CHAPTER 05:サプライズ・ブロウ

 アゼトが違和感を抱いたのは、水平飛行に移ってまもなくだった。


(おかしい――――)


 ブラッドローダーの巡航速度は最大でマッハ一◯に達する。

 むろん理論上はそれ以上の加速も可能であり、じっさい戦闘中には四肢の末端が瞬間的にマッハ三◯に達することもある。

 だが、重力制御装置グラヴィティ・コントローラーや斥力フィールドを搭載しているブラッドローダーといえども、物理法則を完全に無視できるわけではない。速度が上がるにつれて大気は圧縮され、分子密度は際限なく高まっていく。

 言ってみれば岩盤を掘り進んでいるも同然であり、距離あたりのエネルギー効率が極端に悪化するのである。


 ブラッドローダーの非結晶質アモルファス装甲には超効率のエネルギー転換機構が内蔵され、機体周辺になんらかの元素が存在するかぎり半永久的に稼働できる。

 それでも、無尽蔵に貯蔵できるわけではない以上、使用可能なエネルギー量にはおのずと限界がある。

 戦場までの移動で不必要にエネルギーを浪費し、いざというときにフルパワーで戦えなくなっては本末転倒なのだ。

 予期せぬパワーダウンを避けるため、乗り手ローディがあえて加速を命じないかぎり、機体側で自動的に速度を維持・調整するようにプログラミングされているのである。


 それを考慮しても、ノスフェライドはすでに三分あまりも飛行している。

 平均飛行速度はマッハ五を超えるだろう。飛び立ったときに見えていた地平線の果てに到達していても不思議ではない。

 にもかかわらず、眼下にはあいもかわらず茫漠とした砂の海が広がるばかり。

 東西南北すべての方角を見渡してもいっこうに変化は見られない。


 いくら広大な生存不能領域とはいえ、あまりにも不自然だ。

 まさかフォルカロン侯爵領以西の大地がことごとく砂漠と化しているはずもない。


 アゼトはノスフェライドに指示し、各種のセンサーを総動員して周辺を走査スキャンさせる。

 結果はすぐに出た。

 地形にも大気組成にも異常はない。

 異常があるとすれば、まったく均質な構造がどこまでも果てしなく続いているということだけだ。


(まさか――――!?)


 アゼトはおもわず息を呑んだ。

 まったく同じ組成で構成された空間が連続するなど、自然界ではぜったいにありえない。

 ノスフェライドがいるのは、何者かが作り出した人工的空間――メビウスの輪のごとく、始点と終点とを結び合わせた円環状の閉鎖空間なのだ。

 ブラッドローダーのセンサーでも感知できなかったのは、おなじ場所を通過しないように操作されているためかもしれない。

 いずれにせよ堂々巡りをしていることに変わりはない。いくら飛んでも永久に出口にたどり着けないのも道理だった。


(はやくリーズマリアたちに知らせなければ……)


 アゼトとリーズマリアはノスフェライドを通して感覚を共有している。

 心に念じるだけで、いかなる通信ネットワークよりも早く情報を共有できるのだ。

 だが、アゼトの再三の呼びかけにもかかわらず、リーズマリアからの応答はなかった。

 閉鎖空間そのものが不可視の障壁となり、二人の意思疎通を妨げているのだ。


 大気を裂いて光が奔ったのはそのときだった。

 するどい物体が投げつけられたのだと気づいたときには、アゼトはノスフェライドを地面すれすれまで急降下させている。

 ほとんど直角の回避運動は、重力Gを無効化できるブラッドローダーならではのものだ。

 加速しつつジグザグの軌道を取ったにもかかわらず、物体はなおも執拗にノスフェライドを追尾してくる。


 追いつかれるかという瞬間、アゼトはノスフェライドを急停止させた。

 大太刀の柄に指をかけ、物体めがけて抜き打ちの一閃を放つ。

 火花が散ったのと、金属同士がかち合う甲高い音が響きわたったのと同時だった。


 大太刀に弾き飛ばされ、回転しつつ砂上に突き刺さったのは、型に湾曲した奇妙な武器だ。

 人間の背丈ほどもあろうかという巨大なブーメランであった。

 見た目こそ原始的な狩猟道具と大差ないが、その実態は高度な自律誘導システムを内蔵した無人戦闘ドローンだ。

 大太刀の刃に触れても破壊されなかったところを見ると、どうやら全体がブラッドローダー用の刀剣とおなじ素材で作られているらしい。


「おみごとな太刀さばき――――わたくし、感服いたしましたわ」


 はるか頭上から弾むような女の声が響いた。

 砂に刺さったブーメランが動く気配を見せたのはその直後だ。

 ノスフェライドは大太刀と盾を構え、とっさに後方へ飛びずさる。

 だが、アゼトの懸念に反して、再度の攻撃が仕掛けられることはなかった。

  

 その代わりとでも言うように、空の高みから巨大な機影がふわりと舞い降りた。

 あざやかな赤紫色マゼンタの装甲をまとったブラッドローダーだ。

 手にしたブーメランを背中に収納しつつ、


「ルクヴァース侯爵家の聖戦十三騎ノスフェライドとお見受けしますわ」


 女はアゼトに問いかける。


「そうだ――と言ったらどうする?」

「ああ、よかった。うっかり先に攻撃を仕掛けてしまいましたけれど、人違いでしたらどうしようかと心配しておりましたの!」


 赤紫色のブラッドローダーは腰部装甲スカートアーマーを指でつまみ、ドレスでカーテシーをするように軽く会釈をする。


「お初にお目にかかります。わたくしは選帝侯がひとり、シュリアンゼ女侯爵エリザベート。そして、この機体はわがシュリアンゼ家に伝わる聖戦十三騎”イシュメルガル”……」

「あいさつはいい。俺が知りたいのはリーズマリアの敵かどうかだ」

「まあ、せっかちな御方ですこと」


 エリザはおよそ戦場には似つかわしくないおだやかな声色で告げる。


「わたくし、最高執政官さまのところにリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの首を持ち帰らないといけませんの。そうそう、リーズマリア一行は皆殺しにしてかまわないとおっしゃられて――――」


 エリザが言い終わらぬうちに、ノスフェライドは動いていた。

 装甲下に格納されていた推進器スラスターを全開し、一気にイシュメルガルとの間合いを詰める。

 大太刀を握った両手は、頭部とおなじ高さに固定されている。


 刺突の構え。

 するどい剣尖でイシュメルガルのコクピットを貫き、一撃で勝負を決しようというのだ。


 刹那、二機のあいだで烈しい火花が散った。

 ノスフェライドはイシュメルガルまであとわずかというところで動きを止めている。

 イシュメルガルが三叉槍トライデントを繰り出し、大太刀を絡め取ったのである。

 これほど迅速に迎撃できたのは、三叉槍がもともと前腕部の装甲と一体化していたからにほかならない。イシュメルガルが腕を動かすのに合わせて、槍もまた掌へと滑り出たのだ。


「お待ちになって。まだお話の途中ですわ」

「それだけ聞けば充分だ。リーズマリアを殺しにきた相手と話すことなどない」


 三叉槍が跳ね上がったのと、ノスフェライドが後方に飛んだのと同時だった。

 手首のスナップで大太刀を回転させ、刀身に絡んでいた三叉の穂先を外したのだ。


 イシュメルガルは槍の柄を折り畳み、ふたたび前腕部に収納する。

 それと入れ替わるように、左右のふくらはぎから掌に飛び出したものがある。

 両刃の双剣だ。全長こそ大太刀の半分ほどだが、幅広で分厚い刃は、いかにも実戦向きの武器らしい雰囲気を帯びている。


 ひりつくような緊張が一帯を支配するなか、エリザは例によって世間話でもするみたいな調子で問いかける。


「差し支えなければ、まだ生きているうちにお名前を伺っておきたいのですけれど」

「アゼトだ」

は? ルクヴァース侯爵家にお仕えになっているなら、もちろん官職にも就かれていらっしゃるのでしょう?」


 いぶかしげに問い返すエリザに、アゼトはあくまで冷静に応じる。


「俺は人間――――吸血猟兵カサドレスだ」


 しばしの沈黙のあと、エリザは「まあ……」とため息のような声を洩らした。


「ごめんなさい。わたくしったら驚いてしまって」

「人間がブラッドローダーに乗っているのは気に入らないか?」

「いいえ。戦いで重要なのは、出自ではなく強さですもの」


 イシュメルガルの掌のなかで双剣がくるりと回転した。

 逆手の構え。この態勢からであれば、斬撃も刺突も自由自在だ。

 お行儀の良い貴族の剣術とはかけ離れた、それは実戦慣れした使い手が好む構えでもあった。


「だから、どうかわたくしを失望させないでくださいましね。お強い人間の殿方――――」


 エリザが陶然とした声色で呟くが早いか、赤紫色マゼンタの暴風がノスフェライドを襲った。

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