CHAPTER 04:ワイルド・ハント
深い森にせせらぎの音が響いていた。
涼しげな水音を遮るように、ジェット・ホバーの噴射音が轟いた。
レーカはヴェルフィンの慣らし運転と周辺の偵察を兼ねて、谷筋ぞいにここまで進出してきたのだった。
平たい巨岩の上でヴェルフィンを停止させたレーカは、そのままコクピットから飛び降りる。
人間なら骨折してもおかしくない高さだが、強靭なバネをもつ
「このあたりか」
誰ともなく言って、レーカは渓流にケーブルつきの水質検査ユニットを投げ込む。
検査結果が手元の情報端末に表示されるまで数秒とかからなかった。
”飲用可能”――人体に有害なレベルの重金属や化学物質、放射能汚染は検出されなかったということだ。
レーカはヴェルフィンの腰部に懸吊されたホースを川面に垂らし、吸引スイッチを押下する。
携行貯水タンクは一・五トンほどの容量がある。陸運艇に搭載されている浄水循環システムと併用すれば、四人がゆうに一ヶ月は使えるだけの水を確保できるのだ。
サイフィス侯爵領を出立するさいに向こう数ヶ月分の物資を積み込んでいるとはいえ、水を補給できる機会を逃す手はない。
汚染されていない清浄な真水となればなおさらだった。
「――――」
何者かの気配を感じたのは、水位がタンクの半ばまで達するかというときだった。
レーカは機体の陰に身を入れながら、ちらと周囲に視線を巡らせる。
目につくかぎり人や動物の姿は見当たらない。
いくら耳をそばだてても、聴こえてくるのは岩に当たって砕ける水音と、木々の葉がすれあう乾いた音だけだ。
それでも、レーカには気のせいとはおもえなかった。
何者かが一瞬、わざと存在を気取らせたあと、完璧に気配を消したのだ。
レーカはおもわず表情をこわばらせる。
それほど高度な
レーカがヴェルフィンのコクピットに飛び乗ろうとしたとき、
「お嬢さん。珍しいウォーローダーにお乗りですね――――」
その声は、頭上から降ってきた。
ソプラノ。まだ変声期を迎えていない少年の声だ。
レーカは長剣の柄を掴みながら、とっさに真上に視線を向ける。
あおあおと茂った樹木が川風に揺れているだけだ。
人の姿はおろか、気配さえ感じられない。
「どこを見ているんです? ここですよ――――」
声は、今度はレーカのすぐ後ろで生じた。
同時に、レーカの手元で銀色の光がほとばしった。
ほとんど反射的に長剣を抜き、声のしたほうへ刃をむけたのだ。
するどい剣尖の先には、ひとりの少年の姿がある。
年のころは十三、四歳といったところ。
白く透きとおった肌と、つややかな黒髪を後ろで結んだ髪型は、一見すると少女のようにもみえる。
迷彩柄の戦闘服のうえに、くすんだカーキ色の
目深にかぶったフードのために、その顔貌はさだかではない。
「きさま、何者だ!?」
厳しい声音で
「お嬢さん、
「……」
「人狼兵が単独でうろついているはずはない。つまり、ここから遠くない場所にあなたのご主人さまがいる。ちがいますか?」
唇を結んで黙したままのレーカに、少年は「図星でしょう」と笑ってみせる。
「それにしても――――」
少年は、ヴェルフィンに視線を向ける。
「すばらしいウォーローダーだ。ひと山いくらの粗悪品とは雰囲気がちがう。どこかの大貴族が作らせた特注品かな? いや、見ているだけで惚れ惚れする……」
「さっきからいったいなにが言いたい」
「吸血鬼の手下などにもたせておくには勿体ない――ということですよ」
少年がにやりと唇を歪めたのと、周囲に複数の気配が生じたのと同時だった。
「――――しまった!?」
レーカはヴェルフィンに乗り込むことをあきらめ、かわりに端末からコクピットを遠隔ロックする。
これでコクピット内に敵が侵入し、機体を奪われるという最悪の事態だけは避けられる。
レーカはすばやく周囲を見わたし、敵の数を把握しようとする。
あらたに出現した人影は五つ――少年をあわせて六人。
いずれも迷彩柄の戦闘服をまとっている。
フェイスガードつきの白兵戦用ヘルメットを被っている者や、顔を隠すようにスカーフを巻いている者もいるため、くわしい性別や年齢は判然としない。
それでも、銃剣つきの大口径ショットガンを手にした大男と、
「こちらも手荒な真似はしたくありません。そのウォーローダーをこちらに渡してくれれば、あなたは主人のもとに帰してあげてもいい……」
「私が首を縦に振ると思ったか?」
「吸血鬼の
少年が指を鳴らすが早いか、五人は一斉に動き出していた。
甲高い発射音とともに、曳光弾まじりの火線がほとばしる。
身体能力を強化された人狼兵でなければ、なすすべもなく蜂の巣にされていたはずであった。
レーカはほとんど地を這うような格好で駆けながら、渓流ぞいの木立ちに飛び込む。
しゅっ――と、空気を裂いて、するどいものが木の幹に突き刺さった。
黒光りするクナイだ。
長さはゆうに三十センチほどもあろう。
ウォーローダーのフレームに用いられる
いかに人狼兵といえども、まともに当たれば致命傷は免れない。
「ならば――――」
レーカは木の幹に刺さったクナイを引き抜くと、ベルトに差し込む。
そして、わざとおおきな足音を立てながら、木立ちのなかを走りはじめた。
はたして、第二、第三のクナイが飛来したのはまもなくだった。
すんでのところで直撃を躱しつつ、レーカはベルトに差したクナイを引き抜くと、飛来した方向からわずかにずれた位置にむかっておもいきり投げつける。
転瞬、木立ちのむこうで「ぎゃっ」と高い悲鳴が上がった。
女の声だ。
あらゆる攻撃は、敵に自分の位置を知らせるという負の側面をもつ。
レーカは投擲者の移動ルートを予測し、未来位置で待ち伏せを仕掛けたのだ。
(こいつら、やる……!!)
レーカはなおも足を止めることなく、木々のあいだを駆けていく。
すくなくとも一人は無力化したとはいえ、敵はまだ五人残っているのだ。
よほど上手く立ち回らなければ、衆寡敵せず、いずれじわじわと追い詰められるのは目に見えている。
めきめきと耳ざわりな音が一帯を領した。
樹木の裂ける音――それも、木目の方向などおかまいなしに引き裂かれた断末魔だ。
レーカの視界に、
爆発音に似た轟音が空気を震わせた。
耳を聾する発射音は、大口径の
「くっ――――」
すんでのところで初弾を逃れたレーカは、そのまま後方へ飛びずさる。
大男はすでに射撃戦から接近戦へと構えを移している。
銃剣とはいうものの、銃身の下に装着されているのは分厚いナタだ。
刃物というよりはほとんど鈍器にちかい佇まいである。
細身の剣で受けることはまず不可能だろう。
すぐ後ろには川の流れが迫っている。吸血鬼ならいざしらず、人狼兵の跳躍力では、対岸に飛んで逃れることもむずかしい。
「くたばれッ、吸血鬼の
大男が叫ぶが早いか、にぶい光芒がほとばしった。
レーカを両断するはずだった銃剣の一閃は、しかし、むなしく空を裂いた。
「一歩でも動けば斬る」
大男の首に抜き身の銀刃を突きつけながら、レーカはするどい声で告げた。
銃剣が振り下ろされた瞬間、ほんのわずかに身をそらしたレーカは、そのまま敵の内懐に飛び込んだのだ。
大ぶりな銃剣は、その長さと重さゆえに小回りが効かないという欠点をもつ。
後方や真横に逃げればすかさず追撃を受けていたところを、レーカはあえてみずから間合いを詰めることで、大男の動作そのものを封じたのだ。
「斬るだと? 面白れえ、やってみろ」
「動くなと言った。――――おまえたち、おかしな真似をすれば仲間が死ぬぞ」
レーカは大男の首筋に刃を押し当てながら、ほかの者に聞こえるように叫ぶ。
複数の手練れとまともに戦って勝てる見込みはまずない。
この場を切り抜けるための、それは一か八かの賭けであった。
「これは一本取られましたね」
心底から感心したように言って、少年はレーカと大男に近づいていく。
「彼を――ニコライを解放してもらえませんか。ただでさえ少ない同志を減らされては困りますからね」
「この男を生かすも殺すもおまえたちの出方次第だ」
「どうしろと?」
「全員武器を捨てろ。そして私がヴェルフィンに乗り込むまで、この場から一歩も動くな。言うとおりにすれば、生命まで取るつもりはない」
レーカに睨めつけられて、少年はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「仕方ありません。みんな、武器を捨てて出てきてください」
少年が言うや、木立ちのそこかしこで金属音が起こった。
息を潜めて攻撃の機会をうかがっていた三人が、いっせいに銃火器や刀剣を放り捨てたのだ。
それからまもなく、丸腰の三人が少年のもとに集まってきた。
クナイの女は死んだか、あるいは負傷して動けなくなったのか、いずれにせよ姿を消したままだ。
「先ほどの非礼はお詫びします」
「謝罪は無用だ。二度と私の前に姿を見せるな。次は問答無用で殺す」
冗談めかして笑う少年に、レーカは語気するどく言い放つ。
「もうひとり、女がいたはずだ」
「ああ、シャウラのことですか。彼女なら……」
レーカに問われて、少年はぽんと手を打つ。
「いますよ。――――あなたのすぐ後ろに、ね」
刹那、レーカの背中に熱いものが触れた。
肩甲骨のあたりにクナイを突き立てられたのだと気づいたときには、すでに四肢の自由は失われつつあった。
クナイに塗られた麻痺性の神経毒が浸透し、もはや自分の意志では指一本動かすこともままならない。
「クロヴィス。この人狼兵、このまま始末してかまいませんか?」
シャウラは鉄杭が刺さったままのレーカを見下ろしつつ、少年――クロヴィスに問いかけた。
「それには及ばないさ。こいつの主人も近くにいる。生かしておけば使い道もあるだろう……」
言いざま、クロヴィスは指先でフードを跳ね上げる。
その下から現れたのは、紅に黒を一滴落としたような赤褐色の瞳だ。
それは人間と吸血鬼の忌まわしい混血――ダンピールの証にほかならなかった。
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