CHAPTER 0-2:リヴィング・イン・マインド

「どど、どうしよう――――」


 最高執政官ディートリヒとの通信を終え、塔市タワーの最上部にある自室に戻ったハルシャ・サイフィスは、そのままベッドに倒れ込んだ。

 貴族の中の貴族たる選帝侯の寝室にふさわしく、天蓋付きの豪奢な寝台である。

 ハルシャはやわらかい枕に顔をうずめ、「うう」とも「ああ」ともつかない苦しげな声を洩らす。


「ううああ!! 嫌だあああ……!! 最高執政官閣下はああ言ったけど、大公様やイザール侯爵を倒したノスフェライド相手に勝ち目なんてない……まちがいなく殺されるぅ……」


 ハルシャは足をバタバタと動かしながら、絶望しきった声音でひとりごちる。


「それに、先帝陛下の血を引くリーズマリア様に剣を向けるなんて……そんな畏れ多いこと、僕に出来るわけないじゃないかあ……」


 なおも熄まぬ独り言は、いつしかすすり泣きに変わっていた。


「もういやだ……こんな目に遭うくらいなら、いっそ死んだほうがマシだ……」


 ため息をついたハルシャは、強化ガラスに覆われた部屋の一面に近づいていく。

 旧時代の軌道エレベーターをもとに建造された塔市タワーの末端は、大気圏上層部にまで達する。

 選帝侯の居城はほとんど宇宙に浮かんでいると言っても過言ではないのだ。

 ガラス越しに外界を見下ろせば、聖戦から八百年を経てなお荒れ果てた大地が茫漠と広がっている。


 ハルシャは強化ガラス――実際には外部の映像が投影された超広角ディスプレイだ――に額を押し付ける。


「なんて、僕には死ぬ勇気も……ないけど……」


 乾いた笑いを放って、ハルシャはその場にへたりこむ。

 吸血鬼として最低の力しか持っていないうえに、知恵も度胸もない。

 死ねば楽になると思っても、死を想像しただけで背筋が凍ってしまうのだ。


 声が聞こえたのはそのときだった。


「そんなにつらいなら、ディートリヒ・フェクダルを殺してやろうか? おまえを苦しめるあの男を――――」


 剣呑な内容に違わず、おもわず身震いするほど冷たい声であった。


 広い部屋にはハルシャのほかに誰もいない。

 青ざめた顔でガラスを見つめた少年貴族は、だれともなくひとりごちる。

 

「だ、だめだよ……!! 最高執政官閣下を、こ、殺すなんて……」

「なにをためらっている? いままでおまえを虐げた連中はみんな俺が殺してやっただろう。おなじようにやるだけさ」

「いくら君でもあの人を殺すのは無理だよ……そんなことを企んでいると知られただけでも、サイフィス侯爵家は取り潰されちゃう……」


 ふさぎこんだハルシャに、声は畳み掛けるように告げる。


「だったら、ディートリヒの命令に従ってリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースを殺すしかないな」

「だけど、僕はあの方にはなにも嫌なことをされてない……恨みもない人を殺すなんて、そんなひどいこと……」

「サイフィス侯爵家を――現在いまの生活を守りたいなら、あの娘を始末するしかない。ノスフェライドが護衛についているといっても、帝都の最高執政官を消すよりはよほど簡単だ」


 ハルシャはうつむいたまま逡巡する。

 声はそんな彼を急かすでも咎めるでもなく、むしろ慰めるように言葉をかける。


「心配するな、ハルシャ。厄介事はこの俺とアルダナリィ・シュヴァラに任せておけばいい。おまえは楽しいことだけを考えていればいいんだ」


 ハルシャは頭を上げ、ガラスに映った自分自身の顔を見つめる。

 プレッシャーに押しつぶされ、ぐずぐずに泣き腫らした少年はどこにもいない。

 鏡写しになっているのは、おなじ顔、おなじ声を持ちながら、なにもかもが真反対のもうひとりの自分にほかならなかった。


「……ありがとう、

「さあ教えろ、ハルシャ。俺に殺してほしいのはどちらだ?」


 鏡に写った分身――アラナシュにむかって、ハルシャは震える声で言った。


「それは――――」


***


 帝都からの増援がサイフィス侯爵領に到着したのは、それから半日と経たないうちだった。

 その中核をなすのは三胴型トリマランのフォルムをもつ飛行艦だ。


 デア・ヴェール。

 全長六百メートルを超える超大型輸送艦である。

 あくまで非戦闘用の補助艦艇とはいえ、その迫力は、サイフィス侯爵家が所有する空中巡洋艦エア・クルーザーと較べても遜色はない。

 最大積載量はおよそ一万五千トン。

 ウォーローダー五百機と武器弾薬、ならびにその運用に必要な人員を迅速に作戦区域まで運ぶことができる。


 デア・ヴェールは塔市タワーに近づくと、エレベーター側面から張り出したドッキング・ポートに接舷する。

 物資搬入口を兼ねたアーム・ユニットがいくつも埠頭から伸び、艦を固定していく。

 最後に乗降用タラップが接続されたのと、場違いなほど賑々しいファンファーレが鳴り響いたのは同時だった。


「帝都防衛第八軍団、総司令官イグナティウス・フォン・グッゲンハイム伯爵、ただいまご着到――――」


 声を張り上げる部下をよそに、ゆったりとタラップを降りたのは、赤褐色の軍服に身を包んだ偉丈夫だ。

 軍人らしく短く刈った金髪とするどい眼光。岩みたいな筋肉は、厚地の軍服の上からでもはっきりそれと分かるほどに自己主張している。


 いっぽう、慣れない軍服をまとったハルシャはといえば、石みたいにカチコチになって突っ立っている。


「本日はお日柄も……じゃなくて、え、え、遠路はるばる、ごご、ご足労……」

「グッゲンハイム伯爵です。最高執政官閣下のご命令により参上しました。わざわざのお出迎え、光栄に存じます、サイフィス侯爵閣下」


 グッゲンハイム伯爵が片膝を突いた衝撃でおもわず倒れそうになりながら、ハルシャはちらとデア・ヴェールを見やる。


「あのう、帝都からの増援って、もしかしてあの艦の中身ですか……?」

「いかにも左様にございます。私のブラッドローダーも持参するつもりでしたが、最高執政官閣下がそれには及ばないと仰せられましたゆえ」

「は、はあ……」


 そうするあいだにも、アーム・ユニットに懸吊されたコンテナがいくつもドッキング・ポートへと移されている。

 コンテナのなかから固定用の台座ごと引き出されたのは、見慣れない機体群だった。

 どの機体もつやのない黒灰色ダークグレーに塗られている。


 どうやらウォーローダーらしい。

 らしいというのは、どの機体もまったくおなじ規格フォーマットで統一されているためだ。

 それぞれこの世に一機しか存在しないブラッドローダーであれば、このように同型機がずらりと並ぶことはありえない。


 続々と搬入される未知のウォーローダーを眺めるうちに、ハルシャの胸裡になんともいえない違和感が去来する。


「えっと、グッゲンハイム伯爵……ひとつ訊いていいですか?」

「私に答えられることならばなんなりと」

「あのウォーローダー、見たことがない機種タイプだなあって……」

「先日ロールアウトしたばかりの新型ですからな。ご存知ないのも無理はございません」


 慇懃に言ったグッゲンハイム伯爵に、ハルシャは「そうなんですか」とあるかなきかの声で応じるのがせいいっぱいだった。


「”グレガリアス”――――最高執政官ディートリヒ閣下が手ずから設計・開発を主導なされた次世代型ウォーローダーです」

「へ、へえ……」

「いまはまだ実戦テストの段階ですが、いずれ人狼兵ライカントループに代わって至尊種の忠実な下僕となることでしょう」


 グッゲンハイム伯爵は待っていたとばかりに、グレガリアスがいかに先進的な機体であるかを熱心に語りはじめる。

 機械にも軍事にも疎いハルシャは、「なるほど」「すごいなあ」と気のない返事を繰り返すばかりだった。


「でも、いくら最新型でも、ウォーローダーじゃブラッドローダーには勝てないですよね……?」

「おっしゃるとおり。それを踏まえたうえで、対ブラッドローダー戦のデータを取れとの指令を最高執政官閣下より拝受しております。ブラッドローダーとの戦いにまさる良質な実戦テストはありませんからな」


 グッゲンハイム伯爵はごほんと咳払いをひとつすると、朗々たる声で宣言する。


「逆賊リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの討伐、まずはこのグッゲンハイムとグレガリアスが先陣を切らせていただきますぞ」

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