CHAPTER 10:タイタン・ヴァーサス・フェアリィ
長大な地下回廊にときならぬ旋風が巻き起こった。
燭台の灯火をゆらして、ふたつの人影はおそるべき速度で駆け抜けていく。
尾を引くようなきらめく軌跡は、濡れた髪から剥がれた水滴だ。
リーズマリアとセフィリアであった。
銃声を耳にした瞬間、二人の吸血鬼は本能的に駆け出していた。
ちょうど湯船から上がり、身支度を整えていた最中のことだ。
どちらも最低限の衣服のみをまとい、足は裸足というしどけない姿だが、身なりを気にする余裕はなかった。
吸血鬼の並外れた聴力には、”勘違い”も”気のせい”もありえない。
ガンダルヴァ城のどこかで銃を使わざるをえない状況が
しかも、あの発砲音は、アゼトが携帯している人間用の拳銃のものだ。
別行動を取っているアゼトの身になにごとかが起こったのはまちがいない。
銃声が一度だけということも気がかりだった。
ずっとむかし……まだ吸血鬼ではなかったころ、リーズマリアはこんな話を聞いたことがある。
射程距離のみじかい拳銃や
また、ぜったいに外さない至近距離であっても、標的の息の根が止まるまでは何度でも引き金を引くものだ――と。
いまとなってはおぼろげな古い記憶が、リーズマリアの胸に言いしれぬ不安を呼び起こす。
いずれにせよ、アゼトの無事を確かめるためにも、いまは彼のもとに急がねばならない。
リーズマリアとセフィリアのはるか後方から、息を切らして二人のあとを追いかける影がある。
薄い
「姫様、セフィリア殿、いったいなにが起こって……」
レーカは肩で息をしながら、だれともなく呟く。
常人よりすぐれているとはいえ、人狼兵の能力は吸血鬼の足元にも及ばない。
リーズマリアとセフィリアにははっきりと聴こえた遠方の銃声も、レーカにはまったく察知することができなかったのである。
――私たちはアゼトさんのところへ行きます。レーカはヴェルフィンの準備を!!
事情は飲み込めないにせよ、リーズマリアにそう命じられては、とにかく動くしかない。
地下回廊が激しく動揺したのはそのときだった。
揺れているのは床だけではない。壁も天井も、みしみしと悲痛な叫びを上げている。
怖気とともに全身の毛穴がすぼまる感覚に、レーカはおもわず身震いする。
なにかおそろしいものが壁一枚隔てた地中を動いている。
リーズマリアとセフィリアが走り出した理由も、自分を戦慄させたものの正体も、レーカには皆目見当もつかない。
それでも、ひとつだけわかっていることがある。
戦いが始まるのだ。
***
六腕四脚の怪物は、闇のなかにその威容をそびやかしていた。
ブラッドローダー”アルダナリィ・シュヴァラ”。
その名は、
光輪のように展開した六本の腕のうち、四本は両刃の大剣と
半人半獣の巨体を鎧うのは、古代の甲冑を彷彿させる
血色の光に照らし出された
美しくも恐ろしく、そしてなにより荘厳な佇まいは、まさしく機械神と呼ぶにふさわしい。
「刻は満ちた。――――目覚めよ、アルダナリィ・シュヴァラ!!」
アラナシュは高々と跳躍すると、そのまま胸部のコクピットへと身体をすべりこませる。
コクピットハッチが音もなく閉じたのと、各部のセンサー・ユニットがまばゆいばかりの光を放ったのは同時だった。
ブラッドローダーを構成する最後のピース――
重い地響きとともに、翡翠色の巨体がゆっくりと動き出す。
一歩ごとに庭園の木々をなぎたおしながら、アルダナリィ・シュヴァラは悠揚と前進する。
アゼトは
ノスフェライドとの通信はあいかわらず途絶したままだ。
手足を拘束し、偽の情報を送信している銀糸――”
レーカとセフィリア、そしてリーズマリアがむざむざと殺されるのを、寝転がったまま傍観していることしかできないということだ。
アルダナリィ・シュヴァラがふいに動きを止めたのはそのときだった。
「ほう? さっそく出てきたか」
アラナシュは庭園内に飛び出した二つの反応を認めると、驚いたふうもなく呟く。
「ハルシャ・サイフィスッ!! これはいったいどういうことだ!?」
夜気を震わせるほどの大音声で叫んだのはセフィリアだ。
乱れた黒髪もそのままに、セフィリアはアルダナリィ・シュヴァラを睨めつけている。
真紅の瞳は爛々と輝き、薄桃色の唇を割ってするどい牙が覗く。吸血鬼の肉体が戦闘態勢に入った証であった。
「見ればわかるだろう、ヴェイド女侯爵。これからリーズマリアと貴様らを皆殺しにするんだよ」
「よくも、よくも私たちを謀ったな――――」
「べつに謀ってなどいない。ハルシャは本気でおまえたちを見逃そうとしていたんだからな。まったく仕方のない奴さ」
「見下げ果てた逆賊が……世迷い言を抜かすなっ!!」
セフィリアの怒声に、アラナシュは冷ややかな哄笑で応じる。
「ヴェイド女侯爵。そこで吠えるのも結構だが、さっさとゼルカーミラを喚んだらどうだ? 生身の相手を殺すのは面白くない」
「言われずともそのつもりだ!! ――――我がもとへ来たれ、ゼルカーミラ!!」
セフィリアが叫ぶが早いか、上空から猛スピードで飛来したものがある。
あざやかな
ヴェイド侯爵家に伝わる
伝説上の妖精をおもわせる透きとおった翅がひときわ目を引く。
”
着地と同時にひとりでに開いたコクピットに、セフィリアは背中から飛び乗っていた。
たちまち
しゃら――と、快い金属音とともに、一条の銀光がほとばしった。
ゼルカーミラが
アルダナリィ・シュヴァラとゼルカーミラは、庭園の中心で真っ向から対峙する格好になった。
彼我の体格差はざっと三倍以上はあろう。
子供と大人どころか、巨人に挑む
ゼルカーミラの不利はだれの目にもあきらかだった。
「ノスフェライドと戦うまえの余興にすぎないが、せいぜい楽しませてもらおう」
「私とゼルカーミラを侮ったことを地獄で後悔させてやる」
「あいにくだが、俺は準備運動にも手を抜かない主義でね」
アラナシュが言い終わるのを待たず、真っ先に動いたのはゼルカーミラだった。
きらめく光の粒子を振りまき、ゼルカーミラは一気に極超音速へと到達する。
おそるべき瞬発力と加速力。
これこそがブラッドローダー・ゼルカーミラの真骨頂だ。
いずれ劣らぬ名騎がひしめく聖戦十三騎のなかでも、ことスピードにかけては他の追随をゆるさないのである。
それも、ただ速いだけではない。
見よ。ゼルカーミラが放出した光の粒子は、おそろしく複雑な航跡を夜空に描き出している。
もっとも、それだけなら敵にみずからの居場所を教えることにもなりかねない。
粒子の濃度と放出量をたえまなく変化させ、
ゼルカーミラをふくむ聖戦十三騎の機体設計は、いずれも八百年あまりの歳月をかけて熟成されてきた。
はてしない試行錯誤のすえに、ヴェイド侯爵家はひとつの結論に辿り着いた。
装甲を極限まで削ぎ落とし、残像を生み出すほどの超高機動力によって敵を圧倒する……。
亡き姉からゼルカーミラを受け継いだセフィリアは、その戦術を極めるために、ひたすら研鑽を積んできたのだった。
「ハルシャ・サイフィス、覚悟ーっ!!」
アルダナリィ・シュヴァラの背後を取ったゼルカーミラは、ためらうことなく長剣を振り下ろす。
大上段からの唐竹割り。
極限までスピードが乗った状態で繰り出されるそれは、ただ物理的エネルギーを叩きつけるだけではない。
粒子をまとった切っ先は、分子結合そのものを断ち切る。斥力フィールドや
ガンダルヴァ城に異様な破壊音が響きわたったのは次の刹那だった。
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