第五部
邂逅・結晶砂海編
CHAPTER 01:クライング・イン・ウィルダネス
冷たい静寂があたりを充たしていた。
ゴシック様式の身廊とヴォールトをそなえた広壮な空間である。
壁面にもうけられたバラ窓には極彩色のステンドグラスがはめ込まれ、高い天井を支える列柱には複雑な幾何学模様が彫り込まれている。
一見すると聖堂のようにもみえるが、聖堂ならばあってしかるべきものはどこにも見当たらない。
一段高くなった突き当りには、祭壇の代わりに高い
急な階を登りきった先に、室内を睥睨するように置かれているのは、黄金づくりの玉座であった。
と――まったくの無人と見えた室内に、忽然と人の姿が現れた。
ひとりの女だ。
黒いドレスに顔をすっぽりと覆う黒いレースのヴェール。
長手袋もハイヒールの靴も、すべてが黒一色に統一されている。
それが喪服であることはあえて言うまでもない。
「皇帝陛下――――」
ヴェールの下から流れたのは、氷の鈴を鳴らしたような美声だ。
「まもなくリーズマリアがここに来ます。あの子は、ここまで自分たちの力で辿り着いたのです」
目の前の階――その頂上にある空白の玉座にむかって、黒衣の女はなおも語りかける。
「この生命尽きるまで陛下の
黒衣の女の声はかすかに震えている。
比類なき
たとえその肉体が消滅したとしても、この世界に刻み込まれた彼の存在はいささかも揺らいではいない。
皇帝の巨大な影は、その死から数十年を経たいまなお吸血鬼という種そのものを覆っていると言っても過言ではないのだ。
「ひととき、おそばを離れることになるかもしれません。すべてはあなたが遺した希望を守るため。そのためなら――――」
と、ふいに女の背後で極彩色の閃光がまたたいた。
バラ窓から差し込むかそけき月明かりに照らし出されたのは、世にも美しい巨人騎士だ。
吸血鬼がまとう”血の鎧”――ブラッドローダー。
あらゆる兵器体系の頂点にして、
そして、人のかたちを象った芸術品の、これ以上はけっして望みえないだろう至高の到達点……。
殺戮と破壊のためだけに産み落とされた忌まわしい存在でありながら――否、ひたすらにそれだけを追求した純粋さゆえに、ブラッドローダーは敵対者に恐怖と恍惚とを等しく与えるのだ。
その機体は、しかし、通常のブラッドローダーとはあきらかに一線を画していた。
しなやかな胴体と、均整の取れた四肢は、その末端まで無色透明の装甲に覆われているのである。
装甲を透かして輝く銀色は、ブラッドローダーの基礎フレームだ。人間でいえば骨格にあたるそれは、ほんらいならけっして外部から視認することはできない。
フレームだけではない。
動力伝達システムやセンサーといった内部メカニズムのことごとくを、透明な装甲ごしにはっきりと認めることができる。
およそ戦闘兵器とはおもえない繊細な外見。
騎士というよりは、ガラスの鎧をまとった妖精とでも形容すべきだろう。
指で軽く触れればたやすく壊れてしまいそうな、それは脆く儚い雰囲気をまとった機体であった。
黒衣の女は、首だけで透明なブラッドローダーを振り返ると、
「わが聖戦十三騎”セレネシス”とともに、ふたたび戦場に立つ覚悟はできております」
決然とそう呟いたのだった。
***
同じころ――――
それも無理からぬことだ。
選帝侯ハルシャ・サイフィス侯爵がリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースに臣従したという情報の事実確認も済まぬうちに、選帝侯マキシミリアン・フォルカロン侯爵の敗死という衝撃的な一報がもたらされたのである。
十三
リーズマリアへの寝返りも、ラルバック・イザール侯爵とセフィリア・ヴェイド女侯爵に次いで奇しくも三人目である。
当のリーズマリア自身を含めて、十三選帝侯の戦死・離反者はすでに七人にのぼっている。
事実上の隠居状態にある皇后アルテミシアを除けば、現役の選帝侯は五名。
すなわち、最高執政官ディートリヒ・フェクダル、最高審問官ヴィンデミア、エリザ・シュリアンゼ女侯爵、レイエス・カリーナ侯爵、アイゼナハ・ザウラク侯爵である。
十三人の選帝侯による合議制は崩壊したが、それは同時に、ディートリヒの独裁体制が完成したことを意味している。
独立不羈の志を持つ者、聖戦を生き延びた古強者は円卓を去り、もはやディートリヒに真っ向から反対意見を表明する者もいない。
風雲急を告げる情勢下、ディートリヒとリーズマリアのどちらにつくか旗幟を鮮明にしなければ生き残れない時代が到来しつつある。
選帝侯の相次ぐ離反と戦死は、かえってディートリヒ派の結束と統率を堅固なものにしたのだった。
「大したものじゃないか、君の
前触れもなく最高執政官の執務室を
応接テーブルとソファに向かい合うように置かれたデスクでは、ディートリヒが空中に投影された無数の電子ファイルを手繰っている。
「ハルシャ・サイフィスはともかく、マキシミリアン・フォルカロンは聖戦以来の古参というだけで選帝侯の地位に居座り、なんらの益をもたらさなかった老害。いずれ機をみて誅殺するつもりだったが、その手間が省けただけのこと」
「あいかわらず手厳しいねえ、ディートリヒくん」
ヴィンデミアはテーブルに置かれた白いティーソーサーを手に取る。
本物の白磁の茶器も、自然の茶も、いまやごく少数が現存しているにすぎない。
持ち上げたカップの縁がヴィンデミアの唇につくかというタイミングで、ディートリヒは感情のこもらぬ声で告げた。
「私が多忙の身であることを知らんわけではあるまい。ここは貴様の喫茶室ではない。用がないなら去れ」
「そう邪険にしないでおくれよ。今日は君に手土産を持ってきてあげたんだからさ」
「手土産だと?」
「フォルカロン侯爵領に入ったあとのリーズマリアの足取り、まだつかめていないらしいじゃないか」
ディートリヒは黙したまま、ヴィンデミアに射るような視線をむける。
ヴィンデミアが指摘したとおり、フォルカロン侯爵領に入ってからのリーズマリア一行の消息は途絶えている。
偵察ドローンを現地に飛ばそうにも、ノスフェライドとゼルカーミラの広範囲かつ強力なジャミング網に触れたが最期、電子機器はたちまち機能不全に陥ってしまう。
ブラッドローダーの電子戦能力をもってすれば、メモリー上に虚偽の映像を上書きする程度は造作もない。
対抗手段はこちらもブラッドローダー、それも聖戦十三騎クラスの高性能機を二機投入するほかないのである。
ヴィンデミアはディートリヒのするどい視線にたじろぐことなく、悠揚迫らぬ挙措でティーカップを口に運ぶ。
ようやく口を開いたのは、優雅に茶をひとすすりしたあとだ。
「僕の部下からの信頼できる報告だ。三日前、リーズマリアの一行は生存不能領域に入った。あそこになにがあるかは、わざわざ言うまでもないだろう?」
「まさか――――」
「そのまさかさ。このまま進めば、君の
皇后アルテミシア。
その言葉を耳にしたとたん、ディートリヒの整った
「ヴィンデミア、すぐに出撃の準備をしろ」
「剣の一振りさえ持ち込めない聖域にブラッドローダーで踏み込むつもりかい? 友人としてはともかく、至尊種の法の番人としては頷けないね――――」
「貴様を友人だと思ったことは一度もない。その気がないなら
ディートリヒはすげなく言い放つと、手元の通信パネルを叩いた。
自分よりもよほど温かみのある態度で用件を訪ねた人工知能にむかって、他人に対するのと等しく冷たい声で告げる。
「シュリアンゼ女侯爵を呼べ。――縁談の件でちょうど帝都に逗留しているはずだ」
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