CHAPTER 07:ストーム・カミング
深い眠りの淵に沈んでいたセフィリアの意識は、ふいに現実へと引き戻された。
自分の意志で目覚めたのではないことはわかっている。
愛機であるブラッドローダー”ゼルカーミラ”が、セフィリアの体内を循環するナノマシンを通して警告を発したのである。
ふつう、ブラッドローダーが眠っている
まして吸血鬼のバイオリズムが最も低下する昼間となればなおさらだ。
もっとも、それも抜き差しならない事態が
ゼルカーミラからの警告はなんらの具体的な情報を伴ってはいない。
ほとんど虫の知らせとでも言うべきものだ。
それでも、リーズマリア一行に深刻な危機が迫っていることは疑いようもない。
ブラッドローダーの
セフィリアはベッドから飛び起きるや、枕元に立てかけておいた剣を掴み取る。
薄手の
ドアを蹴破るように廊下に出たセフィリアは、リーズマリアの私室にむかって疾走を開始する。
リビングとして使われている船室を通りすぎざま、銀灰色の髪がセフィリアの視界に入った。
「リーズマリア様っ!!」
セフィリアは船室に飛び込むと、リーズマリアとレーカに駆け寄る。
「セフィリア、アゼトさんが――――」
「アゼトがどうかしたのですか!?」
「ノスフェライドで偵察に出たまま戻らないのです。いくら呼びかけても応答がなくて……」
セフィリアの顔に焦りの色が浮かんだ。
アゼトとノスフェライドは、ただ陸運艇を離れているというだけではない。
現在どこにいるのか分からず、連絡の手立てもないとなれば、一行に迫りつつある危機を報せることもできないのである。
わずかな逡巡のあと、セフィリアはレーカに視線を向ける。
「レーカ、リーズマリア様をお連れしてすぐに船を離れろ。大至急だ」
「セフィリア殿、それはどういう……」
「くわしく説明している時間はない!! リーズマリア様も、手遅れになるまえにヴェルフィンにお乗りください。私はゼルカーミラで出撃します」
セフィリアの言葉の端々には、これ以上ないほどに切迫した危機感がにじんでいる。
ほとんど下着同然の服装といい、何事につけ折り目正しい彼女らしからぬ振る舞いの数々は、それだけ深刻な事態が生じたことの証だ。
リーズマリアとレーカは互いに顔を見合わせると、そのまま後部甲板へと足を向ける。
ヴェルフィンは昨晩から甲板下の整備スペースに駐機されている。
まだ日が出ている時間帯だが、コクピットには太陽の光を浴びることなく乗り込むことが可能だ。
このような事態を見越していたわけではむろんないが、折よくと言うべきか、数時間ほどまえに
無事に離陸できれば、最低でも一時間は飛びつづけることができるだろう。
「姫様、こちらへ――――」
レーカはリーズマリアをコクピットへと導く。
ウォーローダーのなかでは高級機に位置づけられるヴェルフィンだが、コクピットの空間はほかの機種とさほど変わらない。アーマイゼやカヴァレッタとおなじ狭隘な”棺桶”ということだ。
それでも、細身の女二人なら身を寄せ合うことで乗り込むことはできる。
ヴェルフィンにはもともと水中でも問題なく活動できるほどの高い気密性が確保されている。
吸血鬼にとって有害な太陽光も、コクピットハッチを完全に密閉しているかぎりは問題にならないはずであった。
「申し訳ありません。姫様に窮屈な思いをさせるのは不本意ですが、しばしのあいだご辛抱いただきます」
「私のことなら心配いりません。レーカの操縦なら安心して身を任せられます」
主君から全幅の信頼を寄せられている喜びを噛み締めつつ、レーカはヴェルフィンの腕で壁面のスイッチを押し込む。
低い駆動音を立ててエレベーターがせり上がり、ヴェルフィンを後部甲板上へと押し上げていく。
船体が激しく揺れたのは、飛び立とうとするまさにその瞬間だった。
耳障りな破壊音が響くなか、後部甲板はみるまに傾いていく。
「姫様、しっかり掴まっていてください!!」
レーカは機体の制御システムを
折りたたまれていた主翼が展開し、ブースターが噴射炎を吐き出す。
滑るように甲板を飛び立った朱色の機体は、ほとんど垂直に天空へと駆け上っていく。
人間なら一瞬で失神しているだろうすさまじい
「――――!!」
メイン・ディスプレイの表示が切り替わった瞬間、リーズマリアとレーカはおもわず息を呑んでいた。
そこに映し出されたのは、前後左右から重水素レーザーを撃ち込まれ、いましも溶け崩れつつある陸運艇の姿だった。
***
「……仕留め損なったか」
ヴァルクドラクのセンサーごしに破壊された陸運艇を遠望しつつ、ディートリヒは誰にともなく呟いた。
四方から重水素レーザーの同時攻撃を仕掛けたにもかかわらず、リーズマリアを殺害することはできなかった。
それでも、撃沈寸前の船から飛行機が飛び立ったことは確認ずみだ。
過去のあらゆる兵器を網羅したブラッドローダーのデータベースにも登録されていない奇妙な機体だが、あれにリーズマリアが乗っていることはまちがいない。
「No.Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳの各機に告ぐ。ただちにリーズマリアを追撃し、今度こそ確実に殺せ――――」
指示を待つ四機のストラディオスにむかって、ディートリヒは常と変わらぬ冷厳な声で命じる。
リーズマリアを仕留め損ねたことで彼らを責めはしない。
焦らずとも、もはや盤上のどこにも
ディートリヒが望みさえすれば、いつでも
気がかりなのはノスフェライドとゼルカーミラの存在だが、どちらの反応もいまのところは確認できない。
もし閉鎖空間のどこかでエリザ・シュリアンゼ女侯爵と交戦しているのであれば、あの二機がリーズマリアを助けに戻ってくる可能性はかぎりなくゼロにちかい。
エリザの駆るイシュメルガルの強さは文字どおり別格だ。
もしうかうかと背を向けようものなら、その場で息の根を止められるだろう。
そして、リーズマリアを乗せた飛行機がどれほど高速であっても、ブラッドローダーの追跡からは逃れられようはずはないのだ。
白い砂を割ってするどい銀光が閃いたのはそのときだった。
光沢のある
砂中から飛び出したゼルカーミラは、
転瞬、甲高い金属音とともに火花が散った。
ヴァルクドラクが腰の鞘から
鍔迫り合いを演じながら、ディートリヒは冷たい声で問いかける。
「ゼルカーミラ……セフィリア・ヴェイドか」
「いかにもそのとおりだ!! ディートリヒ・フェクダル、いざ尋常に勝負!!」
「リーズマリア抹殺の使命も果たせず、選帝侯の名に泥を塗った裏切り者が――――」
ディートリヒは吐き捨てるように言うと、じりじりと長剣を押し込んでいく。
ブラッドローダーとしては華奢なゼルカーミラに対して、ヴァルクドラクは頭二つ分ほど大柄なのだ。
当然、パワーでもヴァルクドラクに分がある。力比べに持ち込まれれば、ゼルカーミラの不利はあきらかだった。
「レガルス侯爵に命じてノスフェライドもろとも私を殺そうとした男がどの口で!!」
「知っていたのか。いずれにせよ、ヴェイド侯爵家は遅かれ早かれ潰すつもりだった。貴様がリーズマリアに寝返ってくれたのは好都合というものだ」
セフィリアにあきらかな動揺が走ったのを認めて、ディートリヒはなおも言葉を続ける。
「セフィリア・ヴェイド。貴様の父母と姉の死は不幸な事故などではない」
「なんだと……!?」
「貴様の父は領地の人間の数をまともに管理することもできない無能だった。度重なる人口削減命令を無視したばかりか、身のほどもわきまえず、妻子を引き連れて先帝陛下に直訴しようとさえした」
「まさか――――」
「陛下に謁見するまえに私が始末した。たとえ選帝侯であっても、
セフィリアが声にならぬ声を洩らしたのと、ゼルカーミラの両眼が赤々と輝いたのと同時だった。
兜の合間からはまばゆい赤光があふれだしている。そのさまは、まるでブラッドローダーが血涙を流しているようでもあった。
全身に渾身の気合をみなぎらせたゼルカーミラは、一気にヴァルクドラクを押し返す。
「よくも……よくも父上と母上、姉上を!!」
「感情に流されて逆上したか。しょせん愚か者の子は愚か者だな、セフィリア・ヴェイド。まわりをよく見てみるがいい」
セフィリアがはたと我に返ったときには、すでにゼルカーミラは四機の白いブラッドローダーに取り囲まれたあとだ。
ストラディオス。
彼らはリーズマリアの追跡を中断し、ディートリヒのもとに馳せ参じたのだ。
名前も顔も感情も捨てた無銘の四騎士は、盾と長槍を構えてゼルカーミラに急迫する。
「ゼルカーミラの始末は任せる。おのれの感情の制御もできないゴミにいつまでもかかずらっている暇はない」
ストラディオスにゼルカーミラを委ねたヴァルクドラクは、リーズマリアを追跡すべくその場を離脱する。
遠ざかっていくその背中に、セフィリアはあらんかぎりの怒声を張り上げる。
「逃げるなッ!! ディートリヒ・フェクダル!!」
「そんなに私と戦いたいなら、リーズマリアを殺したあとで相手をしてやる。もっとも、それまで生きていればの話だが――――」
ディートリヒが言い終わらぬうちに、白い機影が動いた。
いかに聖戦十三騎といえども、四機のブラッドローダーを同時に相手取っては勝ち目はない。
轟音とともに槍が唸り、戦いと呼ぶにはあまりに一方的な殺戮劇の幕が上がった。
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