CHAPTER 12:ラスト・リゾート

 美しい銀の髪が闇に流れた。

 広大なガンダルヴァ城の庭園を、リーズマリアはひとり駆け抜けていく。

 走るというよりほとんど飛ぶような疾走であった。

 吸血鬼の脚力をもってすれば、百メートルを走破するのに五秒とかからないのだ。


 おなじ庭園内では、ゼルカーミラとアルダナリィ・シュヴァラによる烈しい戦いが展開されている。

 重水素レーザーのまばゆい閃光が闇を裂き、巨大な刀剣がぶつかりあう轟音が大気を震わせても、リーズマリアが足を止めることはない。


 いまこの瞬間も、アルダナリィ・シュヴァラの索敵センサーはリーズマリアを捉えているだろう。

 サイフィス侯爵がその気になれば、いつでも攻撃を仕掛けられるということだ。

 セフィリアとレーカが援護してくれているとはいえ、ブラッドローダーのまえに生身を晒すのは殺してくれと言っているに等しい。

 リーズマリアには、しかし、それでもやらねばならないことがある。


(アゼトさん、どこに――――)


 リーズマリアが足を止めたのは次の刹那だった。

 池のほとりに建つ四阿あずまや――正確には、崩れかかったその残骸のすぐそばに倒れている人影を認めたのだ。


「アゼトさん!!」


 リーズマリアはアゼトを肩に担ぎ上げると、返事も待たずに跳んだ。

 すこしでもアルダナリィ・シュヴァラから距離を取ろうというのである。

 そうして二度目ばかり跳躍を繰り返し、城壁の陰に入ったところで、リーズマリアはアゼトに問いかける。


「ご無事ですか? お怪我は!?」

「俺のことなら心配ない……と言いたいところだが、厄介なものを使われた」


 言って、アゼトは顎で自分の身体を指し示す。

 少年の四肢は、まるで見えない縄に拘束されているみたいに不自然に硬直している。

 極細の糸が幾重にも絡みついていることに気づいて、リーズマリアはおもわずちいさな叫び声を上げていた。


 ”水銀のメルクール・シュランゲ”――生物のごとく自律駆動する液体金属兵器。

 そのおそるべき威力は、リーズマリアも先の戦いで目の当たりにしている。


「こいつはただ身動きを封じるだけじゃなく、俺とノスフェライドの通信を遮断しているらしい。どうにかして身体から引き剥がさないかぎり、ノスフェライドを喚ぶこともできない」

「サイフィス侯爵がそんなことを……」

「いまのあいつはハルシャとは別人だ。どちらが本性なのかまではわからないが――――」


 言って、アゼトは唇を噛む。

 

「とにかく、俺の力だけではどうにもならない。どうやら奴はノスフェライドと一騎打ちをするつもりらしいが、このままじゃレーカとセフィリアが危ない……」

「私にまかせてください。なんとかしてみます」

「たのむ」


 アゼトの返事を待たずに、リーズマリアは”水銀の蛇”を引き剥がしにかかっていた。

 白くなよやかな手指はいかにも儚げな風情だが、そこは吸血鬼だ。

 その膂力は分厚い鉄板を苦もなく折り曲げ、ウォーローダーをスクラップに変える程度は造作もなくやってのける。

 だが、リーズマリアが渾身の力を込めているにもかかわらず、”水銀の蛇”はアゼトの身体にぴったりと密着したまま外れる気配もない。


 無理もないことだった。

 液体と固体の性質をあわせもつ”水銀の蛇”は、大量に集合すればブラッドローダーをも拘束する強度を発揮する。

 アゼトの身体を縛めている糸はごくわずかな量とはいえ、生身の吸血鬼の手に負える代物ではないのだ。


「……っ」


 リーズマリアの唇から悲痛な声が洩れた。

 整った爪は割れ、指先にはうっすらと血がにじんでいる。

 驚異的な再生能力をもつ吸血鬼といえども、痛覚は人間と変わらない。


「ごめんなさい……私、お役に立てなくて……」

「リーズマリアのせいじゃない。元はといえば、油断した俺が悪いんだ」


 なおも”水銀の蛇”を引き剥がそうとするリーズマリアを制止しつつ、アゼトは唇を噛む。


 こうしているあいだにも、ゼルカーミラとアルダナリィ・シュヴァラの戦闘はますます烈しさを増している。

 戦いの形勢がどちらに傾いているかは明白だった。あきらかにゼルカーミラが押されているのだ。


 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのあいだに顕著な性能差は存在しない。

 聖戦から現代に至るまでの八百年のあいだ、数えきれないほどの近代化改修アップデートがおこなわれたことで、基本的なスペックはほとんど頭打ちになっている。

 最初から対ブラッドローダー戦を想定して開発されたノスフェライドは最強格と目されているが、それもあくまで乗り手ローディの技量を加味したうえでのことだ。

 ブラッドローダー戦の勝敗は、最終的には乗り手の腕によって決まるのである。


 むろん、セフィリアの操縦技術が拙劣というわけではない。若さゆえの経験の浅さは否めないものの、ピーキーで扱いのむずかしいゼルカーミラを手足のようにあつかうセンスは天性のものだ。

 六本の腕を縦横無尽に駆使し、攻防両面で隙なく立ち回るアルダナリィ・シュヴァラが異常なのである。


 神経接続ニューロ・リンクによって制御されるブラッドローダーは、乗り手の肉体を拡大した機械と表現することもできる。

 機体によって外観は千差万別だが、おおきく人型を逸脱することがないのはそのためだ。

 吸血鬼も人間と同様、二本の腕と二本の脚しか持っていない以上、それ以外のかたちを取りようがないのである。

 裏を返せば、人型を外れた機体を操るためには、乗り手が――異形異類の怪物へと変化する必要があるということだ。


 ハルシャがいったいどのようにアルダナリィ・シュヴァラを制御しているのか、アゼトには見当もつかない。

 すくなくとも、超高速電子頭脳ハイパーブレイン・プロセッサに制御を委ねている可能性はゼロだ。

 格下のウォーローダー相手ならいざしらず、ブラッドローダー同士の戦いにおいては、機械的なアシストが介入する余地は存在しない。極限まで拡張・増幅された乗り手自身の力こそがブラッドローダーの強さの根源であり、どれほど優秀な人工知能も、それに代わることはできないのである。

 いずれにせよ、ハルシャが異形のマシンを完璧に操る技量の持ち主であれば、まずセフィリアに勝ち目はない。

 このまま戦いが続けば、遅かれ早かれゼルカーミラは致命的な一撃を被ることになるはずであった。


「……アゼトさん」


 リーズマリアに呼びかけられて、アゼトははたと我に返った。


「たったひとつだけ、ノスフェライドを喚ぶ方法があります」

「本当か!?」

「ですが……それを実行するためには、大きな代償と覚悟が必要です」


 ためらいがちに言ったリーズマリアに、アゼトはだまって肯んずる。

 もはや手段を選んでいられる状況ではない。

 一刻も早くノスフェライドに乗り込み、アルダナリィ・シュヴァラを食い止めなければ、全員がここで死ぬことになる。


 リーズマリアは喉を震わせながら、ようよう言葉を紡ぎ出す。


「アゼトさん――――私といっしょに死んでくれますか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る