CHAPTER 13:サクセスフル・ケース
薄暗い通路に乾いた靴音が響いた。
いま、山中に張り巡らされたトンネルを進む人影はふたつ。
クロヴィスとシャウラだ。
すでに五キロは走っている。常人なら息が上がっていてもおかしくはないが、
と、はるか前方で赤い光が明滅した。
通路に埋め込まれた自動砲台が目覚めたのだ。
ふだんは壁面や天井と一体化しているが、侵入者を検知するとひとりでに起動し、毎秒七千発の弾幕を展開するのである。
自動砲台はつねに二基一組で運用される。互いの死角をおぎないあい、標的を完璧に抹殺するためであることは言うまでもない。
「クロヴィス、あれは私が――――」
言うが早いか、シャウラは床を蹴り、壁を猛然と駆ける。
まるで重力などなきがごとき軽やかな挙動。
ダンピールならだれでも出来るというわけではない。抜群の運動神経をもって生まれたシャウラならではの離れ業であった。
シャウラは懐に右手を突っ込むと、三本のクナイを指のあいだにたばさむ。
襲いかかる銃火もものかは、シャウラはすばやくクナイを投擲する。
二基の自動砲台が銃弾のかわりに炎と煙を吐き、ぴくりとも動かなくなったのは次の瞬間だ。
「もう大丈夫。三つとも破壊したわ」
言って、シャウラはちらと上方に視線を向ける。
三本目の鉄杭は、天井に据え付けられたレーザー・トラップのセンサーを貫いていた。
もし気づかなければ、巧妙に張り巡らされた極細のレーザー網によって二人とも細切れにされていたところだ。
「ありがとう、シャウラ。おかげで助かった」
「礼ならあとにして。それより、”
シャウラの見つめる先には、厳重に閉ざされた扉がある。
有害な化学物質やウイルスが漏れ出さないように与圧されたドラフトチャンバーだ。
ただの倉庫や居住区ならこんな設備は必要ない。外界と隔離しなければならない施設があることのなによりの証左だ。
クロヴィスはすばやく扉に近づくと、壁面のアクセスパネルを開く。
電子音とともにディスプレイに表示されたのは、血液認証を求めるメッセージだ。
クロヴィスは迷うことなく指先を噛み切ると、スキャナに押し付ける。
わずかな沈黙が降りた。コンピュータは無言のまま、クロヴィスの血液に含まれる遺伝子パターンを照合している。
しゅう――と、与圧が抜ける音ともにチャンバーの扉が開いた。
「行くぞ――――」
クロヴィスとシャウラは、周囲に最大限の警戒を払いつつ、チャンバー内を進んでいく。
そうして与圧区画を抜けたのと、視界にまばゆい光があふれたのは同時だった。
異様な空間だった。
見渡すかぎりの室内には照明がさんさんと降り注ぎ、銀色の機械類と白い内装を輝かせている。
昼なお暗く、魑魅魍魎が跋扈する魔窟……。
そんな吸血鬼の城のイメージとはかけ離れた、そこは清潔な
クロヴィスとシャウラは、意を決したように一歩を踏み出す。
周囲に人の気配は感じられない。
ときおり聞こえる低い音は、そこここに配置された機械の駆動音だ。
”
マキシミリアン・フォルカロン侯爵が途方もない年月をかけて完成させた生命科学の砦は、しずかに息づいている。
と、ふいにクロヴィスは足を止めた。
「クロヴィス? なにか見つけ――――」
クロヴィスの返答を待つまでもなく、シャウラもその場から動けなくなった。
二人の視線の先には、柱状の巨大な機械がそびえている。
その表面に埋め込まれているのは、何百基ともしれない楕円形のカプセルだ。
等間隔で配置されたカプセルの群れは、木の幹にびっしりと産み付けられた虫の卵を彷彿させた。
「――――」
カプセルに近づいたクロヴィスとシャウラは言葉を失った。
透明なガラスを透かしてみえるのは、まぎれもなく人間の胎児だ。
だが、よくよく目を凝らせば、ふつうの胎児ではないことに気づくのはたやすい。
めちゃくちゃに生えたするどい牙が唇と頬を突き破っているもの。
それぞれ大きさの異なる六つの眼球がてんでばらばらな場所についているもの。
色素が完全に脱落し、皮膚の下で脈動する内臓がはっきりと見えるもの。
異常発達した脳と脊髄が肉体の九割を占め、遠目には巨大な虫と見紛うもの……。
いずれもフォルカロン侯爵の実験で生み出された失敗作たちだ。
フォルカロン侯爵は、延命用ボディを手に入れるためだけに人間の女におのれの子を産ませていたわけではない。
胎内から取り出した受精卵に遺伝子改造を施し、いわば超ダンピールと呼ぶべき存在を創出しようとしていたのである。
とはいえ、ダンピールはもともと遺伝子的に不安定な種である。
人間と吸血鬼のあいだでかろうじてバランスを保っている彼らを、人為的に吸血鬼に近づけることはもとより至難だ。
当然、一体の成功作を得るまでには、何千何万という失敗作が積み上げられることになる。
いま水槽に浮かぶ無残な胎児たちは、フォルカロン侯爵の不死へのあくなき欲望の犠牲者にほかならなかった。
クロヴィスは血がにじむほど強く拳を握りしめながら、傍らのシャウラに告げる。
「僕は爆弾の準備に取りかかる。シャウラ、周辺警戒をたのむぞ」
「わかった。でも、クロヴィス……」
「いまさら躊躇などしない。こんな忌まわしい場所、跡形もなく消し去ってやる――――」
工場内に気配が生じたのはそのときだった。
クロヴィスとシャウラはほとんど反射的に武器へと手を伸ばす。
「どこを見ておる?」
声は気配を感じた方向とは真逆の位置から聞こえた。
あどけなさを残した少女の声であった。
「フォルカロン侯爵か!?」
クナイを投げようとしたシャウラは、そのまま動けなくなった。
わずかな沈黙のあと、ごとりと音を立ててなにかが足元に落ちた。
クナイを握りしめた白い両手首であった。
鋭利な刃物で一瞬のうちに斬り落とされたらしい。骨と肉の色もあざやかな切断面からふつふつと血が噴き出し、床を赤く染めていく。
「シャウラ!!」
クロヴィスが駆け寄るより早く、ドレス姿の少女――フォルカロン侯爵は、シャウラの首筋に長剣を押し当てていた。
「くっく、飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ。出来損ないの分際で、この儂に刃を向けるからこうなるのだ」
「魔女め。ひと思いに殺せ……!!」
「そう急くものではない。貴様らはせいぜい役に立ってから死んでもらう。爪先から一寸刻みに斬り刻み、どこまで耐えられるか試してみるのも面白かろう」
嬲るように言いつつ、フォルカロン侯爵はクロヴィスを見やる。
「ふむ? 貴様、実験体C‐三◯◯九号か?」
黙したままのクロヴィスにむかって、フォルカロン侯爵は仮面を外してみせる。
あらわになった素顔は、目鼻立ちも輪郭もクロヴィスと瓜二つだ。
おなじ遺伝子をもつ兄弟でも、これほどの相似はひとつの受精卵から発生した双生児でなければありえない。
フォルカロン侯爵が寄生しているのは、クロヴィスの双子の妹――シャルロットの肉体にほかならなかった。
「この顔を忘れたとは言わさぬぞ。儂のいまの身体はC‐三◯一◯号――貴様にとっては双子の妹というわけだ」
「それがどうした……!!」
「三◯◯九号、儂のもとに戻ってこい。貴様はこの小娘のような失敗作ではない。妹同様、儂のスペアとして充分な水準を満たしておる。数少ない成功例ということじゃ」
フォルカロン侯爵は微笑みを浮かべながら、C‐三◯◯九号――クロヴィスにむかって手招きする。
クロヴィスはフォルカロン侯爵を睨めつけながら、低い声で問いかける。
「そんなことをして、僕にいったいどんな得がある?」
「そうよなあ。貴様が戻ってくるのであれば、妹は自由にしてやってもよい」
「出来もしないことを……!!」
「嘘ではない。女の身体はいろいろと不便での。それに、ここには手を加えておらぬでな」
呵呵と笑いながら、フォルカロン侯爵は額のあたりをこつこつと指で叩く。
吸血鬼の脳は心臓と一体化している。
フォルカロン侯爵は、朽ちゆく吸血鬼の肉体から若いダンピールの肉体へと心臓を移植することで延命を図ったのである。
クロヴィスの心臓を移植すれば、ふたたび自我を取り戻す可能性もある。
「のう、三◯◯九号? 悪い話ではなかろうが。この世でただひとりの妹を生かすも殺すも、貴様の選択ひとつということじゃ」
フォルカロン侯爵はあくまで優しくクロヴィスに語りかける。
「クロヴィス――――」
シャウラは目尻に涙を溜めながら、まっすぐにクロヴィスを見据えて呟いた。
両手を斬り落とされ、もはやフォルカロン侯爵に抵抗する術はない。
失敗作の烙印を押された以上、いずれにせよ死は免れないのだ。
シャウラの首がわずかに縦に動いた。
それはちいさな、しかし明確な意思表示だった。
「シャウラ、すまない――――」
ひとりごちるみたいに言って、クロヴィスはそっと懐に手を差し込む。
刹那、金属が擦れる音とともに抜き放たれたのは、片刃の
クロヴィスの身体が音もなく動いた。
ダンピールの身体能力を活かした俊敏な足運び。
その動きが止まったのは、シャウラの心臓に短剣を深々と突き立てたあとだ。
一部始終を見届けたフォルカロン侯爵は、手を叩いて破顔する。
傍目には無邪気に笑う少女としか見えないだろう。花も恥じらう可憐な
「よくやった。さすがは儂の息子よ」
一方のクロヴィスは、血溜まりのなかに倒れ込んだシャウラには一瞥もくれず、フォルカロン侯爵にするどい視線を向ける。
「約束は守ってもらうぞ、フォルカロン侯爵」
「むろんよ。だが、そのまえに――――」
言い終わるが早いか、フォルカロン侯爵はクロヴィスの首筋に
「吸血鬼の口づけという言葉を聞いたことがあろう? 儂の体内に飼うておるナノマシンを貴様に注入した。これで貴様の動向はどこにいても手に取るようにわかるということじゃ。ゆめゆめ脱走や裏切りなど考えるなよ……」
クロヴィスは首筋についた二本の噛み跡に指を這わせる。
それは、あらためて刻み込まれた呪いの証にほかならなかった。
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