CHAPTER 16:アーティフィシャル・ツインズ
「バカな。こんなはずはない――――」
帝都の生物科学省から送付された文書を読み終えて、サイフィス侯爵ジャラウカは絶叫した。
生化学の錚々たる権威たちの手になるそれは、嫡男ハルシャ・サイフィスについての絶望的な報告であった。
個人によって差はあるものの、体組織や免疫系が完成するまでには、誕生から十数年もの歳月を必要とするのだ。
それまでは人間の子供と大差なかった吸血鬼の子らは、生涯で最も強い吸血衝動や、抑えがたい凶暴性といった兆候とともに成熟を迎える。
彼らは、そこでようやく一人前の吸血鬼として認められるのである。
ジャラウカの一人息子ハルシャが吸血鬼の血に目覚めたのは、四十歳をとうに過ぎてからのことだ。
ほとんどの者が二十歳前には覚醒することを鑑みれば、異例の遅さと言ってよい。
同格の十三
――いい歳だというのにまだ覚醒されぬとは、サイフィス侯爵のご令息はほんとうに純血の至尊種か。
――よもや人間の薄汚い血でも混じっているのではないか?
などと、聞こえよがしに陰口をささやく者が絶えなかった。
剛勇のほまれ高い武人であり、皇帝からの信頼も厚いジャラウカからそのような不肖の息子が生まれたことも、周囲の嘲笑にいっそう拍車をかけた。
急かしたところで覚醒が早まるわけではない。ジャラウカは周囲からの白眼視に耐えつつ、一日千秋の思いでハルシャの成長を見守ったのである。
そのような経緯があっただけに、ハルシャがようやく覚醒したときのジャラウカの喜びようは一方ならぬものだった。
吸血衝動も凶暴性の発露もほとんど見られず、生来の臆病で人見知りな性格が変わらなくても、ジャラウカは気にも留めなかった。
なにしろ時間はたっぷりとある。これから数百年かけて性根を叩き直し、サイフィス侯爵家の跡継ぎにふさわしい勇者に育て上げればよい。
そんなジャラウカのあまい思惑は、身体検査に訪れた帝都の監察官たちによって粉々に打ち砕かれた。
彼らはハルシャの能力は吸血鬼としては最低レベルであり、将来にわたって改善は望めないという結論を下したのである。
聖戦以来の武門の家であり、
事実、ハルシャは覚醒してもブラッドローダーの操縦はおろか、まともに剣を扱うことさえできなかった。そのうえ弁舌はたどたどしく、頭も鈍く、雷が落ちただけで泣き出すほど肝が小さいときている。
ジャラウカがハルシャに苛烈な虐待を加えるようになったのは、一人息子にかけてきた期待と、これまでの忍耐の裏返しにほかならなかった。
問題はハルシャだけではない。
暗愚な当主が家督を継げば、サイフィス家の没落は避けられない。
近隣の貴族のなかには、跡継ぎの愚鈍ぶりを幸いとばかりに、広大なサイフィス侯爵領を切り取らんとする動きもある。
ジャラウカの目が黒いうちはいい。領地を虎視眈々とねらう貴族たちも、アルダナリィ・シュヴァラを恐れて手出しができないからだ。
強力な性能をほこる聖戦十三騎は、多くの地方貴族を従える選帝侯家にとっていわば抑止力なのだ。
その抑止力が失われればどうなるか?
これまで選帝侯に従属していた貴族たちは、こぞって
帝都では皇帝がなかば隠居し、義理の息子である最高執政官ディートリヒ・フェクダルが実権を掌握しつつあるという。
ディートリヒは政治家として辣腕を振るういっぽう、温情とは無縁の冷血漢として知られた人物である。
もしジャラウカがサイフィス侯爵領の保護を願い出たとしても、あの男はすげなく却下するにちがいない。
そもそも選帝侯は各地の貴族を監督するために置かれているのである。その役目を十全に果たせなければ、先祖代々の領地を没収されても文句は言えないのだ。
真綿で首を絞めるようにじわじわと領地を削られるか、あるいは御家取り潰しの憂き目に遭うか……。
いずれにせよ、このままではサイフィス侯爵家に未来はない。
吸血鬼の繁殖力はきわめて低く、あらたに子をもうけることはむずかしい。
他家から養子を取ろうにも、どの選帝侯家も貴重な子弟をそうそう手放すはずはない。
ジャラウカは悩み抜いたすえ、ひとつの決断を下した。
ハルシャの治療である。
正確には、ハルシャに心理学的な改造をほどこし、もうひとつの優秀な人格を創出しようというのだ。
強力な再生能力をもつ吸血鬼だが、こと精神面にかんしては人間と大差がない。
愚鈍ではあっても健康な精神に手を加え、意図的に多重人格を作り出すのはむろん前代未聞の試みであり、失敗すれば廃人と化すおそれもある。
科学者が算出した成功確率は一割にも満たなかった。九分九厘、人格と精神は破壊され、言葉を発することもない肉塊として生涯をベッドの上ですごすことになるということだ。
ジャラウカはすべて承知のうえで、ハルシャの精神改造を断行したのだった。
結論からいえば、改造は成功した。
ハルシャの精神には、もうひとつの人格――アラナシュが誕生したのである。
アラナシュの性格はあらゆる点でハルシャとは対照的だった。
争いを好み、良心や優しさをもたず、冷酷で利己的、他者にたいして躊躇なく暴力を行使する……。
一般の社会では忌み嫌われる好戦的で残虐な性格も、武家にあっては賞賛の対象となる。すくなくとも敵に向けられているかぎり、暴力性は英傑に欠かざる資質なのだ。
性格だけではない。
白兵戦でもブラッドローダーの操縦でも、アラナシュはジャラウカが舌を巻くほどの強さを発揮した。
肉体はハルシャのままであるにもかかわらず、なぜこれほどの差が生じるのか?
ハルシャの精神が肉体に無意識のリミッターをかけ、ほんらいの筋力や瞬発力を抑え込んでいたのである。
帝都の監察官の目をもってしても見抜くことができなかったほんらいのポテンシャルを、アラナシュはみごとに引き出してみせたのだった。
ジャラウカはこのうえなく満足だった。
あの出来損ないだったハルシャが、自慢の息子に変わったのだ。
すこしまえまで視界にも入れたくなかったクズが、いまでは目に入れても痛くないほど愛おしい。
頼もしい跡継ぎを得て、サイフィス侯爵家の前途にはなんの不安もない――――そのはずだった。
ある日の夜更け、アラナシュはジャラウカの寝室を訪ねた。
最愛の息子を迎え入れたジャラウカは、次の瞬間、くぐもった悲鳴をあげて倒れこんだ。
アラナシュが隠し持っていた
吸血鬼の心臓は肉体の全機能を司る器官である。傷つけられればもはや再生することもかなわず、肉体は制御を失った免疫細胞に跡形もなく食い尽くされる。
ぐずぐずに腐り落ちていく父の亡骸を見下ろして、アラナシュは冷ややかな微笑とともに呟いた。
「おまえを虐げた親父は死んだ。もうなにも心配はいらないよ、ハルシャ」
怯える子供をなだめるように、アラナシュはもうひとりの自分にむかって語りかける。
「なあ、これからも嫌なことやつらいことは俺にまかせておけばいい。楽しいことだけ考えて生きるんだ。おまえを傷つけ苦しめる奴は、ひとり残らず俺が殺してやるからさ――――」
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