら信じなさい。彼もいまごろ懸命に戦っているはずです」


 空間座標の下降がふいに停止したのはそのときだった。

 なにもなかったはずの周囲には、いつのまにか金属の壁と天井が出現している。

 どうやら通路らしい。突き当りには扉らしいものが見える。


 アルテミシアはリーズマリアたちの顔を一瞥すると、


「ついてきなさい。くれぐれも私から離れないように――――」


 扉に向かって一歩を踏み出していた。


***


「これは……!?」


 扉が開け放たれた瞬間、セフィリアとレーカはほとんど同時に驚嘆の声を上げていた。


 前方には一枚の石版がそびえている。

 石版といっても、その大きさは常軌を逸している。

 長辺は百メートル、短辺もゆうに三十メートル以上はあろう。縦横の巨大さに対して、厚みはおどろくほど薄い。

 表面は光沢のある金属色メタリックシルバー

 継ぎ目や窓、入り口はどこにも見当たらない。

 その材質はガラスのようでもあり、またある種の鉱石のようでもある。


「これこそが先帝陛下の眠る墓――――そして、至尊種ハイ・リネージュの歴史のすべてが刻まれた石碑いしぶみです」


 アルテミシアが手をかざすと、石版はにわかに赤い光に包まれた。

 光は明滅を繰り返しながら流れ、表層にびっしりと刻まれた幾何学模様を浮かび上がらせる。

 めまぐるしく発光パターンを変えながら、光はじょじょに明るさを増していく。


「レーカ、セフィリア、私のそばに――――」


 リーズマリアはセフィリアとレーカを両手で抱き寄せる。

 自分が恐れているからではない。二人がひどく恐れていることを察知したのだ。

 がなんであるかは、むろん知る由もない。

 それでも、本能的な恐怖が二人の身体を支配しているのだった。


 と――ふいに石版が消失した。

 リーズマリアらとアルテミシアは、空中に放り出されている。

 現実ではない。石版が作り出した超高精細のバーチャル映像なのだ。


 セフィリアとレーカを抱きしめたまま、リーズマリアはこわごわ周囲を見渡す。

 天を摩する超高層ビル群がひしめきあい、碁盤の目のように張り巡らされた道路は通行人と自動車でごった返している。

 中心部を抜けても街並みは途切れることなく、都市ははるか地平線の彼方まで広がっている。

 白く細い航跡を曳いて青空を横切っていくのは大型旅客機だ。もはや一機も現存しないそれは、ほとんど伝説上の存在にひとしい。


 いまリーズマリアの目交いっぱいに広がるのは、人類文明が栄華をきわめた一時代の情景にほかならなかった。


「これは……聖戦以前の……」

「そう。人類がこの地上の支配者だった時代の映像です」


 聖戦――人類と吸血鬼のあいだで勃発した最終戦争は、地球上のあらゆる文明圏を破滅に追いやった。

 もはや都市と呼べるものはどこにも存在しない。往時の繁栄を偲ばせるものといえば、長年風雨にさらされ、骨組みだけになった廃墟だけだ。

 リーズマリア自身、人類が栄えていたころの景色を目にするのはこれがはじめてなのである。


「人類にとっては最も幸福で満ち足りていた黄金の時代。けれど、私たち至尊種ハイ・リネージュには、最もつらく苦しかった暗黒の時代……」


 ふたたび映像が切り替わった。

 先ほどの華やかな都市とは打って変わって、映し出されたのは無機質な建物群だ。

 敷地のまわりは高い塀と鉄条網に囲まれ、一見すると刑務所のようにもみえる。

 建物の屋上には対空機関砲と地対空ミサイルが設置され、さらに銃をたずさえた兵士が歩哨に立っているところを見るに、どうやら軍関係の施設らしい。


 四方を建物に囲まれ、外からは見えにくくなっているコンクリート敷きの中庭に、ガスマスクをつけた兵士たちが現れた。

 何人かの兵士は棺桶のようなものを肩に担いでいる。ほかの兵士は銃を構えたまま、中庭の四隅で射撃準備に入っている。


 棺桶の蓋が開いたのと、内部から全裸の男女と子供が飛び出したのは同時だった。

 彼らは日陰に逃げ込もうとするが、中庭には太陽光を遮るものはなにもない。

 太陽は中天に輝き、容赦なく裸の肉体に日差しを浴びせている。


 全身に陽光を浴びた三人は、獣のような悲鳴を上げてのたうちまわる。

 おそらく父母とその子なのだろう。両親はわが子を庇おうと、互いに重なり合って日陰を作ろうとするが、それも無駄な努力だった。


 数秒と経たないうちに、三人はぐったりと倒れ込んだ。

 身体の腐敗と崩壊が始まったのだ。

 太陽光によって免疫細胞が暴走し、みずからの肉体を食い尽くそうとしているのである。

 手足は骨ごと腐り落ち、内臓さえもぐずぐずに溶け崩れて、コンクリートの上には汚泥のようなものだけが残った。

 兵士たちはホースのついた水栓をひねり、親子だったものの残骸を洗い流していく。


――ざまあみろ、吸血鬼ども……。


 水音に混じって嘲笑と罵声が聞こえたのは、けっして気の所為ではないだろう。


 それは至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼が、人間によって虐殺される一部始終であった。

 

 あまりの惨状にセフィリアの顔は青ざめ、ほとんど気死しかかっている。

 リーズマリアにしても、吐き気をこらえるのがせいいっぱいだった。


「アルテミシア様。あなたはこんなものを見せたかったのですか」

「必要だから見せたのです。リーズマリア。人間と吸血鬼の共存を掲げるあなたには、かつて二つの種族のあいだになにがあったのかを知る義務があります」

「不幸な歴史があったことは否定しません。ですが――――」


 リーズマリアが言いかけたとき、またも場面が切り替わった。


「これは……?」


 映像はひどく古いものだった。

 よほどフィルムの保存状態が悪かったのだろう。コマ落ちやノイズがひっきりなしに混ざり込んでいる。

 やがておびただしい薬品と実験器具が並んだ部屋が映し出されたところで、アルテミシアはリーズマリアをまっすぐに見つめて言った。

 

「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。あなたは知らねばなりません。私たち至尊種の真実と、あなたの出生の秘密を……」

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