CHAPTER 15:ダブル・クロス

 装甲兵を倒してから数分後――。

 セフィリアとニコライは、分厚い耐爆扉の前で足を止めた。

 扉には生体認証バイオメトリクス式のロックがかかっている。フォルカロン侯爵と同じ遺伝子型をもつ者でなければ反応しないのだ。


 全身から血を滴らせながら解錠を試みるニコライに、セフィリアは不安げに声をかける。


「その身体でほんとうに大丈夫か?」

「俺のことなら気にするな。あいにく吸血鬼あんたらほど頑丈に出来ちゃいないが、この程度で死にゃしねえ。それに、


 こともなげに言って、ニコライは識別センサーに血まみれの手を押し付ける。

 センサーは血液にふくまれる遺伝情報を読み取り、合致率が一定レベル以上の場合にのみロックが解除されるのである。


「こう見えて俺の遺伝子はクロヴィスの次に侯爵に近いらしくてな――――」


 はたして、それから数秒と経たないうちに耐爆扉は重々しい音を立てて開きはじめた。

 薬品保管庫というだけあって、内部は極低温に保たれているらしい。扉の隙間からたちまち乳白色の冷気があふれだし、床を充たしていく。


 セフィリアはいつでも剣を抜けるよう身構える。

 扉のむこうで敵が待ち伏せをしていないとも限らない。

 最悪のパターンは、あの装甲兵が複数体配置されていた場合だ。

 ただでさえ手強かった敵がさらに増えたとなれば苦戦は避けられない。

 ゼルカーミラを召喚しようにも、ワクチンを見つけ出すまえに薬品保管庫が破壊されてしまっては元も子もないのである。


 扉が完全に開ききるまでは十秒とかからなかった。

 案に相違して、室内に敵の気配はない。

 一辺百メートルはある正方形の部屋には、さまざまな薬品類を収めた縦長のケースが整然と並んでいる。

 およそ吸血貴族の居城とは思えない、ひどく無機質で味気ない空間であった。


 壁面にかかった温度計はマイナス六◯度を指している。

 吸血鬼は多少肌寒さを感じる程度だが、常人ならものの数分で凍死しかねない過酷な環境だ。

 セフィリアは白い息を吐きながら、墓石のごとく堵列した薬品ケースを瞥見する。


「このなかからワクチンを見つけ出すのは骨が折れるな……」

「デイビッドから薬の見分け方のメモを預かってきた。まるで手がかりがないよりはマシだろうぜ」


 さっそく探索に取り掛かろうとしたとき、ふいに背後で気配が生じた。

 反射的に細剣を抜こうとしたセフィリアは、おもわず目を見開いていた。


「……クロヴィス!?」


 ダンピールの少年は無言のまま、ゆっくりと二人に近づいていく。


「おまえ、どうしてここに……?」

「フォルカロン侯爵の”工場”に爆弾を仕掛けてきた。これで奴の狂った研究も終わりだ」

「シャウラはどうした!? 一緒じゃねえのか!?」

「彼女は死んだよ――――」


 ニコライに問い詰められ、クロヴィスは血を吐くように呟いた。

 

 重い沈黙が三人のあいだを埋めた。

 もとよりひとりの犠牲者も出さずに作戦を遂行できるとは思っていない。

 突入部隊も陽動部隊も、全員が決死の覚悟で戦場に赴いているのだ。

 それでも、すこしまえまで行動を共にしていた者がもうこの世にいないという事実は、セフィリアとニコライを打ちのめすのに充分だった。


「シャウラは残念だったが、いまはアゼトくんのワクチンを探すのが先決だ。侯爵が動き出す前にここから脱出しよう――――」


 クロヴィスの言葉に背中を押されたように、セフィリアとニコライはそれぞれ動き出していた。

 薬品ケースの数こそ多いが、吸血鬼の動体視力ならば一ケースあたり一秒とかからずに調べ上げることができる。

 ダンピールはそれに較べればいくらか劣るとはいえ、三人がかりで探せばそう時間はかからずに見つけることができるはずだった。


「あったぞ!!」


 探索を始めてまもなく、ニコライが喜色にみちた叫びを上げた。

 ニコライはショットガンの銃床ストックを薬品ケースに叩きつけ、ちいさな箱を取り出す。

 ガラス製の使い捨て注射器アンプルが収められた容器だ。

 アンプル内部にはかすかに緑色がかった液体が充填されている。形状も色も、デイビッドから渡されたメモに書かれていたものと完全に合致する。


「爆弾を仕掛けてワクチンも手に入った。これいじょうこんな場所に長居をする理由はねえ。クロヴィス、さっさとズラかろうぜ――――」


 言い切らぬうちに、ニコライはがっくりと膝を折っていた。

 分厚い胸板の中心で銀光を放つのは、短剣ダガーのするどい切っ先だ。


「クロヴィス……!?」

「すまない。だが、こうするしかなかったんだ」

「お、おまえ……まさか……シャウラも……」

「そうだ。――彼女は僕が殺した」


 ニコライはなおも何かを言おうとしたが、口内にあふれた血が最後の言葉を消し去った。

 血の海に沈んだ同胞を見下ろして、クロヴィスは強く唇を噛む。


 セフィリアが薬品ケースを飛び越えてきたのは次の瞬間だ。

 

「クロヴィス、これはいったいどういうことだ!?」

「ごらんのとおりさ。僕はフォルカロン侯爵の側につくことにした。君にも死んでもらおうか、セフィリア・ヴェイド」

「貴様ぁーっ!!」


 怒声を放つや、セフィリアは抜き打ちの構えを取る。

 クロヴィスとの距離は五メートルほど。

 刃の届く間合いではないが、剣技に長けた吸血鬼にはさして問題とはならない。

 不可視の衝撃波ソニックブームを飛ばし、標的を真っ二つに斬断することができるのである。


 可憐な笑い声が響きわたったのはそのときだった。

 ローブの裾をはためかせつつ、クロヴィスの背後から現れたのは、黄金の仮面をつけた少女だ。


「若いだけあって血の気が多いことじゃ、ヴェイド女侯爵」

「何者だ!?」

「くっく、この姿では分からぬのも無理はなかろうのう」


 少女はセフィリアの殺気に臆することなく、鈴を転がしたような声で告げる。


「よく聞くがいい、小娘。……わが名はフォルカロン侯爵マキシミリアン。十三選帝侯のひとりにして、この地の領主じゃ」

「そんな戯れ言を――――」

「ふざけてなどおらん。元の肉体はちとガタがきたゆえ、あたらしい身体に乗り換えはしたがのう」


 フォルカロン侯爵はクロヴィスの肩にしなだれかかりながら、セフィリアを挑発するように言葉を継いでいく。


「さてさて、ヴェイド女侯爵。儂の城でずいぶんと勝手をしてくれたものよの。この落とし前はどうつけてくれようか」

「だまれ!! 選帝侯たる本分を忘れ、至尊種ハイ・リネージュの誇りをみずから汚した外道め!!」

「口だけは一人前だの。だが、昨日今日生まれたばかりの小娘がなにをさえずろうと、この儂には痛くも痒くもない」

「問答無用は望むところ。このセフィリア・ヴェイドがリーズマリア様に代わって天誅をくだしてやる――――」


 セフィリアにむかってなにかが飛来したのは次の瞬間だ。

 ニコライがワクチンのケースを投げたのだと気づいたときには、セフィリアは無意識のうちにケースを掴み取っていた。


「それを持って……逃げ……」


 それがニコライの最後の言葉になった。

 フォルカロン侯爵が倒れた彼の頭を力まかせに踏み砕いたのだ。

 頭蓋骨と脳漿を何度も踏みしだきながら、フォルカロン侯爵は忌々しげに吐き捨てる。


「やってくれおったな。くたばりぞこないの失敗作が――――」


 もしフォルカロン侯爵が吸血鬼の肉体であれば、あるいはニコライの機先を制することもできただろう。

 だが、どちらもダンピールである以上、反応速度に顕著な差はないのだ。

 おなじ生殖細胞から分岐した存在であればなおさらだった。


 一方、ワクチンを受け取ったセフィリアは、すでに脱兎のごとく駆け出している。


「おのれ、逃がすものか――――来い、ヘスペリディス!!」


 フォルカロン侯爵が叫ぶが早いか、耐爆隔壁をぶち破って金糸雀色カナリアイエローの巨人騎士が降り立った。

 ブラッドローダー”ヘスペリディス”。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンにその名を連ねる美しい機体は、主人の求めに応じてその姿を現したのだった。


「あの小娘を殺せ、ヘスペリディスッ!! 消し炭にするのじゃ!!」


 フォルカロン侯爵の命令を受けて、ヘスペリディスはセフィリアに照準を合わせる。

 ブラッドローダーに搭載された超高速電子頭脳ハイパーブレイン・プロセッサは、乗り手ローディなしでも高度な自律行動を可能とする。

 生身の吸血鬼を抹殺する程度は造作もなくやってのけるのだ。


 ヘスペリディスの両腕が音もなく上がった。

 前腕部の装甲がおおきく展開し、重水素レーザーの砲口があらわになる。

 重戦車を跡形もなく消滅させる威力の熱線が命中すれば、セフィリアは骨も残らないはずであった。


「死ねい、セフィリア・ヴェイド!!」


 ヘスペリディスの両腕から放たれた二条の光は、しかし、セフィリアに命中する寸前で消滅した。

 はるか高空から降り注いだ重水素レーザーの雨がカーテンとなり、ヘスペリディスの攻撃をすべてかき消したのだ。


 要塞に穿たれた穴から舞い降りたのは、あざやかな菫色ヴァイオレットをまとったブラッドローダーだ。

 ゼルカーミラ。

 ヴェイド侯爵家に伝わる聖戦十三騎エクストラ・サーティーンは、セフィリアを守るように盾を掲げ、ヘスペリディスのまえに立ちふさがる。


 セフィリアは盾に身を隠しつつ、すばやくコクピットに飛び乗る。


「行くぞ、ゼルカーミラ!!」


 コクピット・ハッチが閉ざされたのと同時に、ゼルカーミラの両眼があざやかな血色の閃光を放つ。

 乗り手ローディを得たことで、ブラッドローダー本来の性能が覚醒したのだ。


 細剣レイピアを抜いた菫色の巨人騎士は、ヘスペリディスにむかって突進していった。

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