CHAPTER 12:イン・セイム・ボート

 悲鳴にも似た音が響きわたった。

 硬質の金属が切削されるさいに特有の破壊音だ。

 イシュメルガルの両手足に仕込まれたいくつもの武器がじょじょにノスフェライドの装甲に食い込んでいるのだ。

 いまは装甲表層に留まっているが、刃はやがて機体の内部に達するはずであった。


 ダメージを受けているのは機体だけではない。

 神経接続ニューロ・リンクによってノスフェライドと一体化しているアゼトにとっては、皮膚をナイフで削ぎ落とされているのと変わらないのである。

 常人なら発狂していてもおかしくない激痛に苛まれているにもかかわらず、吸血猟兵カサドレスの少年はうめき声のひとつも上げていない。


 イシュメルガルの四肢にいっそう力を込めながら、エリザはアゼトにささやく。


「なんて我慢強い方。ですが、あなたは平気でも、ノスフェライドのほうが先に耐えきれなくなるのではなくて?」


 エリザの指摘どおり、ノスフェライドの全身はすこしずつ切り刻まれようとしている。

 ブラッドローダーの非晶質アモルファス装甲は、その名が示すとおり、分子構造が不規則に配列されていることを最大の特徴とする。格子欠陥や結晶粒界と呼ばれる材料工学上の弱点が一切存在しないのである。

 そのため折れや曲げ、捻りといった外力に対しては通常の金属とは比較にならない耐久性を発揮するが、当然ながら無限の強度をもつわけではない。

 外部から加えられるエネルギーが限界を超えれば、おなじく非晶質の物体であるガラスが砕けるように破壊されるのだ。

 はたして、イシュメルガルの刃が食い込んだノスフェライドの装甲には、肉眼では捉えられないほどの微小なヒビが入りつつある。

 

「もういいだろう」

「まあ、ようやく本気を出してくださいますのね――――」


 ノスフェライドの腕が音もなく動いた。

 組みついたイシュメルガルを振り払うのではなく、逆にその手足を掴み取ったのである



 アゼトの言葉に呼応するように、ノスフェライドの装甲がまばゆい閃光を放った。

 漆黒の機体はみるまに鮮緑色の輝きに包まれていく。

 自機を破壊しかねないほどの膨大なエネルギーの奔流が、装甲を通して外部へと排出されているのだ。


 内蔵式アーマメント・ドレス。

 通常の外付け式アーマメント・ドレスとは異なり、機体だけで完結する出力増大システムである。

 数多くの強敵を葬り去ってきた、まさしくノスフェライド最大の切り札だ。

 かつてはリーズマリアの生命の危機にのみ反応していたが、いまではアゼトの意志で自由に発動させることができる。


 そして、リーズマリアと秘蹟サクラメントを結んだことで、ノスフェライドはさらなる高みへと至った。

 全身から神々しく気高い銀の光――万物を分子レベルで崩壊させる破壊波デモリッション・ウェイブを放つことが可能となったのである。

 ゼロ距離で破壊波を浴びれば、イシュメルガルとて無事では済まないはずだ。

 アゼトは最初からこれを見越して、イシュメルガルの手足をきつく拘束していたのだった。


「――――!?」


 アゼトは愕然と愛機を包んだエネルギー・フィールドを見つめる。


(銀色の光に変わらない……!?)


 ノスフェライドからあふれ出た光は、あいかわらずあざやかな緑色のままだ。

 この状態でもノスフェライドの性能は飛躍的に上昇している。エネルギーを大太刀にまとわせた状態で繰り出す斬撃は、ブラッドローダーを一刀のもとに両断することさえできるのだ。

 それでも、その威力はあらゆる物質を消滅させる破壊波デモリッション・ウェイブに遠く及ばない。


(リーズマリアとの感覚共有リンケージが切れたせいなのか!?)


 前回の状況と比較すれば、それ以外には考えられない。

 破壊波は比類なき破壊力をもつ一方、これ以上ないほど危険な武器でもある。

 ただ敵を倒すだけでは済まない。悪意を持って濫用すれば、世界そのものをふたたび破滅させることもできるのだ。

 そうした事情もあって、アゼトひとりの判断では使えないよう、ノスフェライドが厳重に封印ロックをかけているのだ。

 それはたんなる二重の安全装置というだけでなく、アゼトひとりに殺戮者の罪を負わせまいとするリーズマリアの思いやりでもあった。

 リーズマリアとアゼトが真の意味で一心同体となり、そのどちらもが必要と認めたときにのみ、ノスフェライドは最強の力を発揮するのである。


 アゼトは破壊波の使用を諦め、渾身の力を込めてイシュメルガルを振りほどく。

 この状態でも、聖戦十三騎クラスのパワーを押し返す程度は造作もない。


 機体を回転させつつ砂漠に降りたイシュメルガルは、腰裏の鞘から剣を抜き放つ。

 無骨な刀身が銀光を散らして輝く。片刃の短刀だ。刃は厚く太く、切っ先はずんぐりとした猪首状になっている。

 鎧通しアーマー・ピアッサー

 切り結ぶのではなく、接近戦で敵の急所を刺すことに特化した武器である。


 鎧通しを逆手に構えながら、エリザは戦闘中ともおもえない呑気な声を上げる。


「まあ、緑色に光ってとってもおきれいですこと。でも、まさかそれだけで終わりではありませんわよね?」

「試してみるか」

「ぜひとも。わたくしも全身全霊でお相手いたしますわ」


 会話が終わるや、ノスフェライドの姿は霞のようにかき消えた。

 跡に残ったのは緑色の光に縁取られた輪郭だけだ。

 残像や分身はブラッドローダー戦ではさほど珍しくもない。

 ある程度の技量と経験をもつ乗り手ローディならば、出来てあたりまえの技とさえ見なされているのである。

 当然、分身の中から本体を見つけ出し、正確に攻撃を命中させる技法も確立されている。


「残念ですけれど、わたくしに分身は通じませんわ」


 エリザの言葉に応じて、イシュメルガルの左腕から盾が分離した。

 尖端がするどく突き出た五角形ペンタゴンの盾は、ふわりと浮き上がると、イシュメルガルの頭上で静止する。


 直後、破裂音とともに盾の裏側から無数の鉄球が撃ち出された。

 鉄球ひとつひとつの直径はほんの一センチていどにすぎない。

 盾に仕込まれた電磁カタパルトによって極超音速に達した鉄球は、大気との摩擦で破裂し、さらに細かな破片へと分かれていく。

 鉄球にはブラッドローダーの装甲を貫通するほどの威力はないが、それも止まっている状態での話だ。

 彼我の相対速度が上がるほど衝突時のエネルギーも増大していく。マッハ一◯を超える速度域では、豆粒ほどの小石ひとつが戦車砲なみの破壊力をもつのだ。

 そして、これほど多くの破片が同時に飛来すれば、斥力フィールドでも完全には防ぎきれない。

 分身中のブラッドローダーは、ほかでもない致命的なダメージを負いかねないのである。


 ノスフェライドとて例外ではない。襲いくる鉄球から身を守るために、かならず動きを止める。――――そのはずだった。


 エリザの予想に反して、ノスフェライドは速度を緩めるそぶりもみせない。

 それどころか、ほとんど直角に進路を変え、鉄球の雨にむかって突進してくる。

 ほとんど自殺行為と言ってもよい愚行だ。

 

 ノスフェライドは大太刀を脇に構えると、そのまま横薙ぎの一閃を放つ。

 あざやかな緑色のエネルギーをまとった衝撃波は空を奔り、鉄球を吹き飛ばしつつイシュメルガルに迫る。


 ふたたびノスフェライドの大太刀が閃いた。

 大上段の構えから繰り出される縦一文字の斬撃。

 先の横薙ぎと組み合わせることで、十字架をかたちづくる二連撃である。


 バルタザール・アルギエバ大公の”ブラウエス・ブルート”、サルヴァトーレ・レガルス侯爵の”ザラマンディア”を葬り去った、それはノスフェライド最強にして必殺の技にほかならなかった。


「これで――――とどめだ!!」


 裂帛の気合とともに、アゼトはイシュメルガルの懐へ飛び込む。

 エネルギー波の直撃に合わせて、大太刀で直接斬りつけようというのだ。

 二段構えの攻撃をまともに喰らえば、聖戦十三騎といえどもひとたまりもない。


 もはや勝負は決した――アゼトがそう確信したとき、ふいに周囲の景色が一変した。


「なんだ!?」


 アゼトがおもわず驚愕の声を上げたのも無理はない。

 白い砂漠と乾いた青空は消え失せ、どちらもぬばたまの闇へと変わっている。

 ノスフェライドとイシュメルガルは、上下左右も定かではない暗黒の空間に漂っているのだ。

 それだけではない。イシュメルガルに直撃するはずだった十字架のエネルギー波は跡形もなく霧散している。


「ノスフェライドのエネルギーが減っている……!?」


 アゼトの声には隠しようのない動揺がにじんでいる。

 ブラッドローダーは周囲になんらかの物質――とりわけ火(太陽)・風(空気)・水・土の四大元素のいずれかが存在するかぎり、それらをエネルギー源として半永久的に稼働しつづけることができる。

 ほとんど物質の存在しない宇宙空間であっても、太陽光や宇宙線をエネルギーに変換することが可能なのである。

 光のひとすじ、塵の一粒も存在しない完全な虚無空間に放り込まれでもしないかぎり、ブラッドローダーがエネルギー切れを起こすことはありえない。

 そして、そのような空間が存在するのは、銀河と銀河のあいだを埋める暗闇の領域――星の光さえ届かない広大無辺な超空洞ヴォイドだけなのだ。


 ノスフェライドとイシュメルガルは、一瞬のうちに宇宙の果てまで飛ばされたというのか?

 ありえないことだ。いかに吸血鬼の科学力が優れているとはいえ、それほどの超長距離を移動する技術はいまだ実用化されていないのである。

 ならば、この空間はほんものの超空洞ではありえない。

 生存不可能領域インヴァイアブル・エリアが円環状の人工空間だったように、この虚無空間も何者かの意志で作られた領域なのだ。


「どうなさいましたの? 戦いはまだ続いておりましてよ」


 エリザの声に、アゼトははたと我に返った。

 わずかな逡巡のあと、アゼトは大太刀を鞘に納める。


「一時休戦だ」

「まあ、ご冗談がお好きなのね。すこし景色が変わったからといって、戦いを止める理由になりまして?」

「おまえも気づいているはずだ。この場所ではブラッドローダーのエネルギーは回復しない。すべてのエネルギーを使い果たせば、二度と脱出できなくなるぞ」


 なおも武器を手放そうとしないエリザに、アゼトは努めて冷静に語りかける。


「それに、戦いはまだ終わったわけじゃない。ここから無事に脱出できたら決着をつける。それまで一時勝負を預けるというだけだ」

「その言葉、信じてよろしいのですね」

「約束する」


 ややあって、イシュメルガルは武器を収めた。

 それが答えの代わりだった。

 エリザは先ほどまでとは別人みたいな声色でアゼトに語りかける。


「アゼト様とおっしゃいましたね。あなたはとてもお強い方。たとえ人間であっても、信頼するに足ると判断いたしますわ」

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