CHAPTER 06:ネームレス・ホースメン

 空中戦艦”ラカギカル”の艦橋ブリッジは切迫した雰囲気に包まれていた。


 全長千メートルを超す巨艦らしく、艦橋もちょっとしたコンサートホール顔負けの広さをもつ。

 だが、ゆうに五百人は収容できるだろう床面積に対して、実際に艦の運行にあたっている乗組員クルーはわずかに十数名にすぎない。

 彼らはいずれも帝都防衛艦隊に所属するエリート将校であり、純血の至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼である。

 帝都防衛艦隊の旗艦フラッグシップであり、かつては皇帝の行宮あんぐうとしても用いられたラカギカルへの乗艦が許されるのは、吸血鬼のなかでも少数の精鋭だけなのだ。


「イシュメルガルの行方はまだわからんか」


 だれともなく問うた冷たい声に、艦橋にいた全員が一瞬動きを止めた。


 声の主は、艦橋の最上部に佇む黒髪の美丈夫だ。

 最高執政官ディートリヒ・フェクダル。

 選帝侯という地位を超え、いまやすべての吸血鬼の指導者となった男は、萎縮しきった様子の乗組員たちをちらと一瞥する。


「聞こえなかったのか?」


 わずかな沈黙のあと、おそるおそる進み出たのはラカギカルの艦長だ。

 

「目下、ラカギカルの総力をあげて捜索に当たっております。恐れながら、最高執政官閣下にはいましばらくのご猶予を賜りたく……」

「あと五分だ」

「と、おっしゃいますと……?」

「シュリアンゼ女侯爵とイシュメルガルだ。あと五分以内になんらかの痕跡が見つからなければ、その時点で捜索を打ち切れ」


 狼狽を隠せない艦長に、ディートリヒはあくまで冷酷に告げる。


 イシュメルガルが出撃したのは、およそ十五分ほどまえのこと。

 出撃してしばらくのあいだは通信もデータリンクも正常に作動していた。

 異変が起こったのは、生存不能領域インヴァイアブル・エリアに入ってまもなくだった。

 イシュメルガルからの通信が途絶し、さらには機体の反応そのものがラカギカルのレーダー上から忽然と消失したのである。


 艦橋からの報告を受けたディートリヒは、べつだん驚いた様子もなく、


――やはりこうなったか……。


 と、意味深長に呟いただけだった。


 そして――なにも起こらないまま五分が経過した。

 無言で艦橋から立ち去ろうとしたディートリヒに、艦長は上ずった声で呼びかける。


「最高執政官閣下、どちらへ!?」

「後部格納庫だ。私も”ヴァルクドラク”で出撃する」


 ディートリヒはこともなげに言うと、後部格納庫へと通じるエレベーターにその身を投じていた。


***


 ラカギカルの後部格納庫は、艦の主格納庫として位置づけられている。

 前部格納庫がブラッドローダー三機分のスペースしか持たないのに対して、こちらは最大で十二機を搭載できる。


 いま、広壮な格納庫内に佇立するのは、五機のブラッドローダーだ。

 なかでも暗灰色ダークグレイの装甲をまとった大柄な一機はひときわ目を引く。


 聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”ヴァルクドラク”。

 八百年前の聖戦において皇帝が搭乗したことから、大帝騎の異名をもつブラッドローダーだ。

 現在は皇帝の養子であるディートリヒに受け継がれ、選帝侯フェクダル侯爵家のシンボルである有翼獅子グリフォンの紋章が刻まれている。

 上方に伸びた兜の奥では、血色のするどい眼が炯々と光を放つ。

 額に埋め込まれたあざやかな鮮血色フレッシュブラッドの宝玉は、超高精度のセンサーと演算装置が一体化した複合型デバイスだ。

 戦闘時には乗り手ローディの脳と直結し、いわばとして機能するのである。


 ヴァルクドラクを囲むように並んでいるのは、いずれも光沢のない白色ホワイトに染め上げられた四機のブラッドローダーである。

 色だけではない。全身の装甲のかたちも、マスク状の無機質な面も、左右の手に携えた大型の盾と長槍も、まったく同一の仕様に統一されている。

 乗り手の要望に合わせて一機ごとに特注オーダーメイドされ、この世におなじ機体はふたつと存在しないとされるブラッドローダーにおいて、このような規格統一がなされることはきわめて稀だ。


 むろん、四機とも最初からこうだったわけではない。

 もともとまったく別の機体だったものを、ディートリヒの意向でこのような形に改修させたのである。


 ブラッドローダー”ストラディオス”。

 最高執政官直属の特務戦隊の主力機である。

 白い機体の前に整然と堵列するのは、頭全体を覆うヘルメットをつけた四人の騎士たちだ。

 足首まである長いマントの前をぴったりと閉じているため、一見しただけでは男女の区別さえ判然としない。


 名誉をなによりも重んじる吸血鬼の社会において、みずからの名前と姿を隠すことは禁忌タブーとされている。

 戦場で敵と相対したなら、おたがい高らかに名乗りを上げるのが礼儀とされているのである。もしそれを怠れば、当人の名誉が失墜するばかりか、一族郎党まで卑怯者の誹りを受けることになる。


 泰平の世が到来し、集団戦から一対一の決闘へと戦いの主流が移ってからは、そうした傾向はますます強くなった。

 吸血鬼たちはブラッドローダーを派手に飾り立てることに血道を上げ、戦闘とは無関係な儀礼的作法にも趣向を凝らすようになったのである。

 杓子定規に規定された煩雑な手順プロトコルをすこしでも外れれば、とたんに嘲笑の的となる。

 それは高度な教育を受けた貴族の証であるとともに、名誉欲と自己顕示欲とを同時に充たす手段でもあった。


 最高執政官ディートリヒは、そんな吸血鬼の伝統的美徳を笑殺した。

 およそこの世に存在するあらゆる兵器は、突き詰めれば戦術上の一単位にすぎない。

 究極の兵器であるブラッドローダーとて例外ではない。

 兵器とその操縦者は、ただ指揮官の命令に従って目的を遂行すればそれでよく、そこに個々人の自己主張が介在する余地はない――――。

 ディートリヒの考え方はきわめて合理的である一方、およそ吸血鬼には受け入れがたいものでもあった。


 それでも、すべての吸血鬼が旧態依然とした思考に凝り固まっていたわけではない。

 いまここに並び立った四人は、いずれもディートリヒの理念に心服し、特務戦隊への志願にあたってみずから名前と顔を捨てたのである。

 さらには愛用のブラッドローダーをも差し出し、ストラディオスへの改造を願い出たのだ。


 ディートリヒのもとで彼らが担うのは、名のある貴族には依頼できない非合法任務ブラックオプス――最高執政官に従わない諸侯への私的粛清だ。

 四機で領地を襲撃し、見せしめとして徹底的な破壊活動をおこなうのである。

 ブラッドローダーの圧倒的な火力で村落を焼き払い、所有する財産の一切を容赦なく蹂躙する。一罰百戒を徹底するためとはいえ、彼らが通ったあとには文字どおり雑草の一本も残らない。

 もし相手方が反撃に出た場合には、問答無用でこれを殺害することも許されている。

 こうした理不尽なまでの暴力主義テロリズムによらなければ、皇帝と血の繋がりのないディートリヒが独裁体制を構築することはできなかったのである。


 ノスフェライドを駆って多くの反逆者を葬った選帝侯ルクヴァース家がとして悪名を轟かせたように、彼ら四騎士もまた、最高執政官の猟犬として畏怖と軽蔑の対象となっている。


 No.Ⅰアインス

 No.Ⅱツヴァイ

 No.Ⅲドライ

 No.Ⅳフィーア


 四機のストラディオスに割り振られた機体番号シリアルナンバーは、そのまま彼らの呼び名でもある。

 あまりに冷酷で残虐なその任務内容から、彼らにひとかたならぬ恨みを抱く貴族は少なくない。

 素性が特定されれば、本人のみならず家族にまで危害が及ぶこともありうるのだ。

 個性の剥奪は、たんにディートリヒの理念に適うというだけでなく、騎士たちを保護するための方策にほかならない。


「出撃する。ただちに準備にかかれ」


 ディートリヒが言うが早いか、四人の白衣の騎士は音もなく動き出していた。


 数分後――――。

 ヴァルクドラクと四機のストラディオスは、ラカギカルの後部格納庫を飛び立った。

 眼下には白い砂の海が茫々と広がり、はるか頭上には灼熱の太陽が燦々と輝いている。

 吸血鬼が太陽の下に生身を晒せば一秒と生きてはいられないが、ブラッドローダーに乗っているかぎり紫外線に焼かれる心配はない。

 

 しばらく飛行を続けるうちに、ラカギカルとのデータリンクが突如として途絶した。

 べつになにかの目印があったわけではない。なにもない空間を通過した瞬間、先ほどまでとは別の世界に飛ばされたようであった。


 むろん、ディートリヒにとってはそれも想定内だ。

 エリザのイシュメルガルを単独で先行させたのも、生存不能領域インヴァイアブル・エリアに入れるかどうかのテストだったのである。

 状況は予想どおりに推移している。たとえイシュメルガルとの合流を果たせなかったとしても、戦力的にはこちらが圧倒的なのだ。


 ヴァルクドラクの額の宝玉がふいに妖しい光を放った。

 地平線の彼方――数百キロ先の砂上に動くものを感知したのだ。

 センサーが収集した膨大な情報は、演算装置によって瞬時に処理され、ディートリヒの頭脳にひとつの鮮明な像を結ぶ。


 砂漠に混じった黒い粒のようなそれは、砂上を航行する一隻の陸運艇ランドスクーナーだ。


 サイフィス侯爵領で記録した映像データとの照合はすでに完了している。

 合致率は九十九・九パーセント。

 一隻だけで単独行動を取っていることも勘案すれば、リーズマリア一行の船と断定してまちがいない。


ツヴァイは右、ドライは左、フィーアは後方に展開しろ。No.Ⅰアインスは私と来い」


 ディートリヒの声は、しかし、標的を発見した高揚感とは無縁だった。


 ここでリーズマリアを殺す。

 確実に、わずかな生還の可能性さえ断ち切る。

 その目的を果たすためには、寸毫ほどの予断も許されないのだ。


 散開した五機のブラッドローダーは、冷酷な猟犬のごとく空を駆け、獲物の逃げ道を塞いでいった。

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