CHAPTER 08:ラフィング・プリンス
晩餐会のあと――
寝室に戻ったハルシャは、護衛の
呆けたように高い天井を見つめたまま、少年は長いため息をつく。
「姫殿下、お優しい方だったなあ……」
余韻にひたるように、ハルシャはしみじみと呟いた。
「最高執政官は怖いし、最高審問官はなに考えてるかわからなくて不気味だし、ほかの選帝侯はみんな意地悪だし……あんな人たちより、リーズマリア様のほうがずっといい……」
自分を虐げてきた者たちの顔が脳裏をよぎるたび、ハルシャは顔をしかめる。
幼いころから陰湿ないじめを受けてきたハルシャだが、なかでもサルヴァトーレ・レガルス侯爵がおこなったそれは悲惨の一語に尽きた。
顔を合わせるたびに理由もなく罵倒されるのは序の口だ。稽古と称して無理やり剣を握らせられ、身体じゅうの骨が砕けるまで打ちのめされたこともある。
吸血鬼の回復力であれば数日で完治する軽傷とはいえ、人間とおなじように痛みは感じるのである。
みかねたセフィリアが止めに入ったり、長老であるアルギエバ太公がサルヴァトーレを叱責することもあったが、それでいじめが熄むはずもない。
だが、ハルシャにとって心身の苦痛よりなお耐え難かったのは、父ジャラウカ・サイフィスがわが子の苦境にまったく無関心だったことだ。
無関心というだけなら、まだよかった。
ハルシャの生来の軟弱ぶりを嫌い、教育の名のもとに凄惨な暴力をふるい続けたのは、ほかならぬ父その人なのである。
近くにいるぶん、その過激さはサルヴァトーレの比ではなかった。
ハルシャがなにか気に食わないことをするたび、鉄拳が、電磁鞭が、容赦なく飛んだ。手足を拘束され、城壁から真っ逆さまに突き落されたことも一度や二度ではない。
ハルシャが「やめてください」と泣き叫ぶたび、火に油を注いだように、父の体罰はエスカレートしていったのだった。
すべては息子を自分とおなじ冷徹にして剛毅な武将に育て上げるためだ。
皇帝に信頼され、サイフィス侯爵家の地位を盤石とするためには、心身ともに強くあらねばならないと、ジャラウカは固く信じていたのである。
厳しい鍛錬によってわが子の性根を叩き直し、智勇兼備の男子に育て上げる……。
そんな父の夢は、しかし、彼の予期せぬ急逝によって儚く潰えた。
ハルシャにとっては、百五十年ものあいだ耐えつづけてきた地獄のような日々から解放されたということだ。
「父上だって、もういないんだ。サイフィス侯爵家のことは僕が決められるのなら、いっそ――――」
ぞくり――と、冷たいものがハルシャの背筋を走ったのはそのときだった。
起き上がろうにも、身体は金縛りに遭ったみたいに硬直している。
そうするうちに、どこからか声が聞こえてきた。
金鈴を弾いたような、それは涼やかな少年の声であった。
「おもしろい冗談を言うじゃないか、ハルシャ」
「う……あ……」
「リーズマリアは殺す。それがサイフィス侯爵家がこのさきも生き残るための唯一の道だ。そのくらいは、おまえもわかっているだろう?」
姿なき声は、なおもハルシャに語りかける。
「なにも心配はいらない。嫌なこと、怖いこと、つらいことは、すべて俺に任せておけばいい。おまえが決断する必要はない。これまでもずっとそうだったようにな」
「ちが……リーズマリア様、は……」
「思い出せ、ハルシャ。おまえをさんざん苦しめた父上もレガルス侯爵も、みんな俺が殺してやったじゃないか」
いかにも愉快げに言って、声の主はくつくつと忍び笑いを洩らす。
「いつものように、おまえは引っ込んでいればいい。俺とアルダナリィ・シュヴァラが、なにもかも片付けてやる」
「ま……待って!! アラナシュ――――」
ハルシャはようよう首だけを動かし、枕元の鏡を見やる。
ベッドの上はむろん、寝室のどこにも人影は見当たらない。
それでも、ハルシャはたしかに見た。
紅い双瞳のなかから、じっとこちらを見つめるもうひとりの自分を。
ハルシャと寸分違わぬ目鼻立ちにもかかわらず、まったく別人のようにみえる。
ひどく邪悪で剣呑な雰囲気を漂わせているためだ。
端正な面立ちは妖艶さを帯び、切れ長の双眸には刃のような光が宿る。
紅い唇を割って覗くのは、一対のするどい犬歯だ。
ハルシャの弱々しさや優しさなどは欠片も見いだせない。
破壊と殺戮に最上の快楽を見出す、それは生まれながらの殺人鬼の顔貌だった。
「そういきりたつな。最初から俺が出ていったら、奴らに警戒されるだろう」
「じ、じゃあ……」
「リーズマリアを誘い出すのはおまえの役目だ。しばらく身体を貸してもらうぞ」
「い……いやだ‼︎」
「おまえに拒むことなどできないんだよ、ハルシャ。それに、俺たちにほんらい役割分担など必要ないんだ。俺はおまえ、おまえは俺。だから……」
苦悶に歪んでいたハルシャの表情は、半ばまでアラナシュのそれへと変じつつある。
右半分がハルシャ、左半分がアラナシュに分かたれたいびつな顔は、鏡にむかって二人の声で呟く。
「反逆者リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースは、俺たちで殺すんだ」
***
「まったく、ふざけた真似をしてくれる……」
堂々たる体躯の男は、いらだたしげにグラスを干した。
イグナティウス・フォン・グッゲンハイム伯爵。
ここはサイフィス侯爵家の
目の前の立体表示ディスプレイには、”グレガリアス”の損害・修理状況が表示されている。
最高執政官ディートリヒから預かった虎の子だが、すでに半数近くが損耗しているというありさまだ。
培養脳を搭載した新型ウォーローダーの実戦テストといえば聞こえはいいが、ようはモルモットを用いた実験にすぎない。
こんなことなら、自分のブラッドローダーと、帝都防衛騎士団の人員を連れてきたほうがどれだけましだったかしれない。
――なんという貧乏くじを引いたのだ。
いまさら不幸を悔やんだところで、しかし、状況が好転するわけではない。
と、ふいに緊急通信を受電したことを示すアラームが鳴った。
「なにごとだ?」
「サイフィス侯爵閣下が、グッゲンハイム伯爵にお話があると――」
「すぐにお繋ぎしろ!!」
軽く舌打ちをしてビデオ通話に出たグッゲンハイムは、たちまち顔色をなくした。
モニターの向こうでこちらを見下ろしていたのは、ハルシャではなく、もうひとりのサイフィス侯爵だったからだ。
すっかり恐懼しきったグッゲンハイムに、サイフィス侯爵は矢継ぎ早に指示を与えていく。
サイフィス侯爵がある言葉を口にした瞬間、グッゲンハイムは表情をこわばらせた。
「ほ、ほんとうに……あれを投入するのですか? しかし、あのマシンの価値はグレガリアスとは比較にならないほど……」
「ノスフェライドとゼルカーミラを片付けるだけなら、アルダナリィ・シュヴァラだけで事足りる。それでも、念には念をということだ。気乗りがしないというなら、貴様は
最高執政官ディートリヒの名を耳にした瞬間、グッゲンハイムは声にならぬ声を洩らした。
もはや後には引けない。
すでにここまでの戦いで相当数のグレガリアスを喪っている。
このうえリーズマリアの殺害にも失敗したとなれば、あの冷酷な男は、グッゲンハイムの爵位を剥奪する程度は平然とやってのけるはずだった。
「委細かしこまりました。あの機体の出撃準備も進めさせます。……して、作戦決行はいつ?」
グッゲンハイムの問いかけに、サイフィス侯爵――アラナシュは、にいと唇を歪めてみせる。
「今夜だ。――――明日の太陽が昇るまえには、すべて終わらせる」
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