CHAPTER 0-3:エネミー・ゾーン

 荒野はある地点を境にがらりと様相を変えた。

 赤茶けた大地と、その上に点在していた枯れ木や巨岩といった自然物は、こつぜんと姿を消した。

 入れ替わりに現れたのは、見渡すかぎりの茫漠たる砂の海だ。


 果てしなくつづく寂寥とした景色。

 ゆるやかな砂丘の連なりのほかには、周囲には目につくものもない。

 舞い上がった砂のために太陽は黄褐色に染まり、地平線と空の区別さえ判然としない。


 かとおもえば、無数の高層ビルが林立する大都市、あるいは白亜の大宮殿が突如として出現することもある。

 むろん、本物ではない。

 地上で熱せられた空気が水蒸気となり、太陽光を屈曲させることで生み出される蜃気楼だ。

 近づけば遠ざかり、手を伸ばしても永遠に触れることのできない美しい幻影。

 それは神代の昔から現在まで、数えきれないほどの旅人を惑わし、不帰の客としてきたのだった。


 時刻はまもなく午後四時を回ろうとしている。

 陽が傾いても、だだっぴろい砂漠には落ちる影さえない。

 いま、そんな砂の海を渡っていく一台の車両がある。


 ホバー式推進装置をそなえた陸運艇ランドスクーナーだ。

 船体のほとんどを占めるカーゴ・デッキが特徴的な船である。

 カバーに覆われたデッキには、大型ウォーローダーの五、六機はゆうに搭載できるだろう。


 一見すると隊商キャラバンの交易船のようにもみえるが、隊商はその名のとおり複数の船が隊伍を組んで行動する。

 数の優位を見せつけることで積荷をねらう賊を遠ざけ、また一隻が故障してもべつの船で牽引することができるからだ。

 こと安全にかんしては金も手間も惜しまない交易商人が、単独でこんな辺鄙な場所をうろついていることはありえないのである。


「……静かすぎる」


 船体から突き出た前檣楼マストのうえで、レーカはひとりごちた。

 金色の髪のあいだからは、イヌ科動物を思わせる尖った耳が飛び出している。

 人狼兵ライカントループの証であった。


 人間をベースに改造された人狼兵は、常人とは比較にならないほどすぐれた五感と強靭な肉体をもつ。

 酷暑の砂漠も、凍てつく雪山も、人狼兵にはまったく苦にならないのである。

 身体能力は主人である吸血鬼の足元にも及ばない一方、吸血鬼にとって致死的な真昼の太陽の下でも動けるという強みもある。

 レーカはその特性を活かして、船外で警戒に当たっているのだった。


 手にした小型電子端末には、一帯の地図が表示されている。

 ”迷宮の森ラビュリントス”を抜け、どの諸侯の支配下にも属さない空白地帯ノーマンズ・ランドをひた走ること数日。

 一行は、ついにサイフィス侯爵領に足を踏み入れたのだった。


 その名が示すごとく、そこは十三選帝侯のひとり、ハルシャ・サイフィス侯爵が治める領域エリアだ。

 その大部分は砂漠と急峻な山岳地帯が占めているとはいえ、総面積は十三選帝侯のなかでも一頭地を抜く。

 軍事上の要衝に位置することもあって、サイフィス侯爵家は、ほかの選帝侯や周辺諸侯を牽制する使命を与えられているのである。


 多くの戦闘艦からなる空中艦隊エア・フリートに、総兵力五十万機ともいわれるウォーローダー部隊……。

 サイフィス侯爵家に強大な軍事力の保有が許されているのは、ひとえに辺境鎮撫の職責を全うするためだ。

 なかでも聖戦十三騎エクストラ・サーティーン”アルダナリィ・シュヴァラ”は、いかなる大量破壊兵器にもまさる抑止力として機能しているのである。


 リーズマリア抹殺の指令は、当然サイフィス侯爵のもとにも届いているだろう。

 一行が領内に足を踏み入れたとたん、天地を焼き尽くさんばかりの猛攻撃が始まってもおかしくはないのだ。


 それを見越して、アゼトとセフィリアは、前夜からノスフェライドとゼルカーミラで出撃待機している。

 だが、待てど暮らせど、いっこうに攻撃が始まる気配はない。

 それどころか、領内の監視のために飛行しているはずの偵察ドローンすら見当たらないありさまであった。


 すでにサイフィス侯爵領に入ってから半日が経過している。

 道中で遭遇したものといえば、砂の上を這いまわるトカゲと、上空をよこぎるハゲタカだけだ。

 あえて人目につかないルートを選んでいるとはいえ、ここまでなにも起こらないのはかえって不気味ですらあった。


 拍子抜けするほど静かで退屈な景色を眺めているうち、


――もしや、このまま平穏に通過できるのではないか……。


 レーカの胸裡には、ふとそんな思いがよぎった。


 むろん、それが楽観的な観測であることは承知している。

 それでも、セフィリアが語ったところによれば、当代のサイフィス侯爵は気弱で争いごとを好まない人物だという。

 もしそのとおりであれば、このまま領内を素通りさせてくれるということもありうる。

 なにしろこちらにはノスフェライドとゼルカーミラがいるのだ。

 いくさ嫌いの貴公子が怖気づいたとしても、なんら不思議ではない。


 と、レーカの電子端末がふいに鳴動した。

 スイッチを入れると同時に、スピーカーから流れたのは、ガラスの鈴を鳴らしたような麗しい声音だった。


 リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。

 レーカの主人であり、吸血鬼の次期皇帝となるべき少女は、日差しの届かない船内から通話しているのだった。


「ご苦労さま、レーカ。そろそろ一休みしませんか?」

「しかし姫様、見張りを怠るわけには……」

「アゼトさんとセフィリアも索敵に当たってくれています。それに、今朝からなにも食べていないのでしょう?」

「うう……」


 リーズマリアに言われて、レーカはふいに空腹を自覚した。

 人間を上回る能力をもつ人狼兵は、カロリー消費量も常人を上回る。

 むろん、一日二日なにも食べなかったところで生命維持に支障をきたすことはないが、空腹感だけはどうにもならない。

 ブラッドローダーに乗っているあいだは代謝機能が完全に制御され、食事や睡眠といったあらゆる生理現象から解放されるアゼトとセフィリアのようにはいかないのだ。


「では、一◯分だけ。お言葉に甘えさせていただきます」

「お茶とケーキを用意しておきますね。ケーキといっても保存缶入りの携行糧食レーションですけど……」

「私にはもったいないお心遣いですっ」


 レーカの声はこころなしか弾んでいた。


 と、はるか前方でなにかが動いた。

 乾燥しきった砂漠では、条件がよければはるか彼方まで見通すことができる。

 とはいえ、例によって蜃気楼、あるいは風に巻き上げられた砂が踊っているだけかもしれない。


 レーカはほとんど無意識に望遠鏡を掴んでいた。

 ズーム倍率を最大にしても、スコープ内に結ばれた像は鮮明とは言いがたい。

 それでも、地平線にうっすらとにじんだ光が、ところどころで不自然に途切れているのが見て取れる。


 自然現象ではない。

 人間よりも大きな物体がせわしなく動き回っている。

 言うまでもなく敵だ。

 もともと地上の物体はレーダーに映りにくいところに、おそらくは電子妨害措置ジャマーによるカモフラージュも加わっているのだろう。

 肉眼でしか捉えられない、それはかすかな兆候だった。

 

「姫様、船を隠します。けっしてお出になりませんよう!」


 レーカは電子端末を操作し、陸運艇の進路をセットする。

 この近くにはかなり深い谷がある。

 敵と戦っているあいだ、陸運艇を隠しておくにはうってつけの場所だ。

 

 格納庫を覆っていたカバーが開いたのはそのときだった。

 ノスフェライドとゼルカーミラも敵の存在を察知したのだ。

 漆黒と菫色ヴァイオレットの装甲をまとった二機のブラッドローダーは、すでに出撃の準備に入っている。


 先に飛び出そうとしたゼルカーミラを制止するように、ノスフェライドの腕が伸びた。


「敵の相手は俺とレーカでする。セフィリアはリーズマリアの護衛をたのむ」


 セフィリアが肯んじたのを確かめて、ノスフェライドはレーカに視線を向ける。


「レーカ、行けるな?」

「もちろんだ!!」


 人狼兵の少女は、愛機ヴェルフィンのもとへ駆け出していた。

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