LAST CHAPTER:オーバー・アンド・オーバー
「ここがフォルカロン侯爵領の終端だ。このさきは――――」
闇色の荒野を指さしたクロヴィスは、そこでいったん言葉を切った。
緑の山々に覆われていたフォルカロン侯爵領は、西に向かうにつれて荒涼たる赤土の大地へと姿を変えた。
一帯には樹木や雑草はむろん、極限環境にも耐える頑健な地衣類すら見当たらない。土を掘ってみたところで結果はおなじだろう。
時刻は夜半を過ぎたころ。
天も地も静まりかえった世界に蕭々と響くのは、夜風が吹き過ぎる悲しげな音色だけであった。
停泊中の
クロヴィスからすこし離れた場所に立ったアゼトは、答えるでもなく呟く。
「
「そのとおりだ。この先は動植物の棲めない死の世界が広がっている。もちろん
言って、クロヴィスは背後を振り返る。
その視線の先には、リーズマリアとレーカ、セフィリアの姿がある。
周囲に蠢く複数の気配は、生き残った
「すまないが、僕たちが同行できるのはここまでだ」
「案内役を務めてくれただけで充分です。ありがとう、クロヴィス」
「感謝するのは僕のほうだ。あなたたちの力添えがなければフォルカロン侯爵を倒すことはできなかった。この程度の礼しかできないことを申し訳なく思う――――」
すまなげに言ったクロヴィスに、リーズマリアはそれとなく問いかける。
「クロヴィス、これからどうするのですか」
「生き残った仲間たちと旅に出るつもりだ。フォルカロン侯爵の死が帝都に伝われば、すぐにでも次の代官が派遣されてくるだろうからね。侯爵の血を引く僕たちはまちがいなく抹殺対象になる。それに……」
「それに?」
「ほかの土地に住んでいるダンピールを訪ねようと思っている。うまく行くかどうかはわからないが、ひとりでも多くの同胞と会って話をしてみたくなった」
吸血鬼と人間とのあいだに生まれたダンピールは、生まれながらにして二つの種族から忌み嫌われる存在だ。
ひとたび素性が知れれば、人間から苛烈な迫害を受けるばかりか、混血児の存在を好ましくおもわない純血の吸血鬼に生命を狙われることさえある。
そうした事情もあって、各地のダンピールたちはひっそりと息を潜めて生きることを強いられている。
クロヴィスは、そんなダンピールたちに接触し、けっして孤独ではないこと――そして、自分たちの未来にはひとすじの光明が差していることを伝える旅に出ようというのだ。
「リーズマリア姫。僕にはあなたのように世界を変える力はない。それでも、この地獄をすこしはマシな場所にする手伝いくらいはできるはずだ。望まれない生命だとしても、僕はその
もとより安住の地などないダンピールたちの、あてどない放浪の旅……。
行く手には数多くの試練が横たわっているだろうことは、むろんクロヴィスも承知している。
それでもあえて苦難の道を選ぶのは、フォルカロン侯爵を倒すという大義のためとはいえ、仲間を死に追いやった罪を
みずからの生命を断つという選択肢はもはやない。
いつ終わるともしれない贖罪の道は、ただ未来にのみ続いている。
「
そう言ったときには、クロヴィスの姿は消えていた。
甲板から地面に飛び降りたのだ。
人間であれば墜落死はまぬがれない高さでも、ダンピールにとってはちょっとした段差を飛ぶのと変わらない。
「生きていれば、また、どこかで――――」
その声は、吹きすさぶ風のなかに溶けていった。
陸運艇の周囲にいたダンピールたちの気配もすっかり消え失せている。
今生の別れを惜しむでもなく、再会の約束を交わすでもなく。
二つの種族の血を引く一団は、はるかな巡礼の旅へと一歩を踏み出したのだった。
***
数時間後――――
夜明け前の最も暗い夜闇のなかを、陸運艇は西へとひた走っていた。
地図上ではすでにフォルカロン侯爵領を抜け、
かつていくつもの大国が栄えたこの土地は、その戦略的重要性ゆえに最終戦争における最激戦地のひとつとなった。
吸血鬼軍の攻勢によって敗北の瀬戸際に追い詰められた人類軍は、史上最大の焦土作戦――すなわち、通常の核兵器をはるかに凌駕する威力をもつ核融合兵器の乱発という愚挙におよんだ。
深刻な放射能汚染こそ免れたものの、土壌は数十メートルにわたって引き剥がされ、あらゆる水源は永久に枯れ果てた。
凄絶な戦いのあとに残されたのは、超高温の爆風によって溶解したあらゆる物質がガラス質へと相転移し、もはや一滴の水も保てなくなった不毛の大地だけだ。
利用価値を失った土地は、勝利者となった吸血鬼からも見捨てられ、戦後も手つかずのまま放置された。
この地が”
日ごろは猫の額ほどの土地を巡って対立し、しばしば戦争すら辞さない貪欲な貴族たちも、一文の値打ちもない荒野にはまるで興味を示さなかったのである。
そうした事情もあって、広大な領域内には、いまなお軍事施設はおろか無人観測所さえ置かれていない。
生存にはおよそ適さない過酷な環境も、リーズマリア一行にとってはこのうえなく好都合にはたらく。
果てしなくつづく荒野を進むかぎり、在地領主との摩擦を引き起こす懸念はなく、また最高執政官ディートリヒの監視の目も及ばないのである。
アゼトとリーズマリアは、後部甲板の片隅に並んで座っていた。
空はすこしずつ白みはじめているが、日の出まではまだ時間がある。
白昼の太陽のもとでは生きられない吸血鬼にとっては、安全に外に出られる最後のひとときだ。
「俺のせいで迷惑をかけてすまなかった」
リーズマリアをちらと横目で見やったあと、アゼトはすまなげに呟く。
「アゼトさんが謝ることなどありません」
「だが、結果的にリーズマリアを危険な目に遭わせてしまった。俺がもっとしっかりしていれば……」
「私がノスフェライドに乗るのはやはり不安ですか?」
リーズマリアはアゼトの瞳をまっすぐに見つめる。
美しく透きとおった真紅の瞳は、水面のように揺らめいている。
「私はアゼトさんのお役に立ててうれしく思っています。いままでずっと護られてばかりで、ほんとうは心苦しかったのです……」
「リーズマリア……」
「だから、これからも困ったときは私を頼ってください。私だけでは心配だというなら、レーカやセフィリアもいます。これまでアゼトさんひとりに背負わせていたものを、私たちにもすこしだけ分けてほしいのです」
アゼトは何も言わず、リーズマリアの肩を抱き寄せる。
どちらともなく指と指を絡めあうと、それきり沈黙が降りた。
千万の言葉にもまさる、それがふたりの答えだった。
アゼトの胸に頬を寄せていたリーズマリアは、ふと薄目を開いた。
「ところで、セフィリアに血を吸わせましたね?」
「あ、あれは仕方なく――――」
「べつにかまいません。私たちにとって吸血行為は生死にかかわる問題ですから。ただ……」
リーズマリアはアゼトの首筋にそっと唇を当てる。
本気の吸血ではない。牙のさきが軽く触れるだけの、ほんの甘咬みだ。
くすぐるように、いたずらっぽく唇と牙を当てながら、リーズマリアは上目遣いにアゼトを見る。
「ここは、私だけにしか許さないでくださいね――――」
アゼトは頬を紅潮させながら、ちいさく首肯するのがせいいっぱいだった。
予想どおりの反応を示した少年に、吸血鬼の姫はくすと笑い声を洩らす。
熾烈な戦いのあいまに訪れたつかのまの安息。
白みゆく空の下で、ふたりの時間はおだやかに流れていった。
【終】
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