CHAPTER 14:ハートレス・ソルジャー
長い下り坂は、はるか地の底へと吸い込まれていった。
闇のなかでぎらりと輝くのは、斜面に敷かれた金属製の
地下区画へとつながる物資搬送用エレベーター・シャフトであった。
いま、軌条の上を音もなく滑っていく影はふたつ。
先頭を行く小柄な影はセフィリア。
それに続く大柄な影は、
ここまでの道中、二人は自動砲座や対人ドローン兵器による攻撃を受けた。
むろん、そんなものがいくら束になったところで、真の吸血鬼であるセフィリアの敵ではない。
はたして、セフィリアとニコライは驚異的なスピードで防御網を突破し、突入から一◯分と経たぬうちにエレベーターまで到達したのだった。
「この道で間違いないんだろうな?」
走りつつ、セフィリアはニコライに問いかける。
「ああ。このシャフトを下りきったところが薬品保管庫だ」
「だが、もし違っていたら……」
「保管庫のまわりは耐爆隔壁に囲まれてる。あそこにゃフォルカロン侯爵の血液もストックされてるからな。そう簡単に場所を移すことは出来ねえはずだ」
そうするうちに、前方に灰色の壁が見えはじめた。
軌条は壁の手前でふっつりと途切れている。エレベーター・シャフトの終点に辿り着いたのだ。
セフィリアはニコライを制止しつつ、剣の柄に指をかける。
「私が先に行く。どんな罠が仕掛けられているかしれないからな」
吸血鬼の感覚器はダンピールのそれとは比較にならないほどするどい。
危機察知能力にすぐれることは、戦場においてはとりもなおさず生存率の高さに直結するのである。
セフィリアがつねに先頭に立っているのは、率先垂範を旨とする貴族としての美意識だけでなく、それが作戦の成功に寄与すると理解しているからだ。
セフィリアはエレベーター・シャフトの終点に設けられた搬入口に近づくと、指先で軽く扉を叩く。
そうして発生したかすかな反響音を感じ取り、壁を隔てた敵の位置と数を割り出そうというのだ。
人間には不可能な広範囲の
吸血鬼はそれを機械よりも早く、そして精確にやってのけるのである。
「妙だな……」
扉に掌をぴったりと密着させ、反響音を拾うことに専念していたセフィリアは、訝しげに呟いた。
ニコライは大口径ショットガンに弾丸を装填しつつ、セフィリアに問う。
「どうしたってんだ?」
「敵の気配がない。それに、迎撃ドローンや自動砲座の駆動音も聞こえない」
「つまり、この先はもぬけの殻……ってことか?」
「わからない。だが、待ち伏せを仕掛けているにしても、ここまで静まり返っているのは不自然だ」
わずかな逡巡のあと、セフィリアは意を決したように言った。
「ここでじっとしていても埒があかない。私が先に行って様子を確かめてくる」
ニコライがなにかを言うまえに、セフィリアは扉をぶち破っていた。
人間の力ではびくともしない重い扉も、吸血鬼の膂力のまえでは紙細工に等しい。
剣に手をかけたまま飛び出したセフィリアは、すばやく周囲に視線を巡らせる。
そこは耐爆コンクリートに囲まれた殺風景な空間だった。
ワクチンを保存する冷蔵設備はおろか、机や椅子さえ見当たらない。
部屋というよりは、巨大な牢獄といった風情であった。
「どうした? 大丈夫なのか!?」
背後からセフィリアに声をかけたのは、ショットガンを抱えたニコライだ。
「待て!! 様子がおかしい――――」
セフィリアの言葉を爆発音がかき消した。
どうやら扉のあたりに爆薬が仕掛けられていたらしい。
(……罠か!?)
セフィリアの背筋を冷たいものが走り抜けていく。
敵は、最初から自分たちがこの部屋に入ったのを見計らって爆破するつもりだったのだ。
目的はあえて言うまでもない。この部屋に侵入者を閉じ込めようというのだ。
「ニコライ、無事か!?」
「ああ、どうにか……な」
言って、ニコライは血まみれの顔を手の甲で乱暴にこする。
爆風を至近距離でまともに浴びたのだ。人間なら脳出血と全身打撲で瀕死の重体に陥っても不思議ではない。
だが、吸血鬼の血を引くダンピールにとって、この程度の怪我は怪我のうちにも入らない。
部屋の片隅にふいに気配が生じたのは次の瞬間だった。
そいつはもともとそこにいたのか、それとも先ほどの爆発に紛れて入り込んだのかは判然としない。
分かっているのは、全身からすさまじい殺気を放っているということだけだ。
ごとり――と、およそ人間らしからぬ足音を立てて、そいつはゆっくりと前進を開始した。
やがてセフィリアとニコライのまえに姿を現したのは、頭の先から爪先まで
全身あらゆる部位に人工強化筋肉を移植してあるのだろう。四肢はアンバランスなほどに肥大し、短い猪首は盛り上がった両肩の筋肉のあいだに埋まっている。
奇怪な体型にもまして目を引くのは、両腕で抱きかかえるように構えた巨大な銃器だ。
ウォーローダー用の武装としては小口径の部類に入るが、その重量はゆうに百キロを超える。
二連ドラム式の
生身の人間はむろん、
それを平然と持ち運ぶとは、まさしく常識はずれの膂力というほかない。
装甲兵の手元で冷たい金属音が鳴った。
弾丸が薬室に送り込まれる音だ。
転瞬、
セフィリアはとっさに真横に飛ぶが、火線はなおも追いかけてくる。
いかに吸血鬼といえども、重機関銃の猛射に晒されては無事では済まない。
「く、うっ!!」
セフィリアは床から壁、さらには天井へと、重力の軛を振りきるように駆ける。
いつまでも逃げつづけているわけにはいかない。
どこかで反撃の糸口を掴まなければ、一方的に銃火を浴びることになる。
問題は、どうやってそのタイミングを掴むかだ。
吸血鬼の身体能力と反射神経をもってしても、濃密な弾幕のなかに飛び込んでいくのは相当な覚悟を必要とするのである。
一瞬の判断ミスが取り返しのつかない結果を招く……。
その重圧に押しつぶされそうになりながら、セフィリアは
銃声が響きわたったのはそのときだった。
重機関砲のそれとはあきらかに異なる独特の発射音。
それまで地面に伏せていたニコライがショットガンを手に飛び出し、装甲兵にむかって撃ちまくっているのだ。
「こっちだ、着ぐるみ野郎!! 俺が相手になってやる――――」
人間や動物には絶大な威力をほこるスラッグ弾も、装甲兵には無力だ。
弾丸は黒鉄色のアーマーに当たった瞬間に砕け散り、強靭な四肢は小揺るぎもしていない。
ふたたび火線が空を裂き、ぼっと血の霧が舞った。
右肩を撃ち抜かれたニコライは、その場に仰向けに倒れ込む。
ダンピールでなければ肉体は粉々に打ち砕かれていただろう。
装甲兵がふいに動きを止めた。
機関砲の
連続発射によって銃身が過熱し、射撃の中断を余儀なくされたのだ。
「もらった――――」
叫びとともに、セフィリアは高々と飛び上がる。
空中で身体を反転させたセフィリアは、力強く天井を蹴ると、装甲兵めがけて飛びかかる。
耐弾スーツのわずかな間隙に剣先をねじ込もうというのだ。
セフィリアの真紅の瞳が血色の光を帯びた。
全神経の集中にともなって、血流量が一時的に増大しているのだ。
吸血鬼の超視力は、首を覆うプレート同士の接合部に生じたほんのわずかな――実寸にして◯・一ミリにも満たない切れ目を見逃さなかった。
セフィリアが渾身の力をこめて細剣を押し込んだのと、天井までとどく血柱が噴き上がったのと同時だった。
プレートの隙間に潜り込んだ剣先は、装甲兵の頚椎を断ち、心臓までも貫いた。
中枢神経系と心臓の両方を破壊されて生きていられる生物は存在しない。
たとえそれが吸血鬼であったとしても、である。
筋肉の収縮のためか、細剣は突き刺さったままぴくりとも動かなくなった。
セフィリアは剣を手放し、すばやく装甲兵の背中から飛びずさる。
おびただしい血の雨を降らせながら、装甲兵はなおも前に進もうとうする。
それもつかのま、バランスを失った黒鉄色の巨体は、どうともんどりを打って倒れ込む。
まるで陸に打ち上げられた魚みたいに激しい痙攣を繰り返したあと、装甲兵はようやく一切の動きを止めたのだった。
「倒した……のか?」
セフィリアは注意深く装甲兵に近づくと、無骨なフェイス・ヘルメットに手をかける。
どうやら剣を差し込んださいにロックが破損したらしい。
あっけなく胴体から外れたそれを、セフィリアはおそるおそる剥ぎ取っていく。
「――――!!」
装甲兵の素顔を目の当たりにして、セフィリアはおもわず後じさっていた。
死蝋のように白い肌の男だった。
顔つきこそ若々しいが、頭髪も眉毛もないのっぺりとした顔貌は、一見すると老人のようにもみえる。
額から頭頂部にかけてケロイド状の縫合痕が走り、周辺の皮膚には埋め込まれたチューブがくっきりと浮き上がっている。
耳の上にレーザー刻印された文字列は、
だが、それ以上にセフィリアを戦慄させたのは、急速に光を失いつつある濁った紅い瞳だった。
言うまでもなく、それはダンピールの証だ。
男は肉体のみならず脳までも改造され、自我のない戦闘兵器に仕立て上げられたのだろう。
そんな真似ができるのは、フォルカロン侯爵をおいてほかにいない。
セフィリアは吐き気をこらえつつ、装甲兵に刺さった剣を引き抜く。
自分自身の遺伝子から生み出された存在――いわば血を分けた我が子に、どうしてここまで冷酷な仕打ちが出来るのか。
フォルカロン侯爵の底しれぬ邪悪さに、セフィリアは血がにじむほど強く拳を握りしめる。
「終わったか?」
ニコライは血に染まった右肩を抑えつつ、セフィリアに歩み寄る。
右手は使いものにならないだろうが、かろうじて致命傷は免れたらしい。
「もう大丈夫だ。……敵が
「いいや。だが、なにが出てきても驚かんさ。フォルカロン侯爵にとって、俺たちはしょせん
自嘲するみたいに言って、ニコライは顎で前方を指し示す。
「もたもたしてる時間はねえ。薬品保管庫まであとすこしだ」
セフィリアは無言で肯んずると、闇のなかへと駆け出していった。
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