CHAPTER 08:スケアリィ・ウィザード

 青白い炎が闇を照らしていた。


 壁も床も石でできた広大な空間である。

 部屋は、入り口から最奥部にむかってすこしずつ高くなっている。

 中央に階段きざはしが刻まれたそのさまは、古代の祭壇を彷彿させた。


 祭壇の最上部には白い幔幕が張られている。

 かすかに光を透かすなめらかな質感は、上等な絹布にちがいない。

 この時代、ほとんど現存していない珍品中の珍品であった。


「イグナティウス・フォン・グッゲンハイム伯爵、罷り越しましてございます――――」


 ふいに男の野太い声が響いた。

 声の主――グッゲンハイム伯爵は、階段の一段目よりもさらに下で跪いている。

 床にじかに膝をつけるのは、貴族にとって最大の屈辱と言ってよい。

 いわんや帝都防衛騎士団の重職にあるグッゲンハイム伯爵においてをや、だ。

 伯爵には、しかし、甘んじてそうせざるをえない事情があるのだ。


おもてを上げよ、グッゲンハイムとやら。苦しうないぞ」


 壇上からかけられたのは、若く可憐な声であった。

 帳に隠されて姿はみえないが、どうやら最上段に座しているのはらしい。

 グッゲンハイムが知るマキシミリアン・フォルカロン侯爵は――それもかなりの老齢のはずなのだ。

 格下の相手には選帝侯たるみずからが応対するまでもなく、妻妾でじゅうぶんということなのか?


「せ、僭越ながら申し上げます。なにとぞマキシミリアン・フォルカロン侯爵閣下にお目通りを……」

「なにを呆けたことを申しておる」

「は……?」

「儂がフォルカロン侯爵マキシミリアンじゃ。ちと姿がのう」


 自分の言葉が笑壺に入ったのか、フォルカロン侯爵は「ほほ」と艶かしい笑声を洩らす。


「そのようなお戯れを……」

「信じられぬのも無理はない。それより、帝都防衛騎士団の者がいったいなんの用向きでわが領地を訪うたか?」


 帳を透かして響く声色には、有無を言わせない迫力が宿っている。

 これ以上疑念を口にするのは危険だ。グッゲンハイム伯爵の第六感は、たしかにそう告げている。

 気を取り直して、グッゲンハイム伯爵は痛苦に堪えないといった表情で訴える。


「私は最高執政官ディートリヒ・フェクダル閣下より逆賊リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース討伐の命を受け、サイフィス侯爵と協力して作戦に当たっておりました。しかし……」

「しかし?」

「サイフィス侯爵はブラッドローダー”ノスフェライド”に敗北を喫し、あまつさえリーズマリア側に寝返ったのです。私は残存する戦力をまとめ、どうにかサイフィス侯爵領を離脱した次第にございます」

「物は言いようじゃの」


 フォルカロン侯爵は厭味たらしく言い放つ。


「このままおめおめと帝都に逃げ帰ったのでは、ディートリヒの小童めに顔が立たぬ――というわけじゃろう?」


 からからと愉快げに笑うフォルカロン侯爵に、グッゲンハイムは奥歯を砕けそうなほどに強く噛みしめる。

 ディートリヒ・フェクダルは非情の男だ。

 たとえ子飼いの部下だろうと、失敗を犯した者にはかならず報いを受けさせる。

 グッゲンハイムの場合なら、伯爵位の剥奪と役職の罷免、百年ほどの辺境勤務といったところか。

 悪くすれば一命をもって責任を取らねばならないことをおもえば、寛大な措置と言うこともできる。


――冗談ではない……。


 父の代から中央官界で生きてきたグッゲンハイム伯爵にとって、爵位剥奪と追放は死に等しい。

 かくなるうえはリーズマリアの首級を帝都に持ち帰るほかないが、自分のブラッドローダーは帝都から動かせないうえ、すでにグレガリアスの大半を失っている。

 まさしく進退窮まったグッゲンハイム伯爵は、フォルカロン侯爵の助力を得るべく、こうして恥も外聞も捨てて頭を下げているのだった。

 もはや手段を選んでいられる場合ではない。誰の手を借りようと、リーズマリアを殺しさえすれば、ディートリヒも自分の功績を認めてくれるはずであった。


 そんなグッゲンハイム伯爵の心中を見透かしたように、フォルカロン侯爵はふっと鼻を鳴らす。


「それにしても、リーズマリア・ルクヴァースか。ディートリヒはあの娘を目の敵にしておるようじゃが、儂としてはわざわざ敵対する必要もない相手だの」

「なにを申される。これは最高執政官閣下のご意向ですぞ!!」

「それがどうした? 我ら十三選帝侯にはもとより上下関係はない。亡き先帝陛下ならいざしらず、ディートリヒごとき若造の命令に諾々と従うとでも思うたか。ましてその使い走りふぜいが、この儂に指図しようなどとは笑止千万――――」

「け、決してそのようなつもりは!!」


 顔色を失ったグッゲンハイム伯爵にむかって、フォルカロン侯爵は「冗談じゃ」と言うや、呵呵と大笑する。


「時にグッゲンハイム、そなたが殺したいのはリーズマリアだけか?」

「リーズマリア一行には元選帝侯セフィリア・ヴェイドも加わっております。あれも裏切り者なれば、リーズマリアもろともに抹殺したく……」

「小娘どもにずいぶんと手を焼いておるのう。しかし、戦後生まれの小僧どもはともかく、アルギエバ大公までむざむざ討たれるとは情けない。”老いては麒麟も駑馬に劣る”とはよく言ったものよ」

「それが、アルギエバ大公を倒したのはリーズマリアでもセフィリアでもなく……」

「ほお?」


 興味深げに問うたフォルカロン侯爵に、グッゲンハイム伯爵はこわごわ応じる。

 ルクヴァース家に伝わる聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”ノスフェライド”が、リーズマリアから人間の手に渡ったこと。

 その人間が、とうのむかしに滅んだはずの吸血猟兵カサドレスであること。

 帝都でも最重要機密とされているそれらの情報は、むろんフォルカロン侯爵にとっても初耳だ。


「なるほど。人間、それもあの吸血猟兵がノスフェライドを……のう」


 フォルカロン侯爵はくつくつと忍び笑いを洩らす。

 みずからの言葉に恐れおののくグッゲンハイム伯爵とはうらはらに、最強のブラッドローダーが人間の手に渡った状況を楽しんでいるようでさえあった。


「監視システムの記録によれば、陸運艇ランドスクーナーが一隻、東の国境からわが領内に入った形跡がある……」

「まちがいありません!! リーズマリア一行の船です!!」

「そういきり立つでない。わが山と森の領地に入ったが最期、彼奴らはもはや袋のネズミよ。じっくりと狩り出してくれる」


 フォルカロン侯爵の声色は喜色に充ちている。

 一手ずつ獲物を追い詰めていく残酷な愉悦に胸を躍らせているのだ。


「それはそうとグッゲンハイム。そなたが帝都から持ってきた例のウォーローダー――――たしか、グレガリアスといったか?」

「はっ……」

「ひととおりデータを見せてもらったが、なかなか興味深い機体だの。とくにを省いておるのが気に入った。だが……」


 ぞくり――と、グッゲンハイム伯爵の背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 幔幕を透かして、フォルカロン侯爵がぞっとするような微笑みを浮かべたためだ。

 はっきりとは見えなくても、否、見えないからこそ、相対する者を心底から戦慄させる笑みであった。


「儂ならもっと面白いマシンに仕上げることができるぞ」

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