CHAPTER 05:ナイト・クローラーズ

 陸運艇ランドスクーナーの一室で、セフィリアはおろおろと右往左往していた。


「ど、どうすれば……」


 目の前に置かれた二基のベッドには、アゼトとリーズマリアが横たわっている。


 どちらも苦しげな呼吸を繰り返し、顔は高熱のために紅潮している。

 なんらかの疾患――おそらく熱病に罹患したことはまちがいない。


 だが、人間ならいざしらず、吸血鬼が病気にかかるなどありえないことだ。


 セフィリアにしても、病人を看護した経験などあるはずもない。

 発病したアゼトとリーズマリアを前にして、途方に暮れるのも無理からぬことだった。


「セ……フィリア……」


 リーズマリアに弱々しい声で呼びかけられて、セフィリアはすかさずベッドのそばに駆け寄る。


「リーズマリア様!! しっかりなさってください!!」

「私は大丈夫です。それより、アゼトさんは……?」

「先ほどから眠ったままです」


 言って、セフィリアはアゼトにちらと視線を向ける。


 アゼトは瞼を閉じたまま動かない。

 どうにかベッドまで辿り着いた直後、高熱のために昏倒したのだ。

 声をかけても、揺さぶっても、いっこうに目覚める気配はない。

 睡眠中でも即座に戦闘態勢に移ることができる吸血猟兵カサドレスには、本来ぜったいにありえないことだ。


「しかしリーズマリア様、なぜアゼトと同時に……」

「まだ話していませんでしたね。サイフィス侯爵との戦いのなかで、私とアゼトさんは”秘蹟サクラメント”の契約を交わしました。いまの私たちは、ひとつの生命を共有する存在ということです」

「それは――――」


 セフィリアはそれきり二の句が継げなくなった。


 ”秘蹟”の契約については、セフィリアも仄聞したことがある。

 聖戦が終結してまもないころ……まだ十三選帝侯クーアフュルスト家の始祖たちが生きていた時代。

 謀反をふせぎ、皇帝への忠誠の証を立てるために、ブラッドローダーの生体バイオリンク・システムを用いて”秘蹟”なる儀式がおこなわれていたという。

 兄弟、夫婦、あるいは肉親よりもなお強い絆でむすばれた親友同士……。

 そうして契約を結んだ一方を人質として帝都に差し出すことで、おのれの生殺与奪の権を皇帝に委ねたのだ。

 いずれにせよ、聖戦から八百年あまりの歳月が経過した現在では、とうに廃れた習慣であった。


「私たちのどちらに原因があるのかはわかりません。ですが、もしアゼトさんの身に万一のことがあれば……」

「ご心配には及びません、リーズマリアさま。私が責任を持って治療できる場所を見つけます!! 近くの集落に医者がいるかもしれません」

「そう簡単に見つかればいいのですが――――」


 艦内の警報装置が作動したのはそのときだった。

 セフィリアは壁面に据え付けられた監視モニターに駆け寄ると、


「っ……!?」


 言葉を失ったように数歩後じさった。


「どうしたのですか、セフィリア?」

「リーズマリア様……これを」


 セフィリアは声を震わせながら、モニターを指差す。

 薄暗い画面に映っているのは、五人ほどの人間たちだ。


 そのなかでもひときわ大柄な男の肩に、少女が力なく担ぎ上げられている。

 金髪の人狼兵ライカントループ――レーカであった。


***


「船の中にいる吸血鬼、聞こえていますね。は僕たちが預かっています。すこし出てきておはなしでもしませんか?」


 クロヴィスは、陸運艇にむかって叫ぶ。


「一分以内に返事がなければ、この人狼兵イヌを殺します。脅しだと思うなら好きにすればいい。たかが人狼兵一匹、あなたがたにとっては大した値打ちもないでしょうからね」


 聞こえよがしに言って、クロヴィスはレーカを担いだ大男――ニコライに目配せをする。


 ニコライはちいさく肯んずると、片手で器用にナイフを抜き放った。

 そして、わざと見せつけるように、気絶したレーカの首筋に刃を押し当てる。

 護身用のナイフとはいえ、軽く力を込めれば頸動脈を断つのはたやすい。そうなれば、いかに人狼兵といえども失血死はまぬがれないのだ。


 と、クロヴィスの傍らに音もなく近づく人影がある。

 クナイ使いのシャウラであった。


「クロヴィス。もし吸血鬼がこちらの要求に応じなかったらどうするの?」

「心配することはない。あれだけ上等なウォーローダーに乗っていたということは、それだけ主人に可愛がられているということさ」


 クロヴィスがせせら笑うように言ったのと、陸運艇のハッチが開いたのは同時だった。

 薄闇につややかな黒髪をたなびかせながら、セフィリアはクロヴィスらにするどい声を浴びせる。


「貴様たち、だれにむかって口を利いているか分かっているのか」

「もちろん知っていますよ。ろくな供回りも連れずに辺鄙な土地を旅している無用心な吸血鬼さま、でしょう?」

「痴れ者ども――――」


 セフィリアの真紅の瞳がかつと燃え、唇のあいまから白い牙が覗いた。

 戦闘態勢に入ったのだ。


 クロヴィスは吹き付ける殺気にも動じることなく、あくまで飄然と言い放つ。


「この数を相手に戦うのは賢明とは言えませんね」

「貴様のほうこそ、それっぽっちの人数で私を恫喝できると思っているのか」

「人間ならたしかにそうだ。しかし、ここにいる連中はみんなでね」


 言い終わるが早いか、クロヴィスとニコライ、シャウラの双眸がにわかに暗い輝きを帯びた。

 いずれも真紅にはほど遠い濁った赤――汚れた血の色だ。

 純血の吸血鬼とは似ても似つかぬその色は、無言のうちに彼らの出自を物語っていた。


半吸血鬼ダンピール!?」

「ご明答。ここにいるのは、みんな人と吸血鬼のさ」


 ダンピール。

 それは、人間と吸血鬼の血を半分ずつ受け継いだ混血児の総称である。

 寿命や身体能力こそ純血の吸血鬼に及ばないものの、吸血鬼にとっては致命的な太陽光への一定の耐性を有するなど、交雑種ハイブリッドならではの特性を持つ。

 だが、彼らを語るうえで重要なのは、肉体的特徴よりもその社会的立場だ。

 敵対する種族のあいだに産み落とされた彼らは、父母どちらの世界からも排斥される宿命を背負っている。

 ほとんどは忌み子として嬰児のうちに殺され、かりに生き延びたとしても、人間と吸血鬼の双方から過酷な差別を受けるのである。

 かつては純血の吸血鬼に代わって人間を統治する役割を与えられていたが、人狼兵ライカントループの普及とともにその任も解かれた。

 わずかな例外を除いて、いまやダンピールは社会に関わることも許されず、人里離れた辺境でひっそりと一生を送るのが常とされている。


「半端者のダンピールでも、これだけの数が揃えば侮れないでしょう。ねえ、吸血鬼のお嬢さん……」


 クロヴィスの言葉に呼応するように、陸運艇の周囲で複数の気配が蠢いた。


 いずれも武器を携えたダンピールたちだ。

 すくなく見積もっても十人はいる。

 身体能力ではセフィリアに分があるとはいえ、これだけの数を相手取って戦うのは至難の業だ。

 レーカが人質に取られ、アゼトとリーズマリアは病床に臥せっているとなればなおさらだった。


「最後にもういちどだけ訊きますよ。僕たちと本気でやるつもりですか。こちらとしても、できれば荒事は避けたいんですがね……」

「そのような戯言、聞く耳を持つとでも思うか?」

「お望みとあれば仕方がない」


 クロヴィスが言い終わるまえに、いくつもの影が虚空に踊った。

 セフィリアもまた、その姿を闇に溶けこませている。


 夜の森に澄んだ金属音がこだました。


 短い悲鳴に続いて、黒血を撒きながらどっと地面に落ちたものがある。

 左腕を肘から切り落とされたダンピールだ。

 セフィリアとすれちがった瞬間、抜き打ちの斬撃を浴びたのである。

 抜刀の速度、見切りの正確さにおいては、ダンピールはほんものの吸血鬼には遠く及ばない。

 間髪を入れずに短機関銃サブマシンガンの火線が伸び、ボウガンの矢が飛来したが、いずれもセフィリアの身体にはかすりもしなかった。


「ぐわっ――――」


 叫び声が上がるたび、血の霧が夜闇を煙らせた。

 ある者は胴を袈裟懸けに斬られ、またある者は両足を蹴り折られて、ダンピールたちは一人またひとりと倒れていく。

 かろうじて息はあるが、それも半吸血鬼の強靭な生命力があればこそだ。

 純血の吸血鬼には及ばないものの、彼らも失った四肢を再生し、全身を焼かれても蘇生する程度のことはやってのけるのである。


「ほう……」


 セフィリアの戦いぶりを眺めつつ、クロヴィスは感嘆のため息をつく。


 ただ吸血鬼の能力にまかせて戦っているのではない。

 よほど剣の修行を積まなければ、実戦でああまでうまく立ち回ることは不可能だ。

 先ほどのレーカの戦いぶりといい、ただの旅の吸血鬼でないことはあきらかだった。


 そんなセフィリアの戦いぶりを目の当たりにして、ニコライはいまいましげに呟く。


「クロヴィス。感心している場合じゃねえぞ。このままじゃ……」

「分かっているよ。しばらくお手並み拝見と思ったが、そう悠長に構えてもいられないようだ」


 言って、クロヴィスは上衣のポケットから箱型の機械を取り出す。

 小型の軍用無線機だ。

 ほとんど骨董品と言っていい代物だが、どうやらその機能はまだ生きているらしい。

 クロヴィスがスイッチを入れるや、陸運艇の周囲で爆発音が起こった。


「しまった――――」


 セフィリアは剣を握ったまま茫然と呟いた。


 襲撃に先立って、クロヴィスは一帯にロケットランチャーを仕掛けさせていたのだ。

 無線機の電波をキャッチすることで安全装置が外れ、一斉に弾頭を打ち出す仕組みである。

 いかに吸血鬼といえども、四方八方から飛来する無数のロケット弾を撃ち落とすことはできない。

 陸運艇への被害は避けられない。――そのはずであった。


「ゼルカーミラ!!」


 セフィリアの叫びに呼応するように、陸運艇の後部デッキから菫色ヴァイオレットの巨影が飛び出した。


 ブラッドローダー”ゼルカーミラ”。

 ヴェイド侯爵家に伝わる聖戦十三騎エクストラ・サーティーンは、主人の求めに応じて、無人のまま起動したのだった。

 

 まばゆい閃光が奔ったのは次の瞬間だ。

 轟音が夜気を震わせ、爆炎が闇の空を赤々と染めていく。

 ゼルカーミラが機体に内蔵された重水素レーザーと小型ミサイルを一斉に発射し、ロケット弾をことごとく撃ち落としたのである。


「あれはブラッドローダー……!!」


 クロヴィスはかっと目を見開くと、我知らずにその言葉を口にしていた。

 そして、傍らのシャウラとニコライにむかって、ひとりごちるみたいに言ったのだった。


「計画変更だ。ブラッドローダーがあれば、奴に――――に勝てるかもしれない」

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