CHAPTER 06:アーリー・ナイト

 巨大な宮殿パレスは薄闇のなかに横たわっていた。


 天に挑むいくつもの細長い尖塔と、ゆうに五百メートルをこえるドーム状の構造物がひときわ目を引く。

 それらの建物を囲むように重厚な城壁が幾重にもそびえ、その総延長はじつに百キロあまりにおよぶ。

 荒涼たる風景のなかにぽつねんと佇む場違いな威容は、ともすれば熱砂がつくりだした蜃気楼のようだった。

 

 ガンダルヴァ城――。

 サイフィス家の領内に点在するのなかでも、一頭地を抜く規模で知られる城である。

 古典様式の外観はあくまで風趣に富んでいるが、その実態は至尊種ハイ・リネージュがもつ科学技術の粋を集めた要塞だ。

 尖塔に内蔵された探知・迎撃システムは、地平線を這う虫の一匹さえ捕捉し、必要とあれば大出力レーザーとミサイルの雨を降らせる。

 巨大なドームは、サイフィス家がほこる空中艦隊エア・フリートの基地であり、五百メートル級の戦闘艦を格納してなお余りある容積キャパシティをもつ。

 ほんらいの選帝侯の居城である塔市タワーが行政府としての性格を帯びているのに対して、ここガンダルヴァ城は純然たる軍事施設なのだ。


 城内にくまなく配備された大量の兵器群は、いずれも太平の世にあっては無用の長物にすぎない。

 それを裏付けるように、ガンダルヴァ城は竣工から現在に至るまで、ただの一度も実戦を経験していないのである。

 もっとも、外敵にたいする過剰なまでの警戒心は、至尊種――吸血鬼という種全体に見られるいわば本能だ。


 強大な力で地上に君臨し、万物の真の霊長と称してはばからない彼らをしてそのようなに走らせる理由はひとつ。

 すなわち、人間への抜きがたい恐怖である。

 吸血鬼たちは、人間をおろかで脆弱な家畜と蔑むいっぽう、いまなお数の上では圧倒的な多数を占めることに戦々恐々としているのだ。

 人間が吸血鬼への服従を拒み、ふたたび支配者たらんと武器を取って立ち上がる……。

 想像するだにおぞましいその日が、しかしやがて必ず訪れるだろうことに、吸血鬼たちはひそかな確信を抱いてさえいるのだ。


 それはまた、同族のなかでもひときわ弱く臆病なハルシャ・サイフィスが、この城をこよなく愛する理由でもあった。


***


「……どうしたものかな」


 アゼトは窓際に立ったまま、だれともなく呟いた。

 いかにも貴族らしい瀟洒なしつらえの部屋のなかには、アゼトのほかにはだれもいない。

 指一本ほど開いたカーテンの隙間から外の様子をうかがえば、すっかり夜闇の色に染まった庭園がみえる。

 庭園の外周はみごとに整えられたバラの生け垣ヘッジに閉ざされ、唯一の出入り口である正門は固く閉ざされている。

 一見したかぎりではウォーローダーや警備兵の姿はないが、厳重な監視システムが張り巡らされているだろうことは想像に難くない。


 ガンダルヴァ城の内部に存在する小宮殿パレスのひとつである。

 小宮殿とはいうものの、その規模はちょっとした地方領主の屋敷にも匹敵する。

 部屋のなかに視線を移してみても、現在の世界で望みうる最高の環境が整えられている。

 さもあらん。ここはほかの選帝侯をもてなすための迎賓館ゲストハウスなのだ。


 リーズマリアの一行が宮殿に降り立ったのは、いまから一時間ほどまえのこと。

 ややもすれば連行や幽閉といった言葉がちらつくが、それでもリーズマリアが招待を拒まなかったのは、ほかならぬハルシャみずからが案内役を買って出たからだ。

 およそ名門の貴公子らしからぬ甲斐甲斐しくもけなげな振る舞いに、一行はただ顔を見合わせて困惑するばかりだった。


 念のため、ノスフェライドとゼルカーミラは上空で警戒に当たらせている。

 ガンダルヴァ城がほこる鉄壁の防御システムも、ブラッドローダーのまえでは無力にひとしい。

 アゼトとセフィリアが喚べば、二機はたちどころに主人あるじのもとに駆けつけるだろう。

 たとえ声を出すことができなかったとしても、ブラッドローダーはたえまなく乗り手ローディの生体反応をモニタリングしている。

 主人の生命に重大な危機が迫れば、機体に搭載された超高速電子頭脳ハイパーブレイン・プロセッサが自動的に敵を判別・排除するのである。


 その程度のことは、むろんハルシャにもわかっているだろう。

 リーズマリア一行への敵意をあらわにした瞬間、あの軟弱な少年領主は、この城もろとも滅びることになる。

 彼自身も専用のブラッドローダー”アルダナリィ・シュヴァラ”を所有しているが、よしんばそれに乗り込んだところで、ノスフェライドとゼルカーミラを相手に渡り合えるだけの技量があるとは到底おもえない。

 完全に不信感を払拭することはできないが、あの怯えきった態度をみても、ハルシャが計算ずくで罠を仕掛けているとは到底おもえなかった。


 と、ふいにドアをノックする音が響いたのはそのときだった。


「アゼト、レーカだ。……すこしいいか」


 アゼトが「入ってくれ」と短く応じたのと、ドアが開いたのは同時だった。

 そろりと部屋に足を踏み入れたレーカの姿を認めたとたん、アゼトはおもわず目を瞠っていた。


「レーカ、その格好は……?」


 アゼトが面食らったのも無理はない。

 いまのレーカの装いは、背中と胸元が大胆に開いた紅いノースリーブのドレスをまとい、肘まである長手袋イブニンググローブというものだ。

 人狼騎士団の制服の上に無骨な戦闘用ジャケットというとは趣を異にする――というよりは、まったく正反対のスタイルであった。

 肩までの金髪と、そのあいまから飛び出たイヌ科動物を彷彿させる一対の耳がなければ、別人だとおもったかもしれない。


「な、なにかおかしいか!?」

「いや、そういうわけじゃないけど――――」

「サイフィス侯爵が私たちを晩餐会に招待したいと言ってきたんだ。姫様とセフィリア殿だけかと思っていたら、どういうわけか私まで同席をもとめられてな……」


 着慣れない衣装のせいか、レーカの頬はこころなしか紅潮している。


「外の警戒は俺がする。たぶん心配はいらないと思うけど、レーカはリーズマリアの護衛を頼むよ」

「なにを言っているんだ?」


 アゼトが問い返すより早く、ドアのむこうで複数の足音が聞こえた。

 ややあって、レーカの背後から現れたのは、メイド服に身を包んだ三人の女人狼兵たちだ。

 その手には男性用の正装と、身だしなみを整えるための道具一式が入った箱を携えている。


「おまえもいっしょに来るに決まっているだろう、アゼト」

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