CHAPTER 19:アージェント・アエギス

 ゼルカーミラとヘスペリディスの攻防はなおも続いていた。


 遠目には、どちらも一歩も譲らない死闘を繰り広げているようにみえる。

 事実、両者の実力は甲乙つけがたく、また機体の性能においても勝敗を左右するほどの顕著な差はない。

 それでも、ゼルカーミラがじわじわと追い込まれているのはあきらかだった。


 フォルカロン侯爵は、あえて真正面からの衝突を避けている。

 ゼルカーミラが突撃をかけても軽くいなし、まともに打ち合おうとさえしないのだ。

 メッサーブラットの奇襲によって微小なダメージを蓄積させ、すこしずつ戦闘能力を奪っていく……。

 これこそがフォルカロン侯爵の老獪な戦術であり、若いセフィリアはまんまとその術中に嵌ったかたちだ。


(く、く、戦のいろはも知らぬ小娘が。がむしゃらな力押しでこのマキシミリアン・フォルカロンに勝とうなどとは、百年早いわ――――)


 フォルカロン侯爵は心中でほくそ笑む。


 ゼルカーミラは依然として積極果敢な攻撃を仕掛けてきているが、それもいまのうちだけだ。

 機体の各部に蓄積したダメージは、ある一線を超えたとたん、はっきりと性能に悪影響を及ぼしはじめる。

 致命的なその瞬間が訪れるまで、セフィリアは自分が追い詰められていることにさえ気づかないのだ。

 そして、それこそがフォルカロン侯爵の真の狙いにほかならなかった。


 正々堂々の勝負にこだわることなく、どんな卑劣な手を使ってでもかならず勝利する――――。

 聖戦を生き抜いた吸血鬼と、戦後生まれの吸血鬼との最大の違いは、まさにこの一点に尽きると言ってよい。

 種族の存亡をかけて絶滅戦争を戦った古き吸血鬼にとって、戦いにおいて重要なのはなにを措いても勝つことなのだ。彼らは誇り高い貴族であるまえに、幾多の戦場を駆け抜けてきた吸血鬼の戦士なのである。

 プライドや名誉をかなぐり捨て、必要とあれば噛みついてでも敵を倒すというは、亡きアルギエバ大公やフォルカロン侯爵をして古強者たらしめていた所以でもある。


 そして――――その瞬間が、ついに訪れた。

 四方八方から襲いかかったメッサーブラットのうち、迎撃を免れたいくつかが、ゼルカーミラの動力伝達システムに深々と食い込んだのだ。

 セフィリアにとっては、それまで問題なく稼働していた愛機が突如パワーダウンしたように感じられただろう。

 ここまでフォルカロン侯爵がひそかに打ってきた布石が結実したなどとは、夢にも思っていない。

 

「しまった――――!?」


 セフィリアはとっさにゼルカーミラの姿勢を立て直そうとするが、ひとたび崩れたバランスを回復させるのは容易ではない。

 重力制御装置グラヴィティ・コントローラーが働いているかぎり墜落のおそれはないが、攻撃も防御もままならないのである。

 敵にとってはまさしく恰好の餌食だ。


「ヴェイドの小娘よ。なかなか手こずらせてくれおったが、それもこれまで。この儂がじきじきに引導を渡してくれる」

「リーズマリア様のためにも、こんなところで死ぬわけには……!!」

「心配するな。リーズマリアもすぐにあの世に送ってやるわ――――」


 ヘスペリディスの両腕が高々と上がった。

 と見るや、周辺に浮遊していたメッサーブラットが集合・合体し、またたくまに両刃の大剣を形作っていく。

 無数の装甲片が分子レベルで融合した巨大な刃には、継ぎ目ひとつ見当たらない。


「この儂の城を荒らした罪、その生命で償うがよい!! 死ね、ヴェイド女侯爵ッ!!」


 ヘスペリディスが大剣を構え、ゼルカーミラめがけて一気に振り下ろそうとしたその瞬間だった。


「ぬうっ!?」


 いずこかで銀色の閃光が瞬いたかとおもうと、一条のレーザー・ビームがヘスペリディスとゼルカーミラのあいだに奔ったのである。


「私を助けてくれたのか……!?」


 セフィリアはとっさにセンサーを全周囲索敵モードに切り替える。

 ビームの発射地点はすぐに判明した。

 地上五十キロ――成層圏からほとんど垂直に撃ち込まれたのだ。


「あれは――――」


 セフィリアがそれきり言葉を失ったのも無理はない。


 はるか上空に佇むのは、清らな白銀しろがね色をまとった一体の巨人騎士だ。

 いにしえの聖母像を彷彿させる神々しさと優美さ、そして死神の禍々しさとを等しく兼ね備えた外観。

 ただそこに存在しているだけで見る者を畏怖させずにおかない存在感は、聖戦十三騎のなかでも唯一無二のものだ。

 機体がまとう色彩はまるで異なっていたとしても、見紛うはずもない。


「銀色のノスフェライド……!?」


 まばゆい光の粒子を振りまきながら、白銀しろがねのノスフェライドは雲の切れ間をゆったりと降下してくる。


「セフィリア、間に合ってなによりです。あなたが時間を稼いでくれたおかげで、アゼトさんも回復に向かっています」


 白銀のノスフェライドから流れたのは、まぎれもなくリーズマリアの声だ。


「リーズマリア様!? なぜノスフェライドに……!?」

「ノスフェライドはもともとルクヴァース侯爵家に伝わるブラッドローダー。現在の当主である私が乗り込んだとして、なんの問題がありましょう」

「たしかにそのとおりですが……!!」


 なおも戸惑いを隠せないセフィリアに、リーズマリアは「敵が来ます」とだけ短く言った。

 はたして、いったん距離を取ったヘスペリディスは、ふたたび両手の大剣を構えている。


「くっく――ようやくのお出ましか、ノスフェライド。それもリーズマリア・ルクヴァースが操っておるとは、殺しにいく手間が省けたわ」

「おだまりなさい」


 白銀のノスフェライドは、ヘスペリディスの前に立ちふさがる。

 その手には盾のほかにはなんの武器も携えていない。正真正銘の徒手空拳であった。


「私はリーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。フォルカロン侯爵マキシミリアン、ただちに剣を収めなさい。これは至尊種ハイ・リネージュの次期皇帝としての命令です」

「そんな脅しがこの儂に通用するとでも思ったか? 貴様が反逆者として追われておることはとうに承知よ」

「こちらの言葉に耳を傾けるつもりはない――ということですね」

「くどいぞ。わが主君は亡き先帝陛下のみ。あの御方の遺伝情報を与えられただけの小娘が、この儂に命令しようなどとは千年早い!!」


 ヘスペリディスの両腕がふっと霞んだ。

 二本しかないはずの腕が無数に分裂したのは次の瞬間だ。

 残像だ。あまりにも早すぎる挙動と、センサー撹乱素子の散布の合せ技であった。

 これを変幻自在のメッサーブラットと組み合わせることで、ブラッドローダーの超高速電子頭脳ハイパーブレイン・プロセッサでも予測できないトリッキーな攻撃を仕掛けることができるのだ。


「リーズマリア様っ!!」


 セフィリアはとっさにゼルカーミラを前進させ、ノスフェライドの盾になろうとする。


「セフィリア、心配は無用です。いまのうちに損傷した機体を回復させなさい」

「しかし!!」

「大丈夫。私はのですから」


 リーズマリアの言葉に呼応するように、ノスフェライドの盾が形を変えはじめた。

 アゼトが用いていたときよりも、さらに大きく、さらに広く、巨大な銀の防盾へと。

 リーズマリアの操るノスフェライドは、盾の内部から突出した長い柄を掴む。


「そんなもので儂の攻撃を防げると思うたか!! 死ね、小娘ども!!」


 ヘスペリディスの両腕が閃いた。

 分身した腕をおおきくしならせ、衝撃波の刃を無数に飛ばしたのである。

 さらに使用可能なすべてのメッサーブラットを繰り出し、退路を断つことも忘れてはいない。

 駄目押しとばかりに重水素レーザーとミサイルも織り交ぜた殲滅攻撃だ。


 いかに堅牢無比なブラッドローダーといえども、まともに喰らえば致命傷はまぬがれないはずであった。


「セフィリア!! 私の後ろに!!」


 言われるがまま、ゼルカーミラはノスフェライドの背中にぴったりと密着する格好になった。

 

 転瞬、一帯をすさまじい爆轟と衝撃が領した。

 ごく狭い範囲とはいえ、破壊エネルギーの総和は数十メガトン級の核兵器に匹敵する。

 およそ形あるものならば痕跡すら残らない――――そのはずであった。


「バカな……!! ありえぬ……」


 フォルカロン侯爵は我知らず驚愕の声を洩らしていた。


 白銀のノスフェライドとゼルカーミラは、爆発前と変わらぬ姿でそこにいた。

 どちらの機体にも損傷は見られない。ヘスペリディスの攻撃はすべて無力化されたということだ。

 よくよく目を凝らせば、ノスフェライドを中心に銀色のエネルギー力場フィールドが形成されていることに気づく。

 命中の瞬間、リーズマリアはノスフェライドの全パワーを放出し、自機とゼルカーミラを包み込むように防壁を展開したのである。


 聖盾アエギス――――。

 白銀のノスフェライドに搭載された防御システムである。

 内蔵式アーマメント・ドレスのエネルギーをしたものだ。

 ノスフェライド本来の機動性と攻撃力は失われるが、本体のエネルギーが続くかぎり鉄壁のバリア・フィールドを展開することができる。


「フォルカロン侯爵、これで理解できたでしょう。あなたの攻撃は私には通用しません」


 あくまで静かな声で告げたリーズマリアに、フォルカロン侯爵は怒号を張り上げる。


「なぜ儂の邪魔をする!! 長年かけて築き上げてきた儂の夢を、なぜ壊そうとするのだ!!」

「あなたは半吸血鬼ダンピールたちの生命をもてあそび、不老不死を追求するために領民さえ騙し利用した。そんな薄汚いエゴを夢とは呼びません」

「だまれ!! ダンピールなどしょせん儂の生殖細胞から生まれた実験動物にすぎん。この儂がいなければ奴らはこの世に生まれてくることさえなかったのじゃ。もとより生きる価値のないモルモットどもを有効利用してやっているだけのこと」


 怒りに声を震わせながら、フォルカロン侯爵はなおも吠える。


「そうよ――――この儂こそが奴らにとっての神、絶対の造物主なのじゃ!! 被造物どもをどう扱おうと、誰にも文句を言われる筋合いなどないわッ!!」


 フォルカロン侯爵の底しれぬ邪悪さに、リーズマリアは怒りに唇を噛む。

 と、ふいにゼルカーミラがノスフェライドのまえに進み出た。


「リーズマリア様、ここはこの私にお任せください」

「セフィリア?」

「身勝手な行動であることは承知しています。……それでも、この男だけは私の手で葬らなければならないのです」


 ゼルカーミラはヘスペリディスと真っ向から向き合うと、細剣を右八相に構える。

 

「威勢のいいことじゃ。きれいごとに染まった戦後生まれの若造が、この儂を断罪するつもりか?」

「貴様は十三選帝侯の名を汚した外道。だから斬る。それだけだ」

「おもしろい――――」


 ヘスペリディスの周囲を飛び交っていたメッサーブラットが集合していく。

 やがて無数のメッサーブラットが形作ったのは、するどい穂先をもつ馬上槍ランスだ。

 全長はヘスペリディスの身の丈ほどもあろう。末広がりの後端部は前腕部を包み込み、おそらくは内部で完全に融合しているにちがいなかった。


「いざッ!!」

 

 裂帛の気合とともにゼルカーミラが飛んだ。

 

 一騎打ちに全身全霊を傾けるセフィリアも、それを見守るリーズマリアも、まだ気づいてはいない。

 いまこの瞬間、フォルカロン侯爵から要塞へとひそかに暗号通信が送られていることに。

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