CHAPTER 09:フォーローン・ホープ

「……以上が私からの報告です」


 セフィリアは言い終わると、リーズマリアにむかって一礼する。


「ご苦労さまでした」

「いえ。これもリーズマリア様の臣下として当然の務めです」


 あのあと――

 セフィリアはクロヴィスらといったん別れ、リーズマリアの待つ陸運艇ランドスクーナーに戻った。

 そして、クロヴィスら半吸血鬼ダンピールが誕生した経緯と、マキシミリアン・フォルカロン侯爵が延命のために実行したおぞましい企てについて、詳らかな説明をおこなったのだった。


「セフィリア。あなたからみて、彼らの話は信じるに足るものでしたか」

「おそれながら、私は判断する立場にありません。私はあくまでリーズマリア様にありのままをお伝えするために……」

「私はあなたがどう感じ、どのように判断したかを知りたいのです」

「それは……」


 わずかな逡巡のあと、セフィリアはゆっくりと、しかし迷いなく言葉を継いでいった。


「……すくなくとも、私にはあの者たちが虚言を弄しているようには思えませんでした」

「それなら、私も彼らを信じます。さいわいレーカの怪我も大したことはないようですし、この状況を切り抜けるためには彼らの協力が不可欠です」


 言って、リーズマリアは舷窓の外に視線をむける。

 アゼトは意識を失ったまま、半吸血鬼たちの手に委ねられた。

 ”秘蹟サクラメント”の契約によって、いまやアゼトとリーズマリアはノスフェライドを介してひとつの生命を共有する関係にある。

 むろん肉体の微細な感覚まで同期しているわけではないが、それでもおおまかなコンディションは把握できる。

 吸血鬼であるリーズマリアでさえ、気を抜けばふらつきそうになるほどの倦怠感に襲われているのだ。

 身体的には常人にすぎないアゼトが昏倒したまま目覚めないのも無理からぬことであった。


 と、船内に備え付けられた無線機が鳴ったのはそのときだった。

 セフィリアは受話器にむかって一言、二言呟くと、リーズマリアに顔を向ける。

 端正なその顔は、いまや隠しようのない焦燥と緊張に支配されている。


「クロヴィスからです。アゼトのことで至急伝えたいことがあると……」


***


「君たちの仲間――アゼトといったか。彼の容態について、診察にあたっていた医師から重要な話があるそうだ。デイビッド、たのむ」


 クロヴィスに促されてセフィリアとリーズマリアの前に進み出たのは、短機関銃サブマシンガン使いの男だ。

 いまは薄汚れた白衣をまとい、手には電子カルテらしい小型端末を携えている。

 ただでさえ人手がすくない半吸血鬼たちの抵抗組織パルチザンにあっては、軍医が戦闘員を兼ねるのだ。


「結論から言わせてもらう。あの少年は、このままでは二十四時間以内にまちがいなく死亡する」


 デイビッドが言い終わるが早いか、セフィリアは飛び掛からんばかりの勢いで詰め寄る。

 両眼は紅く輝いている。吸血鬼が極度の興奮状態に陥ったさいの典型的な兆候だ。


「アゼトが死ぬとは、いったいどういうことだ!?」

「落ち着け。これからくわしい説明をする」


 デイビッドはあくまで冷静に、電子カルテの画面を示しながら語りはじめる。


「彼の体細胞を分析器にかけたところ、特殊なウイルスが検出された」

「ウイルスだと?」

「より正確に言えば、フォルカロン侯爵領に特有の風土病だ。吸血鬼の血を引く者や人狼兵ライカントループには無害だが、人間に感染すればほぼ百パーセントの確率で死に至る。二十四時間とは、血液中のウイルス量が致死的水準に達するまでの推定時間だ」


 興奮ぎみのセフィリアを制止するように、リーズマリアが前に出た。


「待ってください。そんな恐ろしい病気があるのなら、フォルカロン侯爵領の人間たちも無事では済まないのでは?」

「領民たちは定期的に治療薬を投与されている。マキシミリアン・フォルカロンみずから調合した特殊なワクチンだ。その製法は門外不出、ワクチン自体もけっして外部に出回ることはない……」

「つまり、ワクチンを手に入れるには、フォルカロン侯爵から奪い取るほかない――ということですね」


 リーズマリアの問いかけに、デイビッドは無言で肯んずる。


「ようするに、領民はフォルカロン侯爵に生命を握られているも同然ということさ。じっさい、この土地の人間たちは侯爵を神のように崇拝しているし、奴のためなら喜んで生命を捨てる。ここは狂信者の国というわけだ……」


 デイビッドを下がらせたあと、クロヴィスは吐き捨てるように言った。


 ほかの選帝侯領では、人間たちは内心敵意と不満を抱きながら、仕方なく吸血鬼に服従している。

 それがここフォルカロン侯爵領では、人間たちは領主を崇拝してやまず、彼のためなら生命を捨てることさえ厭わないのである。

 狂信者とはまさしく言い得て妙だ。熱狂的な信者がおのれの神に殉ずるがごとく、この地の人間たちはフォルカロン侯爵のためによろこんで身命をなげうつのだから。


 鉛のような沈黙が降りた。

 だれもが固く口を閉ざすなか、セフィリアはひとりごちるみたいに呟く。


「ワクチンさえあれば、アゼトは助かるんだな」

「理屈ではそうだ。しかし、現実的にはまず不可能だろうね」

「私のブラッドローダーがある。フォルカロン侯爵の居城がどこにあるかを教えてくれれば、力ずくでも――――」

「それでも無理だと言っているのさ」


 クロヴィスはふっとため息をつくと、手近な立体投影機プロジェクターに歩み寄る。


 まもなく壁面に映し出されたのは、複雑に入り組んだ立体地図だ。

 大小の連絡路が網目のように張り巡らされ、そのあいだを縫うようにエレベーターシャフトが交差している。複雑に入り組んだそのさまは、昆虫の巣穴を彷彿させた。

 地図がズームアウトするにつれて、それが巨大な山の内部であることが明らかになった。


「これがフォルカロン侯爵の城だ。山ひとつがそっくり研究所ラボを兼ねた要塞になっている」

「こんな巨大な施設が……」

「これは僕たちが脱走するときに持ち出したデータだが、城の内外には防衛システムが張り巡らされている。戦闘になれば侯爵のブラッドローダーも出てくるだろう。首尾よく侵入に成功したとしても、無事にワクチンを持ち帰れるという保証はどこにもない」


 言いつつ、クロヴィスはわずかに眉根を寄せる。

 フォルカロン侯爵が築き上げた要塞を攻略しないかぎり、半吸血鬼たちに勝利が訪れることはない。

 だが、現実には村々の解放さえおぼつかないありさまなのだ。

 外部からの増援の望みは断たれ、仲間たちは戦いのたびに一人またひとりとその数を減らしていく。

 自分たちの戦いがやがて敗北に終わるだろうことは、リーダーである彼がだれよりもよく理解しているのだった。


 そんなクロヴィスにむかって、セフィリアは一語一語、血を吐くように言った。


「たとえ無謀な戦いだとしても、私とゼルカーミラはやる」

「……」

「協力しろとは言わない。ただ、私たちの邪魔をしないと約束してくれればいい」


 それだけ言うと、セフィリアはリーズマリアに顔を向ける。

 目尻に涙を溜めながら、それでも気丈に、吸血貴族の少女は微笑んでみせる。


「リーズマリア様。ご安心ください。アゼトの生命、この私がかならず救ってごらんにいれます」


 そして、あなたの生命も――と、セフィリアは言外に込めてうなずく。

 

 と、背後で物音が生じたのはそのときだった。


「レーカ!?」


 こちらに近づいてくる姿を認めて、リーズマリアはおもわず叫んでいた。

 手足に巻いた包帯には鮮血が滲んでいる。

 まだ傷口も乾ききらぬうちに、人狼兵の少女はみずからの脚で立ち上がり、ここまで歩いてきたのだ。


「話は聞かせてもらいました。私もセフィリア殿に同行します」

「待ちなさい。あなたはまだ傷が癒えて……」

「お言葉ですが、姫様。これしきのかすり傷でいつまでも寝込むほど、あなたの人狼兵はではありません」


 レーカの語気はいつになく強い。

 主人の気遣いを無下にする行為であることは承知している。

 それでもなお、レーカはアゼトを救うための決死行に臨もうというのだ。


 レーカはクロヴィスをきっと睨みつける。


「おい、私のヴェルフィンは無事だろうな」

「ご心配なく。ここまで運んでくるあいだも傷ひとつつけちゃいないさ」


 言いざま、クロヴィスはニコライとシャウラ、デイビッドにちらと目配せをする。


「さっきはああ言ったが……僕たちにとっても、これは千載一遇のチャンスかもしれないな」

「本気か、クロヴィス!?」

「僕たちはずっとフォルカロン侯爵を倒すために戦ってきた。いまを逃せば、やつに一矢報いる機会は永遠に巡ってこないだろう。反対だという者は遠慮なく申し出てくれ。作戦に参加するのは志願者だけでいい」


 つかのまの静寂が一帯を支配した。

 沈黙は肯定と同義だ。

 仲間たちの反応をたしかめて、クロヴィスはセフィリアのほうに向き直る。


「そういうわけだ。僕たちも協力させてもらうよ」

「その言葉、信じていいんだな」

「半分人間の血が流れているような連中は信用できないかい?」


 セフィリアは無言のまま、右手を差し出す。


 血の汚れた半吸血鬼ダンピールと握手を交わすなど、ほんらい貴族には許されないことだ。

 クロヴィスはセフィリアの手を握ると、周囲に集まってきた仲間たちにむかって声を上げる。


「作戦決行は八時間後――夜明け前にここを出る。みんな、さっそく準備に取り掛かってくれ」

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